ぞうさんのイラストがゆるかわいい問題!ダホメ王国の国旗と、恐ろしい歴史について調べてみた話。
ジャンボ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
好きな事を鼻息荒く凄そうに語るだけのブログだよ!
外国好きな諸君!
コロナで海外旅行が出来なくなってしばらく経ちますが、いかがお過ごしでしょうか?
旅が出来ない時期にお家で簡単に海外旅行気分が味わえる遊びとして、「国旗鑑賞」がオススメであると以前の記事で書いた。
世界の国旗を眺める事で、その国の文化・宗教・そして歴史を色遣いやデザインから読み解き、
その地に思いを馳せたりして「オウフ…キタコレ…デュフフフ…」と楽しむのだ。
みんなもぜひやってみてくれたまえ。
そんなで、通勤電車の中で各国の国旗鑑賞をたしなんでは、周囲のOL達にゴミを見るような眼で見られていたある日。
ふいに、見たことも無い奇抜な…というか、ユルすぎるデザインの国旗を見つけた。
その国旗は、1600年~1900年ごろまで西アフリカに存在した「ダホメ王国」という国のものであるそうなんだが、
調べてみると、そのユルい国旗とは対照的な恐ろしい歴史なども見えてきて…
今回の記事では、そんな謎の王国の正体について、ひも解いていこうと思うよ!!
もくじ
ダホメ王国の国旗、激ゆる問題
まずは、その問題の国旗がこちらである。
・・・・。
ゆるっ!!!これ、本当に国旗なんかっ!!??
この国旗に誇りを持つダホメ王国民には大変申し訳ない話であるが(もういないけど)、
まるで子どもがアイパッドのお絵描きソフトで30秒くらいで描き上げたような、なんとも言えないボディラインのぞうさんイラストがシュール過ぎる!!
これ、厳かな国際会議などで掲揚されてたらわろてまうやろっ!!
国旗って国威発揚の意味もあるから、普通は神聖で厳かなデザインにするものだけれど。。。
一体何がどうなってこのデザインに決定したのか!??
その所以については、こんなエピソードが言い伝えられている。
それは、ダホメ王国建国初日のこと。
「我が国の国旗、どないしよかな…」
そんなことを考えていた初代国王に、溺愛する孫娘(5歳)が声をかけてくる。
「おじいちゃん!みてみて!アイパッドでぞうさん描いたよ!」
「おぉぉぉぉ!!♡上手じゃないかぁぁぁ!!♡さすがわしの孫じゃぁぁ!!♡
よし、おじいちゃん、このぞうさんを国旗にしちゃうぞ~!」
「え…?おじいちゃん、さすがにそれはなくない? 国旗って国威発揚の意味もあるから、普通は神聖で厳かなデザインにするものじゃないの?その愛、さすがにヒくんだけど…。」
「いいんじゃいいんじゃ!お前の上手な絵を、下々の下僕どもに見てもらおうね~!!♡ じゃ早速画像をクラウドに上げといてくれ~♡」
というエピソードがあり、国旗デザインが決定したと言われている、というのはおれが今考えた妄想なんだけれど、
ほんとこれぐらいユルいノリで作られてそう。
果たして…??
ダホメ王国国旗の由来と、その信ぴょう性について
実際のところ、どういった経緯でこの国旗が制定されたのか、正確ないきさつが記されているわけではないのだが、一説によると象は力を、そして王冠は王国の富や名誉を表しているとのこと。
国王の意思がそのまま政治に反映される「専制君主体制」をとっていた国なので、王様の権力の象徴としてこのデザインが採用されたのだろう。
また、国旗デザインについては諸説あり、本当に先述の国旗が当時の「正式なデザインとして」使われていたのかどうか、それ自体を疑問視する声も上がっている。
というのも、ダホメ王国が栄えたのは1600年ごろである。
複合機も無かった時代に、この国旗の象のような、細かな曲線のあるデザインを狂いなく模写することは不可能に近い。
もしかしたら「赤枠に王冠をかぶった象の絵」という大まかなデザインのみが決められていて、
描く人それぞれで象の絵や王冠の位置は変わったりしていたのではないか?
という説もあるみたい。
こちらのブログ記事によると、
・上述のデザインの出どころはアメリカの国旗専門店であり、公式なデザインであるという証明はどこにもない。
・ダホメ王国の国旗を販売しようとした人が、適当なペイントツールを使用してなんとなーくで再現したものが、あたかも公式のデザインかのように世界中に広まったのでは?
