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【バンプ世代ど真ん中】あの頃の僕たちにとって、BUMP OF CHICKENとは何だったのか?って話。

2021年12月10日

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
旅や音楽、日々のどうでもいい事について語るブログだよ!

今日は、バンプ世代について語っていこうと思う!

そう、あの厨二ロックの教祖とも言える存在、

BUMP OF CHICKEN (バンプ・オブ・チキン)

に青春時代を毒された世代についてである。

あ、でもちょっと待って。

一言にバンプ世代と言ってもこのバンド、永遠の厨二バンドすぎて、

ファンの年齢層が広すぎるから注意だな。

この記事にあるように、バンプは永遠に若い世代に支持され続けている。

それもそのはずだ。俺たちのバンプも今年で結成25年。

永遠の中学二年生、藤君も42歳でこのあいだ結婚したってよ。

まじかよ。信じられねぇよ。愛しかないとか思っちゃうヤバイ。

かと思えばチャマは不倫騒動で文春砲被弾してるし。一体どうなってんだよ。

このようにバンプ世代と言っても幅広い年齢層の人が当てはまるのかもしれないが、ごめん。

『俺もray聴いて育ちました!』

とか言われてもおじさんちょっとわかんない。

この記事で語るバンプ世代とは、初期のバンプを聴いて大人になった人々を指す。

まだBUMPが宇宙に飛び立っちまう前、

望遠鏡を覗き込んで空を見上げては綾波レイに恋い焦がれ、大言壮語ばかり吐いていたあの頃。

具体的に言うと、ユグドラシルぐらいまでのアルバムを聴いて育った世代の事を書いている。

年齢で言うと、今の30代くらいか。

この頃の僕たちにとって、バンプオブチキンとは何だったのだろうか。

そんな話を、当時の事など思い返しながら書き綴ってみたいと思う。

あの頃の僕らにとって、バンプはアイデンティティそのものだった。

あの頃、僕達はあがいていた。

生まれた瞬間から日本は不景気で、社会全体には常にどんよりとした空気感が漂っていた。

未来には夢も希望もない、それがあたりまえな時代。

世間からは活力のないゆとり世代と馬鹿にされ、

『そうじゃねぇよ!』って反論したくても、SNSは普及前で個人を主張するツールもない。

TVやインターネットからとめどなく発信されるトレンドの波、

流行のファッションやヒットチャートに振り回される大人たちを、白けた表情でただ見つめるだけの毎日。

それでも、高校あたりから若者の間でも持つのが普通になってきたケータイの存在もあって、

社会からは常に”繋がる”ことを求め続けられた。

ニコニコと気持ち悪い笑みを浮かべる顔文字を画面に入力するたび、

『本当のおれって、どんな表情がしたいんだったっけ・・・』

と、自分の中の二面性に戸惑い、そして疲れていた。


まるで、何者にもなれずに、ただただうすぼんやりと白濁していく自分の人生を、

ひとごとみたいに俯瞰して見ているような感覚。


そんな時代に、バンプは颯爽と現れた。

当時、圧倒的に社会的地位の低かったオタクカルチャーのアイコン・”綾波レイ”への想いをなんの恥ずかしげもなく歌い、

正解不正解の判断は自分だけに許された権利。


であると、自分の好きな事は自分で決めていいのだと叫んだ。

そして、繋がり・外向性を求める社会の中で、バンプは常に個人の内面について歌い続けた。

当時のヒットチャートシーンであふれかえっていた、

『あなただけを愛してる』だとか『君は一人じゃない』なんて誰かに対しての感情は歌わず、

本当の自分、それだけをギュッと抱えて離すな


と自分自身に対してのメッセージを、まるで孤独を肯定するかのように歌い、

だれかとの繋がりじゃなく、内側の自分との繋がりを歌った。

コピペしたような顔文字じゃなく、その奥の奥に隠した、醜くてかっこ悪い本当の自分を、

それでも大切に持っていて良いのだと、教えてくれた。

『あぁ、これだよ、』

って思った。今、おれ達が言いたかったことはこういう事なんだよって。

この世代の僕たちが抱えていた、大人には理解されない葛藤や苦しみ、

そして主張したかった想いの全てを、バンプが代弁してくれていたのだ。

そう、あの頃、バンプの音楽は僕らの存在証明だったんだ。

なぜ陰キャのみがバンプ厨に?

