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スマホのない時代の世界放浪の旅ってどんなんだったんだろう、と深夜特急を読みながら憧れる話。

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅などを経験し、現在は東京で音楽活動中。
旅と音楽、そのほか好きな事を鼻息荒く語るだけのブログだよ!

やばっ!!充電切れたっ!!!

先日の通勤中、いつものようにスマホ見ながら音楽聴こうとしたら、朝からまさかの電池0%に!

くっ…昨日充電コード刺し忘れてたのかな…

まぁいい。出来るビジネスエリートとはどんな逆境も楽しめるものなのだ。

おとなしく座っては静かに時が流れるのを待つ、たまにはそんな時間を過ごすことも必要だ。

目を閉じれば聞こえてくる、乗り降りの人の雑踏、息使い、世間話の声、

電車の音、差し込む朝日、そして流れ込むキンと冷えた冬の空気。

何と味わい深いことか。いつもスマホに夢中で気付いていなかった。僕たちの日常にはこんな美しい世界が広がっているのだ。

スティーブジョブズやエヴァン・ウィリアムスなど、世界のトップエリートが物を捨てて禅の世界を愛したのにも納得である。

よし、この感覚はぜひとも書き残してみんなにシェアしよう。

そして「ぼっちさん素敵!」「よっ!ビジネスエリート!」とちやほやされて承認欲求を存分に満たそう!ぐへへへ…

そんな、ブログには書けないようないやらしい思惑を携えて、さっそくスマホでTwitterをひらk・・・

やっぱスマホが無いと生きていけねぇ!!!

そんなで、おれはビジネスエリートにはなれそうもない事が判明した一件であった…



旅中に痛感した、スマホの重要性。

ギターと小さなナップサック一つで旅は出来るのだが…

よく「無人島に一つだけ持っていくなら何?」なんて質問がある。

では、あなたが世界一周の旅でたった一つだけ持ち物を選べるとしたら、なにを持っていくだろうか?

一眼レフカメラ?財布?バックパック?いや違う。

もちろん「夢や希望」でも「友情」でもでもない。(そんなモノはかさばるだけだ!空港で捨てていけ!)

そう、 たった一つだけ持っていくべき物、それはスマホである!!

これは100%間違いない。それを痛感したエピソードがある。

スペインを旅していた時の事だ。スマホを落としてバキバキに壊してしまった時があった。

その時、おれは思った。

「よし、これはいい機会だ。この際にスマホの無い旅を開始しよう!」

極貧生活のなか、大切なスマホを失ったのだからショックを受けるべき所であるが、なぜか当時のおれは燃えていた。

そのようにポジティブに切り替えられたのには理由があった。

当時のおれは「ミニマリズム」に目覚めていたからだ。

スマホを壊す前、スペインに到着する以前に、おれはありとあらゆるモノを失くしていた。

アフリカではキャッシュカードを盗られたが、全財産を失ったおかげで、開き直って路上ライブ旅をはじめるきっかけになった。

カメラはイスラエルで壊れた。パソコンはイタリアで売った。しかし特に困らなかった。

最終的にドイツで、背負っていたバックパックごと盗まれた。しかし身軽になったおかげで、ポルトガルの徒歩縦断旅にチャレンジできた。

なんだ、生きていくうえで必要なモノなんてほとんどないじゃないか。

むしろモノに縛られて、おれはいままでたくさんのチャンスを逃してきていたのかもしれない。

今回ケータイが壊れたのも、むしろ幸運なのだ。

ケータイを失くした今しかできない旅を楽しんでやるぞ!!

そんなミニマリスト的な考えで開き直っていたのであるが…

スマホが無いと秒で迷子になる。


よし、それではさっそく出発だ!まずはGooglemapで現在地の確認を…

ってそうだ!スマホないんだった!

まぁいいや、道は人に尋ねよう!えーっと、スペイン語で駅はなんて言うんだ?Google翻訳は…

ってそうだ!スマホないんだった!

というか今何時だ? …ってそうだ!スマホないんだった!

お!綺麗な街並み!写真写真… ってそうだ!スマホないんだった!




そうなのだ。まじで、何か行動するたびに毎秒毎秒痛感する、スマホの重要性っ!!!