というような考察がされていた。
その証拠に、当時のダホメ王国を描いた壁画に描かれている国旗デザインは、現代のモノとは少し違って見えるとのこと。
もしこの説が本当なのであれば、一国の国旗デザインの認識さえも変えてしまうインターネット社会の不確実性に、驚くばかりである。
嘘を嘘であると見抜ける人でないと(国旗鑑賞は)難しいということか…!!
気になって、自分でもいろいろ調べてみた。
日本で認識されているダホメ王国の国旗はほぼ先述のデザインであるのに対し、英語で「Dahomey Flag」と調べると、様々なデザインが出てきました。
ネット住人が面白がって描いた国旗デザインが独り歩きしている説、確かにあるかもな…!
▼もうちょっとちゃんとしたデザインのぞうさんバージョン(どこかフリー素材っぽいけど)
▼Reddit (欧米版2ちゃん)で開催されていた、ダホメ国旗大喜利スレのなかの一枚。
もしかしたら1000年後には、このデザインがダホメの国旗だったと世界に認識されているかもしれません。
実は恐ろしい国、ダホメ王国【奴隷貿易大国】
そんな、国旗を巡る話題に事欠かないダホメ王国。
しかし調べてみるとこの国、かわいい国旗デザインとはうって変わって、
なかなかにエグい歴史を持つ国であるということが分かった。
というのも、このダホメ王国こそがアメリカ大陸へ奴隷を送り続けた、アフリカの「奴隷貿易大国」であったからである。
ダホメ王国の建国は1605年ごろで、アジャ人と呼ばれる民族が、現在のアフリカ・ベナン周辺の内陸部一帯を制圧し、領土を広げて王国を作り上げたのが始まりとされている。
国は、君主制とよばれる王様に絶対的権力がある政治体制で運営され、
王の意思が法律であり、国民の命も財産も王様の私有物であるという考えの下、恐怖政治が敷かれていた。
王様がこの独裁体制を維持するためには、強い軍隊を持つ必要があった。
そこで目を付けたのが、奴隷貿易である。
ダホメ王国はまず周辺の小国に次々に戦争を仕掛け、征服。
そして、その戦争で捕えた捕虜たちを、当時アメリカ大陸開拓を目指して労働力を欲していたヨーロッパ人たちに「輸出」し、
その対価として、欧州産の最新鋭のライフルや火器を輸入するという方法で軍備を拡張していったのである。
国が強くなれば、さらに大きな国を侵略して、その捕虜を奴隷にして、さらに武器を買う…
そんな奴隷貿易を主軸にしたサイクルを繰り返し、繁栄していったダホメ王国。
しかし、ヨーロッパ人に媚び、同じアフリカ人を文字通り「売る」ようなやり方で、周辺国から反感を買わないはずがなく、ついには天罰が下る事となる。
19世紀にはいると、世界的な奴隷制廃止運動の流れによりダホメ王国の財政基盤が揺らぎ始め、ついに1890年ごろ、ダホメ王国はフランスによって征服されるのだが。
このとき任務にあたったフランス軍はフランス人ではなく、
なんとほとんどが、ダホメ王国の奴隷狩りに怯えていた、周辺国出身の人々によって構成されていたというのだ!
ダホメ王国による長年の奴隷貿易に対する周辺国の怒りを、フランス軍がうまく利用したような形だ。
こうして植民地になったダホメ王国は、1960年までフランス統治時代を過ごし、独立。
しかし1972年にクーデターで国家転覆、ベナン人民共和国として社会主義政権が発足。
1990年に現在のベナン共和国が誕生し、現在は民主的で安定した平和な国になっている。
まとめ
こえ~…
かわいい国旗とは裏腹に、無茶苦茶なことやってブイブイ言わせてた国なんだな…
全盛期には女性特殊部隊も整えるなど、軍事大国であったダホメ王国。
もしかしたら、そんな恐怖政治の実態をマイルドに隠すために、あんな国旗を採用したのでは…!?(違)
まぁダホメ王国としても、列強大国と渡り合うために国を強くし続ける必要があって、
そんな彼らを利用して、奴隷貿易で使えるだけ使って、最後は同じアフリカ人同士戦わせて全部侵略!(゚∀゚)ヨシ!
っていう、ヨーロッパ人たちのやり方が一番怖い気もするな…
以上、国旗から興味を持ったダホメ王国のお話でした。
また気になる国旗があったら、その国についていろいろ調べてみたいと思います。
そんなところです。
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