そんな、当時の若者の心の代弁者であったバンプ。

僕の認識では、当時バンプを聴いていたやつは99%が陰キャだった。

なぜかクラスの地味なヤツらばかりが、街灯に群がる虫のようにひっそりこそこそとバンプにハマっていくのだった。

僕の経験上ではあるが、クラスの中心で『うぇーい!』と盛り上がっている奴らにバンプが好きって人は一人もいなかった。

彼らが作り上げるクラスの雰囲気になじめず、締め出されるようにベランダで昼休憩を過ごしているような、

そんな陰キャぼっちのみが、バンプを聴いていたのだ。(あぁ、僕の事だ)

しかしなぜ、陰キャだけがバンプにハマっていたのか。

流行はみんなで追うものだった時代に、こうも好き嫌いが分かれた原因は何だったのかを考察してみる。

オタクっぽかった。

一つには、バンプのイメージが『オタクっぽかった』のが原因だろう。

『タイプは藤くん』なんて言われるくらいのBUMP=かっこいいイメージが出来上がったのは、割と後になってからな気がする。

一番初期のころのバンプは、とにかくオタクっぽかった

当時は、EXILEみたいな金髪剃り込みなオラオラ系や、ストリートなファッションのHIPHOPが流行っていた時代である。

また、バンドと言えば175ライダーとかロードオブメジャーとか、ちょっとやんちゃな奴らがやってるイメージがあった。

この頃のミュージシャンって言うと、なんか全体的に派手だった。

そんな時に、ひょろひょろ体型で目が隠れるほどやぼったく伸ばした髪パッとしないネルシャツGパン

そんな見るからに陰キャなやつらが現れて、綾波レイの事を歌いだしたのだ。

今なら、アーティストがアニオタってケースもよく聞くし、そこまでマイナスイメージはないけれど、

当時はオタクってだけで同じ人間じゃないってくらいに気持ち悪がられていた。

その頃の陽キャたちが、

『バンプってなんかキモい…。これは俺達が聴くべき音楽じゃない。』

とバンプを避けていたことは容易に想像できる。

ある意味、現在オタクや陰キャが市民権を得られているのは、

バンプがこういったイメージを覆す新しいかっこよさを、世に示してくれたおかげなのかもしれない。



内向的な歌詞。


二つ目の理由は、その歌詞にあると思う。

バンプの歌詞は、社会的に承認されていない、残念な人たちに響きやすい特徴があると思う。

藤原基央の作る歌詞のコンセプトは、今も昔も一貫している。

それは、”弱い自分との対話だ。

人に見せられない弱い自分を殺さないでほしい。

どれだけ社会から見放されても、自分だけは自分を見捨てないでほしい。

そんなメッセージが、どの曲にも込められている、と僕は思っている。

自分の内面を自分自身が認め、存在証明する。

それは、社会の中で、うまく本当の自分を表現できない人たちがたどり着く最終手段であり、

まるで自己完結で承認欲求を満たしているような、ある種オナニー的な虚しさがある。

そう、普段から社会になじみ、本当の自分を実社会の中で存在証明できる人ならば、

そんなむなしさを感じながら自己処理をする必要なんてないのだ。

本当の自分をさらけ出すのが怖くて、常に取り繕っちゃうような奴だけが必要とする音楽

それが、あの頃の僕らにとっての、バンプだったのだ。

バンプが、あの頃の僕らに与えたもの。

そんな、陰キャぼっちの心のよりどころだったバンプオブチキン。

バンプが当時の僕たちに教えてくれたものとはなんだったか。

そしてその後の人生の何を変えたのか。

僕の過去も思い出しながら書いてみたい。

『有名=良い』ではない。

当時のバンプは『俺達はブラウン管で評価されたくない』と主張して頑なにTV出演を避けていた。

まさにアンダーグラウンドを地で行くタイプ。

まだまだTVが人々のおもな情報源だったあの頃、

『TVに出ていない』=『人気がない大したことのないバンド』

という認識が、世間にはあった。

しかし、少しずつ普及していたネットの存在にも後押しされ、

『有名だから良いってわけじゃない』
『流行を追う必要はない。自分の好きなものは自分で選ぶ。』


って認識に変わってきたのもこの頃。

ネットをやらない大人たちが絶対に知らないアンダーグラウンド、

そこで爆音を鳴らし続けるバンプこそが、当時の僕たちにとって、

流行に流されない新しい生き方を象徴する存在であったように感じる。

オタクかっこいい。陰キャに市民権。

上でも触れたが、バンプオブチキンは陰キャ達の希望のランプのような存在だった。

今でこそ、星野源みたいな地味系男子がモテたり(ごめん)、ちょっと拗らせたサブカル系バンドが人気がでたりと、いろんな個性が認められているが。

2000年代初頭というと、みんなに支持される人物像と言うのは、決まっていたように感じる。

学校でも、だいたいホストみたいな髪のイケメンか、ワル系の筋肉質、お笑い芸人みたいにテンション高いやつの3タイプ。

彼らがクラスの上層を占め、そんなキャラを演じられなかった奴らは、ただの取り巻きに変わる。

そんな分かりやすい構図の社会の中で、バンプが現れた。

アニメ好きを公言し、内向的な歌詞で陰キャの心を歌い、そしてそれがとにかく、雰囲気があってカッコよかった。

