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政治的発言はしないほうが良いの?世界を旅して感じた日本と海外・若者の政治への意識の話。

2022年3月7日

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
日々の思ったことを思ったままに語るブログだよ!

2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻のニュースが飛び込んできた。

以前からウクライナ東部に配置されていたロシア軍隊が活発に活動している様子は報道されていたし、

ウクライナ人一般市民たちが、もしもの時に備えて軍事訓練を受けている様子なども報じられていて、緊張が高まっていたわけではあるが、

正直、ただのパフォーマンスだろうと感じていた自分がいる。

本当にロシア軍が攻撃を開始するとは、自分も含め多くの人が思ってもいなかったんじゃないだろうか。


改めて世界はまだまだ物理的な力に支配されている現状を痛感したし、僕たちが生きている平和な世界は当たり前ではないという事を実感させられた。

もちろんロシアの侵略に関しては肯定の余地はなく、個人的にも今回の武力侵攻に断固反対の考えであるけれど、

弱者であるウクライナ側に対して、「無駄な血を流さず降伏すべき」というような意見にだけは賛成できないと感じた。

ウクライナがNATO加盟を諦め、ロシア側に付けば戦争は起こらなかったのだろうけれど、

それは彼らのアイデンティティそのものを否定する行為。

命に代えてでも未来の子供達のために守るべき自国の独立のために、彼らは血を流している。

そんなことを考えると、ウクライナの人々に対して気軽に「命を守るために抵抗はするな!」と呼びかけるのは違う気がして、

そう考えると簡単に「戦争反対」を叫ぶことにもどこか机上の空論に思えて、いろいろと考えさせられた。

そんなひっ迫した世界情勢ではあるけれど、 今回考えたいのはこの戦争そのものについてではなく、

こういった有事の際に毎度感じる違和感について。

それは、日本独特の「政治の話を煙たがる風潮」のこと。

ずっと前からなんとなくもやもやしていたので、世界を旅していた時の経験なども踏まえつつ、

考えをまとめて書いてみたいなーと思う。

政治の話題を控える日本人の若者たち

「政治的発言は嫌われるからしないほうが良いよ」

仲の良い友達から言われた言葉だ。

僕は主に国際問題系の話題に関して、上の引用ツイートのように意見を発信することがよくある。

そんな僕に対し、「フォロワーが減るからやめとけー」と友達。

僕は、細々ではあるが音楽活動をしていているので、他人からのイメージを大事にすべきだよって意味で親身になってくれているのは分かるんだけれど、

「おかしいのはおれの方なの?政治的発言がしづらい社会の方が、おかしいんじゃないの?」

って気持ちが正直あった。

そう、SNSで政治発言をした芸能人なんかがよく干されるように、我々は極端に政治の話を避ける傾向がある。

旅をしてきて、世界の若者たちとコミュニケーションをとってきた経験から、

特に日本人は、自分の意見を発信する事、主張する事は恥ずかしいと感じる人が異様に多い気がする。

もちろん、僕の発言に対して反対の思想を持つ人にとっては目障りな発言に写るかもしれない。

例えば、自民党支持者に対して「自民党はクソだ!」といえば、そりゃその相手からは嫌われるのは理解できる。

そういう反対意見がある可能性は承知の上、書いているわけだけれど、

そうではなくただ、「政治的発言自体が嫌われるから」つつしめ、というのはなんか腑に落ちない。

こういった空気感はなぜ生まれるのか?

なぜ日本人は「主張する事」をこうも恥ずかしがるのか?


そんなことを考えてみる。

世界一周の旅で感じた、若者達の政治への意識。

かくいう僕も、昔は政治や国際情勢に関して、極力自分の主張を話したりするのは避けてきた。

だれかと喧嘩になるのも嫌だし、まじめに世界の事を語ったりするのって、なんか意識高い系みたいで気恥ずかしかったからだ。

しかし、そういう考えは数年前に経験した世界一周の旅を経て、変わった。

海外の人々、特に若者たちは、政治の話を本当に積極的に話題にあげるからだ。

そんな彼らとコミュニケーションを取る時、自分の国が置かれている状況についてすら意見を言えない自分に気づいて、次第にそんな自分の方が恥ずかしくなった。

旅中は、ドミトリータイプ(ベッドが何台も並んだ合宿所みたいなゲストハウス)の安宿に宿泊することが多かったので、毎度、世界中の旅人たちと話をする。

僕が日本人だと知ると、彼らは本当に「今日のご飯何食べたの?」ぐらいのノリで、日本が関係する政治の話題を口にする。

そして必ず、

「日本人と韓国人は仲が悪いって聞いたけど、君はどう思っているの?」

「原子力爆弾が落とされたことに関して、君はアメリカをどう思っているの?」


などなど、「What do you think?」と個人的な意見を問いかけられる。

初めてそう問われた時、僕は混乱した。

確かに日本と韓国は政治上、仲が悪い。その歴史的背景や現状を説明することは出来るだろうけれど、

僕自身は彼らをどう思っているのか。

そんなこと、今までの人生で説明したことが無かった。

全く答えが出て来ずに、あはは…と適当に愛想笑いをしてしまい、とても悔しかったのを覚えている。

この時の僕は無意識に「正しい答え」を導き出そうと必死だった気がする。

しかし、国際情勢や政治に「100%正しい答え」は存在しない。

彼らはそれを理解したうえで、一人の日本人がどう感じどう思っているのか、純粋に興味があって聞いていただけなのだ。

僕ら日本人の心の奥底にはびこる「主張することは恥ずかしい事」という観念が、その単純な問いに対する答えを邪魔していた。

その無駄な羞恥心の原因は、「間違わないよう」生きてきた僕たちの社会にあると思う。

出る杭を打ち、間違いを許さない日本独特の文化が原因?

