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andymoriの1stアルバムが好きすぎる話。【人生変えられた歌詞5選。】

2021年6月12日

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
自分の好きな事を好きなだけ語りつくす、そんな暑苦しいブログだよ!

愛してやまないandymori(アンディモリ)

中年ロックンローラー兼底辺ブロガーな皆様、ごきげんいかがでしょうか。

え?『中年!?底辺ブロガーだと!?決めつけんな!』って!?

フハハハ!!!この記事を開いた時点で、あなたはすでにマーケティングされているのだ!!

andymoriが水星のように現れては解散していった2010年ごろに大学生だったあなたは、

現在だいたい30代半ば、いまも夢見がちな中年ロックンローラー、

20代でandymoriに憧れてインドに渡航してはジャイサールメールで青い空を歌い、

帰国後は日本での出世街道から大きく外れて低所得低収入、

落ちぶれつつも好きな事を好きに語るブログなどを運営し、

andymoriの話を若者に聞かせつけては承認欲求を満たしまくる、

そんな底辺ブロガーかぶれだろ!???違うかっ!!!?



グフッ(吐血)…

なんか意図せずに特大のブーメラン状ななにかが胸に突き刺さった気がしたが、気のせいだろう。

そう、今も大好きなCDをかけては五限が終わるのを待ってる、愛しき青春中年ブラザーズなみんなに、

本日は、2009年リリースのandymoriの1stアルバム、

『andymori』

の曲の中で、

僕が特に大好きな楽曲と歌詞フレーズを語っていきたいと思う!!

うん、最初は全アルバムから、かいつまんでandymoriのオススメ曲を紹介していこうと思ってたんだけれど、

好きな曲多すぎて3万ページくらいになりそうなので、

特に僕の人生を変えられた曲の多い1stアルバムに絞って書いていこうと思うよ!!


曲と歌詞の紹介と言っても、完全に僕の独断と偏見で解釈した詩の世界観を、

僕の個人的思い出に絡ませて勝手に語っていくだけだからね。

もしあなたが、

『歌詞の意味や楽曲が出来上がった経緯を知りたい!』

とか思ってこのページを開いているなら、ウィキペディアでも見てくれたまえ。

僕は、僕を通して見たandymoriの事しか書けないからね。

まぁ、ゆるーい気持ちで、

『あぁ、底辺ブロガー目線でandymoriを聴くと、こういう風な解釈になるのね。』

などと斜め上から見下ろして読んでいただければ、うれしく思うよ!!

おい!竹やり持ってこい!!

では、大好きな彼らの歌詞の旅に、いざ出発!!!!

憧れのインディアは遠かったけれど。

当時大学生の僕は、地元のTSUTAYAでレンタルCDを物色していた。

当時の僕は日本のオルタナロックシーンにお熱で、その時のお目当てはART-SCHOOLやTHE NOVEMBERSだったと思う。

5枚借りたらまとめ割りになって1,000円。あと一枚。何かないかな。

そんなことを考えながら通りかかったおすすめコーナーに、ひときわ目を引く黄色い背景と3人組のジャケット。

1stアルバムの『andymori』があった。

『あ、次のARTのライブで対バンするバンドだ。』

と思って、何の気なしに借りてみた。


そのアルバムを初めて聴いたのは、自転車に乗っていた時だった。

一曲目を再生した瞬間に、衝撃を感じた。

思わず立ち止まってしまった。

腕何本あるねんってくらいに軽やかに乱れ撃ちするドラム、隙間なくうねるベース、カラッカラの乾いた異国の風みたいなギター。

そして歌われる最初のフレーズ。

憧れのインディアは遠かったけれど、
カータースタイル・フラットピッキングとケララ産で決めて

follow me / andymori より引用


(!!?もうワケわかんねぇよ。インディア!?インドの事なのか!?
なんだよケララって。まず聞き取れねぇよ。カーターズ??え??)

僕は動揺した。

当時の僕はこんなたぐいの音楽は、聴いたことが無かった。

脳内の混沌。思考を巡らせては考察し、こんがらがり、転げ落ちていく気分。

当時好きだった暗くて湿ったオルタナロックとは180度違う明るさ、元気があって、

しかしその背後に潜む強烈なむなしさ、もう触れない何かに必死に手を伸ばしているような焦燥感には、強い親しみを感じて。

そして、それらすべてを塗りつぶすようなきらめき、すごい速さで突き進む衝動。

とにかく、僕はその時思ったのだ。

『このバンド、よー分からんけれど、なんかヤバい。』

即、2か月後の『ART-SCHOOL / andymori』のツーマン高松公演のチケットをポチッた。

ここから始まるandymoriという旅の、始まりを告げるファンファーレ。

それが僕に鳴り響いた瞬間だった。



楽園なんてあるわけない。

それから一年後。

僕はタイの田舎町、アユタヤー郊外の荒野を歩いていた。

ギラギラの太陽、滴る汗、観光エリアからも遠く離れてしまって、トゥクトゥク(バイクタクシー)の一台も通らない僻地だった。

『ヤバい熱い死んじまう

この時22歳。大学を卒業目前、春からは広島で就職が決まっていた。

(就職したら旅行なんてできないだろうから、今行かなきゃ。)

