インド、バラナシで死を想う話【メメント・モリ】
ナマステ!ぼっちシンガーです。
香川県出身、20代で路上ライブ世界一周、30代は東京で働きつつ音楽活動!
好きなことを好きなように鼻息荒く語るだけのブログだよ!
『メメント・モリ』という言葉がある。
ラテン語で「いつか死ぬことを忘れるな」みたいな意味らしく、
しばしば芸術作品のモチーフとして用いられる、ことわざ?というか信条?みたいな言葉である。
日本では写真家・藤原新也が1983に発表した、この言葉がタイトルにつけられたエッセイ集の存在があまりにも有名で、
そのサブタイトル「~死を想え~」という言葉が、日本語訳としては最もしっくり来る表現なのではなかろうか、と思う。
藤原新也氏がインドを旅した際の強烈なカルチャーショックを作品化したものなんだけれど、
同じく僕もインドを旅した時に、この言葉がすっと心に染み入ってくるような体験をしたことがあって。
今日はちょっとそんな話を書いてみたいと思う。
もくじ
ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。
藤原新也は、ガンジス川のほとりで焼かれた人間の屍をむさぼる野良犬を見て、そう表現した。
したいが道端に転がっていること、公衆の面前で雑に焼かれること、その亡骸が野良犬に食われること。
そんな光景、日本では30年生きてきて一度も見たことはない。
それらはすべて、日本では「あってはならないこと」だから。
しかし、ふと思う。
我々は死を、そしてその亡骸を野犬がむさぼる様を、なんのために隠すのだろうか?
死という得体も知れない「気持ち悪いもの」をほかの誰かに見せることは、恥ずかしいことなのだろうか?それとも、迷惑なことなのだろうか?
どうせいつかは、僕もあなたも、死ぬことになるのに?
この言葉には、そういう社会に浸透する暗黙の忌避の文化や、「人間はこうでなければならない」といった押しつけがましい道徳に対する挑戦のような、力強いメッセージ性を感じる。
インドでは、何も隠さない。
世間体もマナーもモラルもなく欲望に忠実に生きる詐欺師たち、ぐにゃりと曲がった奇形の足を武器に金を集める物乞い、譲り合いなんて皆無のクラクション鳴り響く交差点、そのど真ん中で野良牛がお昼寝。
汚いものも醜い感情も欲望も、すべて忠実に誠実に、旅人の視界に飛び込んでくる。
誰もが自分の思うがままに今日を生きていて、誰一人、自分が不幸だなんて思っていないかのように見える。
みんな真剣なのにどこかコミック漫画のように面白おかしくて、砂埃と基準値越えのPM2.5を肺いっぱいに吸い込めば、息をしてるだけでなぜか「生きてる」って感じる。
その気が遠くなるほどの「気楽さ」や、あきれるほどに生に忠実な生きざまの根源には、
死が隠されず身近に存在するインドだからこそ誰もが抱く「メメントモリ」の精神があるのかもしれない。
バラナシの路地裏でさっき踏んだ牛のふんの感触がまだ残るスニーカーで大混雑する通りを抜ければ、
日当たりのいい川沿いに出る。
「貧しい人たちの葬式のために君は薪代を寄付しなければならない。500ルピーだ。」
と付きまとってくる男を振り切りながら、小さなガートに腰を下ろす。
小さな焚火を囲んで、数人の男たちが作業をしている。
タンカに乗せられた、金色の布にくるまれた何かが運ばれてくる。
ここが火葬場である、と地球の歩き方で下調べしてきていなかったなら、
きっと一般的な日本人の誰もが、その金色の布にくるまれている物体が「人間」であることなど、
気づきもしないだろう。
神聖な儀式も説明もなく、なんのためらいもなく、その物体が焚火の上に乗せられる。
ただ淡々と、煙を上げて燃えていく布、次第にあらわになっていく足首、腕、そして顔。
子どもだ。
煙だけがただモクモクと勢いを増すだけで、周囲を囲む人々に悲鳴も嗚咽もなくごくごく無表情に、
まるで時が止まったガンジスの午後。
ただ、ずっと焚火のそばから離れない若い男の顔に流れる涙だけが、