僕たち日本人は、答えはいつも一つだと考えすぎていないだろうか?

よく学校教育において、諸外国が「個人で考え、それぞれの答えを導き出す」教育なのに対して、

日本は「みんな一緒の答え」を大事にする教育である、なんてことが言われている。

例えば、諸外国のテストでは「□×□=100」という風に、答えがいくつも存在する問題が一般的なのに対して、

日本では基本的に「10×10=□」と一つの答えを求めさせる。

また、日本は海外に比べてディベートや自己表現の授業が少なく、厳しい校則や部活の上下関係もあって、他人との違いを主張する機会の少ない教育体系であると思う。

いかに和を乱さずに自身を正解に当てはめ続け、社会に適応できる人材を量産できるか、そういった点に重きが置かれたシステム。

そんな社会の中で育ったことで、政治や国際情勢に関しても「答えが一つである」と錯覚し、

「自分の意見が間違っていたらどうしよう。」


という意識のブレーキがかかってしまうのではないか。

そうした意識を大多数の人々が持つ中で、たまに意見を発言する人がでてくると、

「 正解が明確でない問題に勝手に答えを出そうとしている。危険な考えだ。」

と、出る杭は打たれるように、敬遠する雰囲気が出来上がるのかもしれない。

もちろん僕自身、未熟な見識から導き出した個人的な考えであって、

的を得ていないことだってあるだろうし、後でこれは間違っていたかも、と思うことだってよくある。

それに、全員が全員、政治的発言をしろとか思ってるわけでは無く、

自分は国際情勢に興味が無いから発信しない、どちらにも賛同できないから沈黙する、

などの選択肢はそれはそれで尊重されるべきだと思う。

しかし、自分の意見があるならばそれを主張することは普通の事であってほしいし、

「主張することが恥ずかしい事」と委縮してしまったり、

自己主張する人を「和を乱す危険人物」かのように捉える、日本社会の空気感はやはり違う気がするのだ。

チームワークを重んじ、全員が一つの考え方を持って集団で動ける特徴こそ、我々日本人の強みでもあるわけだけれど、今や答えが一つしかない問題や仕事は、AIが解決してくれる時代。

その先の、なぜそうなるのか?自分はどう考えるのか?という答えのでない問題・自分だけにしか出せない答えを導き出す力こそ、

これからの世界を生きる上で求められることではないか、と僕は考える。

“主張する自由を奪われる恐怖"香港人彼女の存在

世界のスタンダードに触れて、「主張する事は恥ずかしい事ではない」と認識できた僕だけれど、

もう一つその価値観を深めたのが、香港人彼女との出会いだ。

現在日本では、当たり前に国際情勢について個人的見解を発信したり、政府が間違った政治をしているようならそれを批判できる環境がある。

しかし、自分の考えを主張できる事は決して当たり前の事ではない。

ある日突然、そんな自由が奪われる時が来るかもしれないのだ。

彼女の出身地、香港も元々は「思想や発言の自由」を保証された街だった。

しかし、日本でも市民によるデモの報道が大きく報道されていたように、2019年ごろから中国共産党による香港への人権抑圧が加速。

香港人たちは皆自らの権利のために平和的手段で政府と戦っていたが、遂に鎮圧され、

2020年、中国共産党に批判的な人物をいとも簡単に逮捕できる、独裁的な法律を敷かれてしまった。

これまでは日本人と同じように、あたりまえに自身の考えを世界に発信することが出来ていた香港人たちは、

ある日突然、大国によってその自由を奪われてしまったのだ。

どこか、現在のウクライナの現状に重なる部分がある。

彼女はよく、「政治には常に興味を持っておけ。必ず選挙には行け。」と言っている。

自分たちでこの国の在り方を考え、自分たちの主張で未来を変えられる環境というのは、

実はとても尊いものなのだ。

この国には僕たち国民に主権があるのだという事を常に意識して社会を見据え、この当たり前を未来に引き継いでいく責任が、現在の僕たちにはある気がする。

そう、自由は奪われてからでは、遅すぎるのだ。

まとめ

以上、日本社会に浸透する「政治の話はタブー」な空気感について、考察してみました。

もちろん常に政治をチェックし、国際情勢に胸を痛めて生きろとか、そういう極端な話ではないのだ。

気疲れしない程度に自分で考え、自分の中での答えが出たなら、気負いすることなく主張すべきだな~とか、

今のウクライナ情勢を見ていて、なんとなく思った次第である。

やはりこういう話をもっとフランクに、カジュアルに出来る環境が今の日本には必要な気がした。

そのためにはやっぱ芸能人やアーティストが、もっと自身の意見を発信していってほしいな。

変なタブー論に踊らされることなく。

思考停止が推奨される変な文化を捨て去って、日本をよりよい国に、住みやすい国にしていきたいな~と、

そんなことを考えました。


そんなところです。



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