失って初めて気づくのだ。

あ、おれ、スマホなしには生きていけないや。

って(笑)

「深夜特急」で思いを馳せる、スマホのない時代のバックパック旅

結局、スマホだけは無いと無理!ってなって、すぐにスペインで修理に出したのであった。

逆に、スマホがあればネパールの秘境でもケニアのスラムでも、どこでだって生きていけた。

電波と電源さえあれば、世界中どこであろうと、バックパッカー旅に必要な情報がすべて手に入れられるからだ。

たぶん、現代の世界一周の旅の難易度って、ケータイの無い時代に渋谷や新宿で人と待ち合わせするのと同じくらいだと思う。

ほんとうに、スマホの無かった時代のバックパック旅なんて想像もつかない。

そういえば、おれが初めて海外一人旅でタイに行った2011年。あの頃はまだガラケーだったな。

目的地まで、 地球の歩き方片手にいろんな人に尋ねたり、時に悪質トゥクトゥクにつかまったりしながら、なんとかたどり着いたのを覚えている。

初の海外旅行、訳も分からず訪れたカオサン。

ただ、あの頃もすでにネットは普及していたので、街に帰ればネカフェなどで世界中の情報に触れる事が出来ていた。

しかしもっと前、ネットもガラケーも無い時代の旅ってどんなんだったんだろう?



日本では1964年の海外渡航自由化による海外旅行ブームで、旅行会社によるツアーに参加しての世界の旅が一般的になる。

そして1980年代には、パッケージングされたツアー旅行に対しより自由に旅をする個人旅行が人気になり、

円高やバブル景気もあって、裕福層以外にも庶民・特に若者の間で、旅行会社に頼らない極限までコストを抑えた放浪の旅

いわゆるバックパッカースタイルが流行する。

このバックパッカー黎明期の旅を描いたノンフィクション小説がある。

そう、旅人のバイブルとも言われる沢木耕太郎の「深夜特急」だ。

小節の書き出しでは、「デリーからロンドンまで乗り合いバスで行けるか?」という疑問に対し、沢木氏と友人が討論するシーンがある。

友人たちは「デリーからパリまでの旅行会社の直通バスツアーですら幻のバスなどと言われているのに、そんなこと出来るはずあるか!」と馬鹿にしたり、

数少ない、行けるのではないかという意見の友人も、その理由となるとすこぶる怪しく、昔からシルクロードというくらいだから今もきっと道があり、道あるところに駱駝おり、駱駝のかわりに自動車が走り、バスも同じ自動車である以上、どうして乗合いバスが走っていないと言えようか、といった程度なのである。

