心の停滞と引越しの話
7月に引っ越しをしたときの気持ちを書き綴っておく。
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約2年半住んだシェアハウスを出る事となった。
2年半前、世界一周を終えて、日本に帰国後、ちょっと東京で住んでみるか。くらいのものすごい軽い気持ちで、スーツケース一つにギターだけでバスタ新宿に降り立った。
部屋も何も決めてなかったけれど、格安物件、東京、と調べて出てきたそのシェアハウスは、光熱費込みで家賃25000円という恐ろしい安さの物件だった。
絶対何か裏があるはずだ、と疑いながらも、旅中野宿ばかりしていたせいで
(シャワー浴びれてベットがあれば何でもいいや)
という野生的な感性になっていた事も後押しして、ためらいもなく記載されていた電話番号を押した。
初めて訪れた羽田空港に近い小さな街の、駅から徒歩五分という良アクセスなそのシェアハウス。
恐る恐る扉を開けると、見た目強面の管理人のキョウさんが迎えてくれた。
部屋は想像通り小さく、四人ベッドのドミトリータイプ。
他の部屋の人たちも合わせると18人ほどで風呂トイレをシェアするという、普通の日本人の暮らしをしてきた人なら頭がおかしくなりそうな環境だったけれど、
そのラフな雰囲気と小さな商店街で賑わう街の雰囲気、そして話してみると不思議な魅力のあるキョウさんの人柄にも何かしっくりくるものがあって、その場で住ませてください、とお願いした。
あの時の、何かここに呼ばれていた感は、今も鮮明に残っていて。
なにかひらめきを感じる時がたまにある。
なんかここに住むと、面白い東京ライフが待っている気がする、 そんな直感は結果として当たっていたと言える。
僕が入居時にはオープン直後だったそのシェアハウスは、そこから次から次へと新しいシェアメイトたちがやってきた。
俳優志望のフリーターや世界放浪中の旅人、起業家志望の大学生から自称パイロットの外国人まで、一度の人生で見てもここまで幅広い人間と出会う事はもうないんじゃないか、と思うような、様々なジャンルの人々が入居しては去っていった。
その値段の安さから、大学生くらいの年代の若者が多かったけれど、それぞれが人生をかけて取り組みたい好きなものを持っている、志の高い人たちが多くて、
そんな人達の情熱の対象について話を聞くのはとても面白かった。
自分も、旅を通して好きなことに正直に、そしてまじめに取り組んでいくことの素晴らしさを実感した。
音楽を通しての表現がやはり好きなんだと実感し(お金になるならないは別にして)、これをずっとやっていくんだ、と、旅を終えてやっと確信できたのだけれど。
混ざり気もなく誇りを持って自分の好きなものを語れる若者たちを見ると、自分も学生時代からこんな環境に身を置いていたかった、なんて羨ましくも思った。
毎晩、第三のビールで乾杯してはふざけたり熱く語ったりして盛り上がって、二段ベッドが二つ置かれた同じ部屋で眠る。
まるで学生時代の終わらない合宿のようだった。
もちろん共同生活特有の嫌なこともたくさんあった。
いびきや匂い、騒音なんかはお互い様、意見の食い違いから口論になったりもした。
格安物件らしく問題児も多く、先に書いた自称パイロットのチュニジア人は日本人に対して差別的な暴言を吐いたりルール無視が多く、家賃滞納も常だった(絶対パイロットじゃない。)。
そいつは挙句の果てには、退去後シェアハウスからお金を脅しとろうと脅迫文を送ってきて、警察ごとになったりもした。
しかしそんな経験をするたびに、人への過度な期待は身を滅ぼすだけだということを知ったし、意見の強要は誰に対しても絶対に出来ないことだと知った。
他人は他人で、自分にはコントロールできない。
その事実を理解して、誰かにこうしてもらいたいとか、普通の感覚ならこうすべきだとか、相手に行動に期待することをやめると、そんな問題児に出会っても
まぁこんな人もいるか。
くらいに流せるようになった。
シェアハウスという小さな社会の中で、自分の理性と感情をいかにコントロールすべきか、学んだ気がする。
様々な人たちと話す中で、日々成長も感じていた。
そんな、自分にとって”住む場所”以上の価値を得ることができていたこの場所を去ることになった。