と、謎の焦燥感に襲われた僕は、初めての海外旅行で一週間のタイ一人旅へ。

不安だらけでしどろもどろになりながらも、乗り込んだタイ国営鉄道3等列車。

たどり着いたアユタヤ駅から、トゥクトゥクを乗り継いで古代遺跡群を観光した後だった。

(帰りは歩いて帰ってみるか。)

そんなちょっとした冒険心でトゥクトゥクドライバーたちの勧誘を振り切って歩き出したのだ。

それがすべての過ちだった。

スマホなんて持っていない時代。方向も分からず、なんとなくで歩き出した僕は、すぐに思った。

『おいこれ、道に迷ってるやんけ


だれに語るでもなく、一人ぶつぶつ言いながら、炎天下の郊外の道を歩いた。

次第に建物も見当たらなくなり、あたり一面に乾いた荒野が広がった。

コモドオオトカゲみたいに大きなトカゲが、子犬か子猫かの亡骸を咥えて、のそのそと道を横断していった。

不安で押しつぶされそうで、怖くてたまらなくて、そしてイヤフォンを耳に刺した。

その時流れてきたのが、『life is party』だった。

のんきなギターリフ、身を任せて漂うようなメロディ。

こんな緊急事態に気の抜けたムードだな。そう思いつつも、なぜか心が震えた。

飛び切りの絶望を、能天気な太陽みたいな明るさで、カラ元気で、歌ってくれていたからだ。

楽園なんてないよ 楽園なんてあるわけない
友達も繰り返している life is party.

andymori / life is party より引用。

その時の自分に、直接歌ってくれているようだった。

『きっとみんな驚くぞ』

って飛び出した南の国で、楽園も見つけられずに炎天下の下でトカゲに怯えて歩く、

情けないたんぱく質の塊よ。

そうなのだ。例えうまく駅までたどり着けたって、ちゃんと日本に帰国できたって、

楽園なんて無いのかもしれない。

3か月後には、モノクロのスーツに身を包んで、どうでもいい事を『それいいっすね』とか言いながら、必死に溶け込んでは個性を無くしていく社会の砂漠が、

僕の目前にただただ、水平線の向こうまで広がっているのだ。

それでも、どこかで、『俺はこんなもんじゃない。きっともっと何かあるんだ。』なんて自意識過剰を無視できなくて。

そんな、友達も知らない胸の中の燃えるランプのことを、僕は今後、どう捉えて、どうごまかして生きていくのか。

そんなことを考えて、きっと一人ではだめになってしまっていたであろう、絶望へ向かう荒野の旅路を、

この曲が一緒に、歩いてくれたんだ。

結局何も解決していないし、うまくいく保証はどこにもないのだけれど、

andymoriの音楽が鳴ってくれているだけで、何とか生きていけるような、そんな気がしたのだ。

この時をきっかけに、このバンドは僕の中で、

『最近の好きなバンド』

から、

『一生聴きこんでいくであろうバンド』

に変わった気がする。

(結局この後、大声で歌いながら道を歩いていると偶然トゥクトゥクが通りかかり、無事駅まで戻れましたとさ。)



