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愛してやまないインディアを。日本人にインドを旅する事をお勧めする3つの理由の話。

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです!
路上ライブで世界放浪の旅を終え、今は東京で音楽活動中!


インドを愛している。

僕は数年前、路上ライブをしながら世界各国を旅をしていた。色々な国を訪れ、その文化や食事、景色などに触れてきた。日本に帰るとよく、「行った国の中でどこが一番良かった?」と聞かれるのだが、ぼくは「良いか悪いかはわからないけれど」と前置きした上で、「一番影響を受けた国はインド」と毎度、答える。

沢山の国を巡ってきたが、インドが決して、住みたいくらいに過ごしやすい国というわけではない。観光客目当てのぼったくり客引きばかりだし、街は超がつくくらい汚いし、食事も全てがカレー味だし、おまけに漏れ無くお腹壊すし。
観光地としてずば抜けて素晴らしい訳でもないかもしれない。世界遺産は多いけど、どこもビジネスライクで落ち着いて見られないし、アフリカのサバンナやサラハ砂漠のような圧倒的な自然の光景があるわけでもない。

では、インドの何がそんなに魅力的なのか。それは人々の暮らし、文化、その当たり前の姿そのものであると僕は思う。彼らにとっての“普通の日常"は、我々日本人の”真反対”に位置している。その、全く世界観の違う彼らの日常に触れたことで、日本人としての常識によって抑制されていた自分の真の生き方や考え方を、今一度見定めるきっかけになった。そこで得たものは、現代日本をより豊かな心で生き抜くためのヒントにもなる気がする。この記事では、インドの旅の何が良いのか、旅をすることでどんな体験が得られるのか、を3つの理由に分けて、書き綴ってみたいと思う。

多様な価値観を認められるようになる。

インドには、多種多様な人種、宗教、民族、言葉、そして生き方がある。
半日街を歩けば、日本に一生住んでいても出会えないってくらいの、バラエティに富んだ種類の人達と出会う。

スーツをぴしりと決め革靴を鳴らす成金サラリーマンの足元に、ぐにゃりと背骨の曲がった、やせ細った老人が物乞いをしている。ベジタリアンで、痩せて小柄、日本人にも近い体型のヒンドゥー教徒、頭にターバンを巻いた、がっしりした体型のシク教徒、そして毎時アッラーへ祈りを捧げるイスラム教徒。それら多数の宗教徒が一つの街で隣町同士で暮らしている。旅先の宿で出会う世界中からの旅人たちも、インドを愛する人というのはなんだかヘンテコで、興味深い人が多い。西部海岸線の町、ゴアでヒッピーコミュニティを形成するおじいちゃんや、広大なインドを歩いて旅しているという若者、サドゥー(ヒンドゥー教の僧侶みたいな存在)に憧れて悟りを開くために一週間水しか飲まず、誰とも会話せず、悟りの末に股間の玉袋で重たい石を持ち上げる(もう書いていても全く意味わからん、けど実際にいた)外国人など、現代社会からはだいぶズレた人が多くて、話をするのも楽しい。

なので、インドの旅では、高いホテルよりもたくさんのベッドが並べられたドミトリー宿の宿泊をお勧めする。たくさんの人との出会いが、凝り固まった自分の価値観をぶち壊してくれる。そしてしばらくして、ふと気付くだろう。

あれ、なんでおれは、人と違うことをあんなにも恥じていたんだろう。

と。

他人の多様性や価値観を認めることは、自分の特異性、異質な部分を認める事でもあるのだ。

自分に自信がつく。

自分に自信がない、と思っている人は、インドに行った方がいい。

僕は中学時代にいじめられていた経験があり、それが原因か、常に誰かに嫌われないようにと、自分を押し殺して生きてきた。他人が言う事に対して間違っていると思っていてもNOとは言えず、意見することもなく言いくるめられるような人間だった。しかし、インドの旅では不思議と、自分の意見を、意思を、常に持って旅をしていたように思う。いや、持たなければ生きていけないのだ。日本では常に封じ込めていた自分の考えを、インドでは常に表現し続けることが求められる。

まず空港から街に出るとすぐに何人もの客引きに捕まる。
「タクシーに乗れ!安くするぞ!」
「ホテルか!?おれのホテルに来い!安くするぞ!」
「両替しないか!?いいレートで替えるぞ!」
同時に何人にも囲まれ、カオス状態。客引きする奴らは大体ぼったくりなので、絶対に付いて行ってはいけない。No!と力を込めて言う。

「マイフレンド!この街を案内してあげるよ!お金なんていらないから!」と声をかけられることもよくある。親しく接してくれ、30分ほど街を色々と案内してくれた自称・大学教授のおっさん。案の定別れ際になって突然切り出される。「こんなに案内してあげたんだ。君はチップを払わないといけない!」と詰め寄られる。友達じゃなかったのかよ!と怒るのも自由。サービスを受けた訳だし、少しばかし払ってやるか、とそのサービスに資本価値を認めるのも自由。答えはない。