深夜特急 01香港・マカオ沢木耕太郎 47Pより引用

と、あやふやな意見でただ面白がって沢木を支持する友人たちの描写が描かれている。

結局、これを証明し「行けない」に賭けた大多数の友人たちを見返してやろうと沢木氏は旅に出るのである。

そう、現代であればネットの情報を見れば外国であろうと、

どの町からどの街までバスが通ってる…この街まで乗り継げばロンドンまで行ける…

などと調べる事が出来るが、この時代は行ってみないとわからなかったのだ。

まさに体当たりの旅、といった感じか。

旅中ではどこに向かうのかも定かでないバスに乗り込んだり、言葉の通じない現地人に道をひたすら尋ねたり、

時には旅ノートを頼りに世界中のバックパッカーが集まる宿に宿泊し、ヨーロッパ方面から来た東アジアを目指す旅人から西の話を聞き、その逆に東の情報を教えたりして、

他の旅人たちと濃密なコミュニケーションを取りながら、ゆっくりゆっくりと目的地のロンドンに近づいていく描写が描かれている。

そこには全くの予定調和もないし、この道が正解だっていう確証もない。

今の感覚からしたらめちゃくちゃに面倒くさいし危険だし、大変そうである。

しかし、そのハプニングも葛藤もすべて含めて旅だ、と言われているようで、

その過酷な旅の様子に、少しの憧れも感じるのだ。

スマホの無い時代の旅には「本当の自由」があったのかもしれない。

もしかしたら現代人は、世界中どこに行ってもネットで繋がれるがゆえに

旅に出ても本当の自由を手に出来ないのかもしれない。

そう思った理由は、深夜特急読んでて、

この時代のバックパッカーな旅人って沈没者が異様に多いんだなって印象を受けたからだ。

旅人界隈では、安宿にロングステイし観光するでもなく、ただその街に無気力にいりびたっている旅人のことを「沈没してる」と形容したりする。

主にインドやネパール、東南アジアなどの物価の安い国でよく見かける現象だ。

深夜特急でも、インド・デリーの安宿で「移動のタイミング」を逃してしまった主人公が、

朝に起きて何をするか考えても思いつかず、ひとまずいっぱいのチャイをゆっくり味わい…

昼になれば安いパンをかじりながら公園でただぼーっと時が流れるのを待ち…

夜に70円のその日唯一の食事らしい食事を取れば、もうあとは寝る支度をするだけ、

といった、無気力な沈没体験の実態が生々しく描かれている。

まぁこの沈没についての「良い・悪い」は賛否の湧かれるところであるが、

少なくとも「無気力に沈没するも過酷な旅を進めるも、すべてが自由」というところが旅の醍醐味でもある。

昔であれば、外界から完全に遮断された異国の街で思う存分沈没することも出来たであろうが、

現代であれば、SNSで世界中どこにいても他人とつながっているので、そうはいかない。

日本で働く友達の様子が手に取るように分かって、自分の現状に劣等感を抱いたり、この後自分はどうなるんだろう、と焦燥感を感じる。

絶景をフォロワーに届けるために無理にキラキラした旅を演じ続けてしまう旅人もいるであろう。

世界の果てまで行って、それでもインターネットが旅人を縛り続ける。

果たしてそれは本当の自由なのか。

本当の自由とは、不便さの中にあるのかもしれない。

そして、深夜特急の中で、特に好きなシーンがある。

ネパールのカトマンズ、大麻におぼれるヒッピーたちに囲まれながら、連日の雨でおっくうになり、

またしても次の街への移動をする気力を失くしてしまっていた主人公。

その日もだらだらと惰眠をむさぼっては過ごしていたのであったが…

昨日、ベッドで横になっているうちに眠ってしまい、気がつくと夕方になっていた。時計を見ると、六時を過ぎている。あまり腹は空いていなかったが、とにかくなにか口に入れなくてはならない。いつものようにジョーの店に行くつもりで外へ出て、思わず息を呑んだ。いつの間にか雨は上がり、空に美しい夕焼けが出ていたのだ。

深夜特急03インド・ネパール-沢木耕太郎 337Pより引用

明日はきっと晴れるだろう。そう思った瞬間、もしかしたら明日ならここを出ていけるのではないか、という気がしてきた。雨の中を出ていくのは憂鬱だが、天気になれば気分よく出発できるのではないか。あるいは、この機会を逃してしまうと、永遠に旅立てないかもしれない……。  そして、私はその機会を逃さないことにしたのだ。

深夜特急03インド・ネパール-沢木耕太郎 338Pより引用

現代の旅なら、「夕焼けが美しかったから」「明日は晴れるような気がしたから」そんな気まぐれで予定なんて決めないだろう。

きっと、目的地行きのバスの便を調べて、時間を調整して、スケジュール通りにバス停に向かう。

だが、この時代の旅人は空を見上げた。

空気を感じ、自分の感情に語り掛け、出発の時を思うのだ。

あぁロマンティック。ワイもそんな旅がしたいです沢木先生ぃぃぃぃぃぃ!!!!

スマホの無い時代の旅は、恐ろしいほど非効率的で、面倒で過酷で、

しかし憂鬱になりそうなほどのロマンであふれている。

そんな風に感じたシーンであった。

まとめ

旅は、スマホ一つあればよい。

以上、電車内でスマホの電池が切れた事で考えた、「旅とスマホ」についてでした。

まぁ、スマホが元から無い時代なら、それが当たり前だからそれはそれでやっていけたのかもしれんが、

やっぱ一度その便利さを味わってしまっている現代人には、スマホなしの旅なんて、無理なんだろうな~。

時たまこうして、昔の旅エッセイを読んで憧れているくらいが、ちょうどいいのかもしれんね。

もしまた旅中にスマホを失くしたりしたなら、再度スマホなしの旅にチャレンジしてみよう。

果たして何時間持つかな…?(笑)



そんなところです。

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