君の目が君の髪が指が好きさ。

社会人になったら、音楽なんてやめると思ってた。

先に就職した軽音楽部の先輩たちは、仕事仕事で歌う事もやめてしまっていたし、

親も友達もみんな、就職したらそんな暇ないって、口々に言ってた。

実際、就職してから僕は住んでいた岡山を離れたので、何個か組んでいた軽音楽部の奴らとのバンドも全部、解散となった。

一人乗り込んだ勤務先の広島で、

『遊んでいられた時代は終わったんだ。これからは仕事に一生懸命になって、真っ当な人生を送るんだ。』

と、あきらめにも絶望にも似た決意表明をして、社会人初日を迎えたことを覚えている。

しかし、それから始まった社会人生活はどれだけ頑張っても頑張っても、むなしさがこみあげる毎日だった。

夜遅くに帰ってきては眠て起きて、また会社に行っての繰り返し。

休日もだらだら映画やTVを見て過ごした。

一体何のために働いているんだろう。とか、そんな疑問さえも抱くのは止めていた。

『大人ってのはこういうもんだ』って、言い聞かせてはビールをあおった。

一応持ってきていたギターも、触ったりはしなかった。

怖かったからだ。

ギターに触れて、音楽に熱狂していた大学時代を思い出して、

そして、もう戻れない事に絶望するのが怖かった。

そんな頃の自分に、やっぱり僕を救うのは音楽しかないって気づかせてくれた曲、

それが、『everything is my guitar』だった。

久々の休日、一人ドライブに出かけて、帰りの車内でこの曲が流れたんだ。

ロックンロールバンド ロックンロールバンド
君の目が君の髪が指が好きさ

everything is my guitar / andymori より引用。

思わず、飛び起きたい気分になった。

初めてロックを聴いた時のような衝撃だった。

何回も何回も、マシンガンみたいに放たれ続けるロックンロールへの愛、愛、愛…。

みっともないほどに、何度でも何度でも性懲りもなく、ロックンロールにすがり続ける小山田壮平の叫びが、

僕にはとてつもなくかっこよく、そして希望の光のように写った。

『そうだった。俺ってば、ロックが好きだったんだ。』

まるで、呼吸が出来ない水中から顔を出して、久々に大きく息を吸い込んだような気分になった。

そうだったんだ。自分の好きなもは好きで、それに年齢も環境も関係ない。

社会人になっても、子供みたいに好きなものに焦がれてさまよい続ける様を、『みっともない』と誰かに笑われたって知ったことか。

それを信じて惨めに膝を抱える未来がやってきたとしても、

そんなくだらない人生さえも、ロックンロール、ねぇ、間違っていないよと言って。

ずっと謎の、(好きな事を好きでいられるのは子供の時だけ)なんて束縛を自分に課していたけれど、

もういいじゃないか。

マイペースでもかっこ悪くても、おれはどうしようもなく、ロックが好きなんだ。


その夜、家に帰って、数カ月ぶりにギターを触って、夜遅くまで曲を作った。

だれにも負けない、全能感を感じた。

社会人になっても、僕が大好きな音楽をやめなかったのは、この曲のおかげなんだと思う。



ジャイサールメールにはドロップキャンディの雨が降る。

『ジャイサールメールって何?』

andymoriをそんなに知らずにこの記事を読んでくれている人がもしいるなら、

このフレーズを見て、そう思っただろう。

青い空という曲の歌詞なのだけれど、数年前の僕も同じだった。

社会人三年目、やっと仕事にも慣れてきて、休日は路上ライブをしたりライブハウスに出演したりと、

まぁまぁぼちぼち、楽しくやっていた。

いつも何気なく聞き流していた青い空の歌詞だったんだけれど、その日はふと、

『ところでジャイサルメールって何なんだ?』

と気になってしまった。

そして軽い気持ちでググってみて出てきた一枚の画像が、僕の人生を大きく狂わす事となる。

ジャイサルメール。

それは、パキスタンとの国境沿いに位置する、インドの砂漠の街の名前であった。

PCの検索画面に表示されたその街の写真では、砂の荒野にポツンとたたずむ石作りの城壁と家々が、

夕陽に照らされてオレンジ色に染まっていた。

とてもとても綺麗で、次の瞬間、自分でも不思議なくらいの強い衝動で、こんなことを思った。

『行かなきゃ。このジャイサルメールに行って、ここで、青い空を歌わなきゃ。』

今でもなぜ、あんなことを考え付いたのかよくわからないんだけれど、その時は

(絶対に間違っていない。おれはここに行かなきゃならない!)