その子が生きていたのだ、愛されていた一人の人間なのだという事実を、僕に突き付けてきていた。
燃えて焦げた人がクッソ汚い川に流れていく、その美しさ。
こんな火葬場の神聖な儀式の中でも、インドはすがすがしいほどに資本主義だ。
貧しい家の葬式ほど、火葬場を長時間レンタルしたり、多くの薪をくべる余裕がないため、遺体はいわば「生焼け」状態で処理される。(かといって「薪代を払え」と付きまとってくる火葬場詐欺師にお金を払っても無意味だ。たいてい、そいつと家族は全くの無関係で、そいつの懐に消えるだけ。)
その時も、燃えて焦げて黒くなって、しかしまだそれが子供だということは十分認識できる程度しか焼けていないのに、
「もう時間だ。次。」
と言うかのようにリーダー格の男が指示すると、グローブをはめた作業員がその物体を火から再度持ち上げて、
再びタンカに乗せては、ゆっくりと川の中へ。
緑とも茶色とも違うなにか化学的な色をした、ビニール袋やペットボトルや何かドロドロしたごみがプカプカ浮かぶ、聖なる大河・ガンガー。
腰の深さまで水に入った作業員たちがそっと手を放す。
ただ、ゆっくり、ゆっくりと、まるで巣で育った燕のひなが、恐る恐る、初めて空へ飛び立つ時みたいに。
彼はその透明度ゼロの水面から黒い表面を半分だけ浮かばせながら、流れては消えていった。
そんな、日本ではあってはならないようなあっけない作業的な誰かの一生の終焉に立ち合い、僕は思う。
なんと自然な光景だろう。
そんな風に思ったのだ。死ぬということは、生きることと同じくらいに、いたって自然な存在なんだ、と。
最初は、得体のしれない、気持ち悪いものを見るような気持ちだったのだけれど、
最後に残ったのは、不謹慎かもしれないが、すがすがしさと、美しさだった。
きっと、自分の人生の終焉も、こんな感じなのだろう、と思った。
壮大で果てしない旅の最後、かけがえのない一生を終えた僕の葬式の隣の部屋では、
寝ぼけ眼で「だるいな」なんて思いながら学校に行く少年や、テレビのモデルさんにあこがれて「自分なんて」と絶望する少女や、昔の夢をあきらめきれずにもがいてるおじさんがいて。
なんでもないように目覚まし時計が鳴って、なんでもない今日が始まるんだ。
所詮いつか死ぬ。死を想い、それに恐怖することなく、委縮することなく、
生を全うすれば、それでいいのだ。
僕はその瞬間、メメントモリを、荘厳で哲学的な難しい解釈でとらえるのではなく、
まるで「川の流れの先には海があるんだよ」ぐらいのごくごく簡単な、なんてことないイメージでかみしめることができた。
遺体がたった今流されていったその隣で、おじいさんが川に浸かってはその水をカップですくって口に含み、「ガラガラガラ!」とうがいを始めた。
生と死が同居するインド、バラナシで死を想うとき。
それは、暗く危険で得体も知れない恐ろしい存在であった「死」を、
ちょっとそこの角を曲がったところにある身近な存在として認識した体験でも、あった。
あの旅の体験を曲にしてみた。
そんな体験をした日をふと思い出して、曲ができました。
ライフイズビューティフル、きっと僕たちのすぐ目の前にはあっけない死がすぐそこで漂っていて、
僕がなにを言おうがなにを歌おうが、生きようが死のうが、
”しょせん誰もお前なんて見てやいないさ。”
と言わんばかりに社会も時間も過ぎていくから。
見た目とか人に嫌われないかとか笑われないかとか、そんなの気にしてる暇はないよ。
自分の人生を生きた方がいいよ。
まぁもしそれでどうしようもなくなって何もかもダメになってしまった時は、
ちょっとそこの道端でチャイでも飲もうぜ。
そんなメッセージが浮かんできました。
「メメント・モリ」って、僕にとってはそんな、死を肯定したうえで生をいかに最大限幸福に生きるか?っていう「幸福論」を説いた言葉だと考えるようになっていて、
そういう考えというか、感覚を音楽として、ひとつ作品に残せて満足しています。
よかったら聴いてね!
そんなところです。
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