次第に、藤原基央みたいな人を好きだという女の子が増えてきた。

そして、時代が変わった。

ひょろくてちょっと影があって、

『こんな世界は嫌いだ!何も見たくない!』

と言わんばかりの目が隠れるくらいの長い前髪。

陰キャ達はこぞって、こんな感じの、量産型藤原基央へと変貌を遂げていった。

僕も、慌ててエヴァを見た。

二次元に恋をする。そんな自分に恋をしていたのかもしれない。

そう、当時の陰キャ達はみんな、バンプという立ち位置に、活路を見出そうとしていたのだ。

現代まで続く黒髪ボブのアーティスティックなバンドマン像は、まさにこの時、始まったのだ。

…あぁ、分かっている。結局型にはまってしまっている。ただの馬鹿だ。

そして完全にこじらせている。厨二感がキモい。うんうんわかるわかる。

だが、それでもなお当時の僕らには、バンプという立ち位置こそが、僕たちのポジションであると信じて疑わなかった。

TVの中のきらびやかなシンガーや、うるさいお笑い芸人と比べたら、

ずいぶんと自分らしく、感じていたのだ。



陰キャのバンドマン化。

藤原基央になりたかった陰キャ達は、ファッションだけに飽き足らず、ついにはバンドを始めだす

どいつもこいつも黄色のレスポールを買っては4ピースバンドを組んで、音楽に熱狂していった。

かくいう僕もそのうちの一人。

車輪の歌が好きすぎて、自分でも歌いたくてアコギを買ったのが、音楽を始めたきっかけだった。

その後、バンドを組んだり、路上ライブで旅をしたりしながら、20年近くたった現在も続けているのだから、

まさに文字通りバンプは”僕の人生を変えたバンド”である。


実際、こちらの全国のライブハウスの公演本数の統計データによると、

バンプがデビューアルバム『FLAME VEIN』を発表したばかりの1999年には、全国のライブ公演数は9,500本程度だったのに対し、

2000年以降この数が増え続け、『ユグドラシル』発表後の2005年で13,982本、2010年には18,112本と、10年で2倍。急激に増加している。

このデータは、データ提供元の会員のみから抽出したものなので包括的な数ではなく、

第一に、増加の要因がバンプであると断定できるわけでも決してないのだけれど。

少なくとも当時の若者が『バンドやりたい』と思った要因の一つに、

バンプが先陣を切って切り開いた新しいバンドマン像の存在があることは確かだろう。

実際に自分自身がバンプに影響を受けてバンドを始め、

現在まで音楽の沼につかりきっている存在なので、そう確信している。

このほか、有名なアーティストだとRADWIMPS米津玄師などが、若い頃にバンプに影響を受けていると公言しているようだ。

バンプが現代の音楽シーンに与えたインパクトは計り知れない。



以上。

バンプとともに歩んだ僕たちの青春時代と、その後の人生に与えた影響について、まとめてみました。

今回の記事を書いたのは、以前、andymoriのアルバムについて記事を書いたことがきっかけだった。



大学卒業から社会人にかけて、andymoriが僕の人生の中での転機に大きくかかわってきていて、

(それじゃあ、もっと前。例えば音楽を始めるきっかけになったバンドってなんだ?)

と思い返してみて、やはり一番最初に思い付いたのが、バンプだったのだ。

記事を書くにあたって、久々に『FLAME VEIN』から『ユグドラシル』までを聴いてみた。

中でも、僕は『太陽』という曲が好きだ。

僕は中学の時、クラスメイトにハブられていた経験がある。

その時の心の傷や人間不信の感覚を、ずっと引きずって殻に閉じこめ、

無理に表面で笑うような学生時代だった。

そんな時に、多くない友達の一人がユグドラシルを貸してくれた。

無理に『元気出せ』とも『君は大丈夫』とも言わずに、

こころの闇の中で、何も言わずに、ただ存在だけしてくれるだけのようなこの曲が、

何度も当時の自分を救ってくれたのを思い出した。

藤原基央の描く厨二な世界観、そして、心の奥の本当自分との対話。

間違いなく、高校時代に聴き込んだこれらの曲たちの存在が、

現在の自分を形成していると再確認した。(いいようにも、そして悪いようにも、だ。笑)

そして、ユグドラシル以降はなんとなく聴かなくなり、ずいぶんバンプから遠ざかってしまっていた僕だけれど、

試しに最近の曲も聴いてみた。

なんか、演奏とか音楽性はすごいすっきりと、スタイリッシュになった印象だけれど、

言っている事は今も一貫していて、すごいなって思った。


この曲がすごい好き。

…ってチャマおらんやんけ!

まぁ20年も経てば、いろんなことが起きるだろうけれど(例の件で活動休止して、また最近復帰したそうです。)、

このバンドの、このバンドにしか出せない存在感、主張できない事は、今もしっかりとそこにある気がした。

きっと、もし自分がまた10代に戻ったとしたなら、また性懲りもなくこのバンドを好きになって、

人生変えられちゃうんだろうな。

BUMP OF CHICKENは今も誰かの、青春ど真ん中。

きっとそんなバンドなんだと思う。


そんなところです。

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