と、謎の自信と確信があった。

そして、3か月後に僕は仕事をやめた。

このまま仕事を続けていても、まぁまぁぼちぼち、幸せにやれてはいただろう。

でも、それじゃダメだって感じていた。

いつだって僕らは、本当にやりたい事や行きたい方角を、本当は知っているのに、

目を閉じ、耳をふさぎ、そして青い空をいつかは、忘れていくんだ。

飛び乗るんだ。南の空へ行くバスに。今しかない。もう発車のベルが鳴ってる。

大げさすぎる焦燥感に背中を押されて、僕は本当に仕事をやめてしまった。

そして憧れのインドへ渡航。

小山田壮平はインドを『遠かった』と歌ったけれど、僕は、

飛行機でたった8時間、いとも簡単に、あっさりたどり着いたことが印象に残っている。

しかし空港を出て街に降り立った時の混沌と熱狂は、イメージしていた僕の中での『インド』という概念を煮立てて水分を飛ばして3千倍くらいに凝縮させたような、

圧倒的インディア感を感じさせた。

目的地のジャイサルメールで、ボロボロのギターで青い空を歌った時の、

はしゃいで踊ってくれた物乞いの女の子の笑顔が、今も心に染みついて離れない。

この曲については思い入れがありすぎて別で記事も書いているので、良ければぜひ。



どうせどこにも行けないのなら、ずっとここにいてもいいんだよ。

『青い空』に触発されて旅したインドで、もっと広い世界を見てみたい!という好奇心が沸き起こり、

僕はそのまま、世界一周の旅にでた。

その旅中で、おそらく一番聴いて、一番歌った曲が、『ハッピーエンド』である。

僕はギターを担いで旅をしていたので、旅先で出会った人たちと別れる時に、

『何か最後に歌ってよ』

と言われることがよくあり、そんな時は毎回この曲を歌っってた。

この曲の歌詞が、本当に好きだ。

甘くて優しいセンチメンタルのガムシロップのようで、

『でも、ずっとそのままじゃだめだってこと、君は本当は気付いているんでしょう?』

と、愛を持って突き放してくれる歌なんだ。

ほんとうにまっすぐに歩くなら
あのカーブでみんなとも離れ離れ

ハッピーエンド / andymoriより引用

と、自分の人生を歩くためには、なれ合いで居心地のいい場所から離れる必要がある事を、この曲は教えてくれた。

友達が笑わなくなったって、ひとり鍵をかけて閉じこもっては終わりになったって、

それもすべて君の人生。

君が選んだ人生の終焉を、僕は全肯定で『ハッピーエンドだった』と歌いたい。

何も迷うことなく、自身の人生を生きてほしい。

だからこそ、本当に歌いたい歌を君には歌ってほしいし、行くべき方向へ向いて、歩いてほしい。

そんな、愛も希望も絶望も諦めもすべて詰め込んだ名曲なんだ。


2年間に及んだ世界一周の旅。

遂に日本にたどり着いては地元の香川に帰ってきて、

あと数百メートルで実家に到着するってときに、僕は不思議な気持ちを体験した。

『帰りたくない。このまま旅を続けたい。』

そんなことを思ったのだ。

自分でも意外だった。僕の旅は楽しいだけのものではなかった。

アフリカでお金を盗られてからは生きていくために、毎日路上ライブで稼ぎながらのギリギリの生活。

明日食べるものはあるか?ってくらいの過酷な環境に、

『早く日本に帰りたい。この不安から脱却したい。』

と願っていたはずだったのに。

あと数百メートルで、夢にまでみた普通の生活に戻れるって時になって、

急に、また日本の社会に染まって、一生懸命働いて、生きていくことが恐ろしくなったのだ。

(このまま来た道を戻って、空港に行って、どこでもいい。知らない外国行きのチケットを買おう。まだ旅を続けよう。この旅を終わらせたくない。)

そんな感情がこみあげて、現状維持のぬるま湯な誘惑に浸食されていく心。

歩いていた足が止まってしまった。

そんな時、イヤフォンから『ハッピーエンド』が流れていた。

それでハッピーエンドなんだ ハッピーエンドなのさ
どうせどこにも行けないのなら ずっとここにいてもいいんだよ

優しい優しいフレーズのはずなんだけれど、この時の僕には、凄く厳しい言葉に聴こえた。

『ずっとそのままでもいいけれど、本当に君はそれでいいの?』

と、言われているようだった。

旅中何万回も口ずさんできたフレーズが、一層意味を帯びてのしかかる。

重い重い足をまた前進させて、僕は日本での生活という、新しい人生に向けて踏み出した。

この旅をハッピーエンドで終わらせるために。

最後の最後まで、この曲には背中を押されっぱなしだった。



まとめ

以上!僕の人生を変えたandymoriの1stアルバムの収録曲紹介でした!!

ふぅ。今日も存分に自分語りをして気持ち良くなってしまった。

果たしてこんなところまで読んでくれている人がいるのかは定かではないが、

僕の人生のキーポイントとなる瞬間には、いつだって音楽が鳴ってて、

切っても切り離せない存在なので、ついつい暑苦しく語ってしまうのだ。

例えば、自分の大好きな音楽が、同じように誰かの人生に寄り添っているのではないかと思うと、

それを覗き見てみたい気持ちがある。

同じように、恥部にも似た厨二で大袈裟な馬鹿げた僕の人生の分かれ道と、

それに寄り添ってくれたandymoriの音楽の関係性をこうして記事にしておくことで、

『自分に浸りきっててキモ!…でも、なんか言ってることは分からんでもない。』

とか思ってくれる人が一人でもいたなら、光栄だ。

それにこういう気持ちもいつかは忘れていくのかもしれんしな。青い空みたいに。

地図に迷い込んだ時は、こんな記事を読み返して

思い出せたなら、良いなぁと思うよ。



そんなところです。


●人生変えられたアルバム。まだ聴いたことない人は絶対聴いてほしい。

●andymoriの事は他の記事でもたくさん語っています。よければ。

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