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2025年はAIが「ググる」を超える年。そうなるとブログの存在価値ってなんなんやろ?って話

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ。ぼっちシンガーです。
路上ライブ世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
旅や音楽、見た映画や本について鼻息荒く語るだけのブログだよ!

『AIに聞けカス!』

そんな言葉が一般的になるかもしれない。

これまで、何か調べ物をしようと思ったら、大昔は本を読んだり人に聞いたりが必要だった。

現代人ならGoogleで検索するのが一般的だろう。

本屋に行って、知りたい情報が載っているであろう本を探して、お金を払って本を買って、時間をかけて読んで、

そんな大昔の情報収集方法に比べたら、検索ワードポーンで知りたい情報を教えてくれるインターネットの普及は革命的だった。

そんな便利なものがあるのに、いちいち誰かに教えてもらおうとする人は「ggrks(ググれカス)」と呼ばれたりもしてた。

しかし、時代は人工知能(AI)の大民主化時代。

2025年はいよいよ、AIが「ググる」を超える時代になるやろな~と、実感してる。

情報の民主化時代の次の、知能の民主化時代へ。

最近、NISAきっかけで投資を始めてみたのだ。

小額ずつではあるけれど今後来そうなテクノロジー系の企業に投資してお小遣い稼ぎしたろ、とIQ5くらいの軽い計画で始めてみたのだが、

インデックス?ファンド?ポートフォリオ??なんのこっちゃ???

と早速わけのわからん横文字の説明書きに困惑。

これまでなら、それら一つ一つのワードを検索して調べては全体像を読み取る作業が必要だったんだけれど、

最近は全部AIに任せちゃえる。

圧倒的にググるより早いし、これまでの会話の流れを汲んで適切な解説をしてくれる。

まー言うて、知りたい情報を調べられるってところまでは、Googleと一緒。

大事なのはここからで、これまでならググって出てきた情報をもとに総括して「どの手法が最適解なのか?」を自分で考察し答えを導き出す思考力が必要があったわけだが。

今は思考することすらも、AIが代行してくれるようになったのだ。

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ヤバイ…!!!革新的…!!!

まさに、めっちゃ優秀でその分野に詳しいおれ専属コンサルタントがついてる感じ。

しかも言葉使いとか気遣いとか不要で24時間勤務。

AIを使えばおれたち凡人にも、これまで一部の優秀な人しか得られなかった解決策に簡単にたどり着けるのだ。

たぶん今後は検索キーワードすらわからなくても、困っていることを伝えるだけで、AIが自分に必要な情報や取るべき行動を詳しく教えてくれるようになるだろう。

産業革命は体力の民主化、インターネットは情報の民主化ときて、AIの普及はまさに「知能の民主化」と言えよう。

ブログの存在価値を考える

このようなAIの普及で、インターネット上の情報系記事は今後存在価値を減らすことになるだろう。

これまではみんなが知りたい情報を書いてれば良かった。

ほかの誰も知りえない有益な情報を載せてれば、それだけでポジションを取れてたからだ。

しかしAIによってその優位性が失われる。

今までは「これどうやればいいんだ?」→「キーワードを入れてググる」→「ヒットした記事を上から順に何個か覗く」→「得た情報をもとに思考する」→「解決策を導き出す!」

って工程が必要だったのが、これからは

「これどうやればいいんだ?」→「AIに聞く」→「解決策を得る!」

と胆略化できるわけだ。

たとえそれが超特大スクープな有益記事であったとしても、今後はそんな情報は秒でAIに情報収集されてソースの記載もなく全世界に大公開されるわけで。

「何を書くか?」、そのオブジェクトは正味どうでもよくなる。

今後ブログに求められるのは

・誰が書くか?
・どう書くか?
・共感しあえるか?


ってところなんだろうな~とか考える。

今後のこのブログの生存戦略を考えるうえでも重要なことなので、一つ一つ細かく考察していきたい。

そのブログを「誰が書く」か?

たとえば、この記事みたいな今後の未来を予想した考察記事も、おれみたいな底辺一般人が書いててもだれも興味ないだろうが、

もしこれがホリエモンやひろゆきが書いた記事だとなれば、有料で500円とかで売ってても売れるだろう。

そして500円で買ったあとに、ひろゆきってこんな稚拙な文章なんだ…と落胆されていたことだろう)

みんなおれの今日の晩飯をブログで公開しても1マイクロミクロンも興味ないと思うが、好きな女の子のそれならお前ら10000円ずぱちゃも惜しまないだろうし。

結局自分が興味のある人が書いた文章やコンテンツにこそ価値があり、そういう人だけが発信の権利を得られるんだろうなー。

そのブログを「どう書く」か?

まぁ芸能人でもなければかわいい女の子でもないアラサーおじさん(おれ)にとっては、

「誰が書くか」って部分では優位性は取れないわけで。

そうなってくるといかにおもしろおかしく、くだらない情報でもいいから「読みたくなる」文章を書くってところが大事だよな~。

まだまだAIのやつらは人間の「笑い」や「ユーモア」みたいなところは理解してないみたいだし(おもろい話10個考えて、とか聞いてもクッソつまらん話しかできない)、

文章の持つ奥ゆかしさや表現の持つおもしろさ、みたいなところは追求する価値があるだろうな。

などとクッソつまらん話を得意とするおれは思うのでした。

「共感しあえるか?」

最後は、その記事に共感性はあるか?って部分だ。

たとえばある映画の考察記事を書いたとして、「あの女優さんの名前は?」「あのシーンの意味は?」などの答えのある情報は、これからの時代は価値を無くしていくわけで。

それよりは、答えのない、超個人的感情を詰め込んでオリジナルな感想を書き綴る方がいいように思う。

『最近見た「桃太郎」ってハリウッド映画、みんな桃太郎が鬼を倒すシーンかっこいい!とか言うてるけど、個人的には人里離れた離島で家族仲良く過ごしてたのにいきなりやって来た人間に皆●しにされた鬼に同情するわ~…』

とかね。

検索でヒットするような総評ではなく、超個人的な感想にこそ価値があるんじゃないか。

そこに同じように考えてる人もいるんだーって安心したり、「んなわけあるかいwww」「そんな風に考える陰キャもいるんだなww」みたいな感想が生まれたり、

そういうものって、人間が書いているからこそ感じ取れるものだと思うのだ。

自意識過剰に主観的に思ったことを思ったように書く、

その自己中心的な解釈が生み出す共感やあつれきや嘲笑、それらなんらかの感情の揺れを生み出す文章にこそ、今後価値が生まれるのではないかしらん。

以上!

2025年のAI民主化につついて考察してみました。

まぁ当記事は常日頃から、有益情報とは皆無の個人的主感しか書かない系ブログである。

これまで通りくだらないことを鼻息荒く語り続けることに変わりはなさそうである…。

AIを敵とみなすのではなく、うまく味方につけて、今後も無益情報厳選垂れ流しで行こうと思う所存であった。



そんなところです。




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