理由は、そのシェアハウスが、その町が、何を迷うこともなく安定して暮らせるようになってきたから、の様な気もするし
もしかしたら新しく出会う人や、イベントなんかに前みたいに熱くなれない自分がいる事が怖くなったのかもしれない。
なにもかも安定してできる様になったからこそ、自分の人生に怠けがちになってしまうような、ぬるま湯にも似た、熱意に目を背けた薄い満足感を感じたからかもしれない。
心が停滞するのは怖い。
2年住んだあたりから、夜、次々と住人たちが帰って来ても、「この人にこんな話を聞いてみたい!」だとか「こんなテーマについて話してみたい」なんて気持ちが薄れてきたような気がする。
ビール飲んで一人で動画見てる方がいいや、なんてそんな事を考える様になっていた。
シェアハウスが開業して、もう2年経って。
人もコロコロ入れ替わるんだけれど、だんだんと残っていくメンバーは固定されて来て。
自分がその固定メンバーの筆頭であるのを棚に上げて、「最近面白い奴が入ってこないなぁ。」などと、そのやけに冷めた心を周りの人のせいにしていた気がするが。
実は、この街で、生きる自分自身がゆっくりと、この街に、ここから見える景色だけに固執してきていたのかもしれない。
それはまるで、軽く触れた粘着質にゆっくりとゆっくりと、もがけばもがくほど沈み込んでいくネズミ捕りのネズミのような気分。
はやく出なきゃいけない、とは本能的に感じても、体温に合わせたようなぬるま湯に体は浸りきってしまっていて、外の世界に出ることがおっくうで仕方なかった。
もう限界だ、と思った。
そんな時、同じシェアハウスに住んでいる彼女から、「そろそろ引っ越す?」と、全て悟ったようで、なにも知らないようで、話があった。
自分一人で打開できないくらいに重くなっていた心がハッと閃いた。
引っ越そう!もう来月にしよう!すぐにでも部屋を探そう!
とすがるようにその話に乗って。
二人で調べて、今住んでいるところとは全く毛色の違う大型のシェアハウスに決めた。
いつでもまた動けるように、荷物はなるべく持ちたくなくて、家電なんか全部共用で使えるシェアハウスがよかった。
また何か素敵な出会いにも期待しつつ。
引越し当日の朝。
荷物をまとめて、部屋を綺麗に掃除して、ほんじゃ!また来るわ!とサッパリと軽く話を交わしてシェアハウスを出た。
なんか忘れてる気がして、ちょっと怖くなりながらも、振り返ったり、引き戻ったりはしない。
二人分の荷物を積んだレンタカーで街を通り過ぎて、流れていく街の景色にいろんなことを思った。
あの時、馬鹿みたいにタクシーと走りでどちらが早くシェアハウスに帰れるか競争した道だ、とか、行きつけのインドカレー屋のマスター元気かな、とか。
車内のBGMはandymoriのハッピーエンド。
いつも、サヨナラの時はこの歌を聴いている。
”これでハッピーエンドなんだ”
大声で歌った。
その時やっと、胸の中が熱くなって、あぁ、サヨナラなんだな、なんておもった。
新しい場所に映る希望の日なのに、やっぱり、慣れ親しんだ街がどんどん通り過ぎて行って、最後にみんなが開いてくれたパーティで話した内容、始めてここに来た時のこと、ふざけて歌ったメロディ、言われて傷ついたことや嬉しかったこと、いろいろ思い出して。
こんなに好きになれる人たちに出会えてよかったな、と強く感じた。
そしてやっぱり、寂しいな、と思った。
旅中、次から次へと街を移動していくうちに、こういう住み慣れた場所を離れる時のセンチメンタルな気持ちは忘れてしまっていた気がしていたけど。
いくつになっても青いなぁ、なんて思った。
そして、これからもずっと、こうして旅をするように、生きていたいと思った。
もちろんさみしいんだけれど、すごく前向きに、その胸の痛みを捉えていた。
また新しい世界を見にいくんだ。常に好奇心のままに、心を軽くして、靴を鳴らして行きたいところへ行きたい。
今日はまたその新しい第一歩のような気がしている。
サヨナラカーブを曲がる。
新しい街での生活に、また光を見いだすんだ。
そんなことを思ったりしながら。
そんなところです。
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