どちらにしても自分なりに考えて、自分なりの正しさを信じ、結論を出さなければならない。そしてそれをはっきりと、相手に意思表示することが求められる。インドの旅ではこんなシチュエーションの連続だ。こんな日々を一か月と過ごした時、気付く。自分が一人の人間として、しっかりとした意思を持って生きていることに。インドでの生活は、薄れかけていた自己を取り戻し、自信を持って生きる方法を取り戻させてくれる。

生死について向き合う事ができる。

昔、僕がまだ小学生の頃、ある社会科の先生の授業が好きだった。
その先生は世界を色々と旅をしていた人で、各国のいろんな話を授業で聞かせてくれていた。その先生が、「インドは生と死が非常に近いところにある国なんだ」と話していたのを記憶している。小学生だった僕は、わかったようで分からないような、いまひとつ腑に落ちない気分だったが。

インドを旅して思う。たしかに、この国は生と死がとても近い。いや、近かったことに気付かされる、と言うべきか。生きているということはいつか死ぬこと。実は僕ら日本人も例外なく、常に死の近くに存在しているはずなのだ。日常的実感を帯びていないだけで。それは死を、恐れおおき物として、悲劇的で厳かな儀式として捉える日本の、というか世界のスタンダードな文化のせいか。しかしインドは違う気がしたのだ。僕らが隠し、恐れてきたその死の実態を、カーテン一枚、オブラート一枚も隠さずに、見せつけてくる、そんな国なんだ。

バラナシというガンジス川のほとりの宗教都市がある。神なる川、ガンジスを求めて、インド中から人々が訪れる。川に浸かり、祈りを捧げる人、朝日に向かってヨガのポーズをする人、それを取り囲む現地の人々の暮らし。ガンジスに呼ばれ、やってくる人は、生きている人間だけではない。

ヒンドゥー教では、死んだ人間はその体をガンジス川に還す事で、輪廻転生するという教えがある。

ガートと呼ばれる川辺の火葬場に、竹製の簡素なタンカに乗せられて、死人が運ばれてくる。金色の布に巻かれたその塊は、人間だと言われなければただの土木資材のような、そんな扱われ方である。遺族とみられる人々や火葬場の作業員、それを斜面の上から眺める観光客たちに囲まれて、真ん中でたいまつが燃えている。まるで人生という楽しい週末のアクティビティの、その最後に開催されるキャンプファイヤーみたいな、穏やかさがある。乱雑にその炎の上に置かれた死体、パチパチ、と竹の焼けて弾ける音が聞こえ、ゆっくりと布が燃え、死人の姿が現れ、始めてその死体がまだ中学生にもならないような子供の体だった事を確認する。
ゆっくりと火に包まれ、黒く焦げていく肉体、立ち上がる黒煙、後ろで聞こえる商人たちの威勢のいい声、鳥の鳴き声、遺族とみられる若い男の人の静かにすすり泣く音…全てがごくごく自然な、昼下がりの街の風景として同化していた。お涙頂戴な干渉も鑑賞的な感情もなく、ただただ淡々と、その煙はゆっくり、ゆっくりとバラナシの空に消えていく。
全身が真っ黒焦げになり、まだその原型を留めている様な状態だが、周りに作業員たちがやってきてその体をスコップのようなものですくい上げ、川に投げる。その隣では、現地の少年が川に飛び込んではしゃぎまわり、爺さんが川の水で口をゆすいで歯磨きをしている。

彼らにとって死とは、何も特別なことではなく、ごくごく日常的な、生命のいつか迎える当たり前の姿そのものなのだ。


出会った旅人が教えてくれたのだが、ヒンドゥー教徒にとって死ぬと言うことは、悲しい事ではなく、ただボロボロになった服を脱ぎ捨て、新しい洋服を探しにいく時のような、そんな感覚なんだそう。インドを旅すると、死ぬということがそんなにドラマチックなものではないことに気付かされる。死ぬことはそんなに悲観するような事ではない。だからこそ生きる事に絶望せず、深くとらえ過ぎず、身軽さを感じ生きていく事も大事なのかな、なんて、なんとなく、納得させられる瞬間がある。


まとめ

以上、僕がインドをオススメする理由、というか、インドを旅して僕が感銘を受けた事を書き綴ってみた。

もしかしたら僕が60、70歳になってインドを訪れていたら、そのあまりもの価値観の違いに、こんなことは許されるはずがない!こんなことはおかしい!と認めず、その魅力を感じる事もできなかったかもしれない。自己が確立する前、20代のさなかに、インドに出会えてよかったと思う。そういう面では、インドの旅は20代のうちに体験するのをお勧めしたい。自分の絶対的正義が誰かの悪意にもなり得る、というような当たり前が崩壊する瞬間を、素直に受け止められる心の柔軟性が無ければ、インドの旅はただただ苦しいだけの思い出になる気もする。

全てが日本とは違うその不自由を自由と感じ、それを刺激として楽しめる姿勢を持っていれば、インドほど懐の深い国はない。ガンジスに呼ばれるように、思い立ったなら、ぜひ一度訪れてほしい。エアインディアで片道9時間のフライト。降り立った先で、きっと日本では一生感じることもできないような、圧倒的異国感に打ちのめされるだろう。


そんなところです。

僕が会社を辞めてインドを旅することを決めたきっかけとなった曲、andymoriの青い空が収録されているCD。

インドを旅しているころのブログ。バラナシ初路上ライブの話



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