おれが青春時代に救われたSyrup16gのVo.五十嵐隆の歌詞について語る話。【心なんて一生不安さ】
ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
好きな事を好きなように書きなぐるだけのブログだよ!
妄想気味の論理外なみなさまごきげんよう!
すっかり秋めいてきまして、夜には肌寒くなってきました。
おれは昔から、こういう季節の変わり目ってなんとなーく気持ちが落ち込むのだけれど、みんなも経験あるかな?
「やべーすべてが虚無だー生きてるなんて感じねぇぜー…」
などと感じてしまって、ブログなどでそのことを紹介するも、なんか読み返してみると「私鬱なの」アピールしてるみたいで余計に心のダークマターが膨れ上がる経験、ex.人間な皆さんならきっと体験したことがあるでしょう。
なんとかこの気持ちを処理しなければと思って、ネットフリックス、最新ビデオの棚の前で2時間以上も立ち尽くしても、何を見ればいいのか分からない。
そんな時はアレをキめるしかない。イヤフォンぶっさして流し込む心の処方箋。
Syrup16g(シロップ16グラム)を聴くしかないのだっ!!!
もくじ
Syrup16gの歌詞に救われたおれの青春。
そう、Syrup16gのVo.五十嵐隆(いがらしたかし)が書く歌詞に、おれは幾度となく救われてきたのだ。
Syrup16gは1996年から2008年まで活動したバンドで、2014年に再結成。
2002年発売のデビューアルバム「coup d’Etat」から一貫して陰湿で超低空飛行な内容の歌詞ばかりを歌って来た。
よく、THE BACK HORNやART-SCHOOLと一緒に日本三大鬱ロックなどど語られるんだけれど、個人的にはこの鬱ロックという言葉は苦手だ。
なんだか「憂鬱を売りにしている」ようで、ビジネスライクな香りがするから。
きっと、Syrup16gの歌詞は競うように憂鬱な自分を見せびらかしたいわけでも、かまってちゃんなメンヘラなわけでもない。(バックホーンもアートもそうだと思う。どのバンドも決して憂鬱を売りにしているわけでは無い。)
ただただ純粋に、自分の気持ちに嘘を付かずに、ノンフィクションに、無味無臭でたいした輝きも無い人の生身の存在を歌ってる。Syrup16gはそういうバンドだ。
そこに押し付けも依存も無い。その距離感が心地よい。
生きていく上であふれ出てくるどうしようもない虚無感を、「こんなんじゃだめだ!もっと強く生きなきゃ!」とか思うんじゃなくて、「おれは狂っちまったけどほっといてくれ。かまうな。」と聴く人を突き放し、
誰にもすがらずにひっそりと死んだふりエブリディしてる、そんな、彼らの曲が計ってくるリスナーとの距離感。
それはまるで月よりも遠いようで、電車で隣に座ってる肩が触れ合ってるおっさんくらいに近い。でもあくまでそれはただの他人なのだ。
おれは中学の時にいじめられた経験があって、それ以来、無意識に人を遠ざけて生きてきた。
生身の自分が受け入れられる場所なんてないと信じ切っていたし、愛や希望なんて言葉は、24時間テレビで視聴率を稼ぐための商業ワードであり、実社会には存在しないものと思っていた。
でもSyrup16gの音楽に触れてそんな自分を変える事が出来て…
などと語れればブログ的に美しいんだけれど、全くそんなことはない。
正直今でも、おれは「夢と希望を持ってみんなで支え合って!」みたいなお話には寒気を感じてしまう。
所詮人間はひとりぼっち。どんなに距離の近い友達も家族も、行きつくところは他人である。
信用してないとか、そういう訳じゃないけれど、夫婦だからどんな時も一緒でなきゃ、とか、友達だからやってあたりまえ、とか、そういう共依存の関係はどうしても無理だ。誰かと手を取り合うくらいなら、一人で行けよって思う。
ただ、変わったことと言えば、「それがおれだから。」って思えるようになったこと。
昔はそんな自分を「悪」だと決めつけ、無理やりに練り込んだ作り笑いで必死に周りに媚びては自分を保とうとしていたけれど、協調性に欠けてますと通信簿に書かれようとも、君はもういい、と言われようとも、
五十嵐隆が歌う、似たように社会性を拒絶しまくったサイボーグみたいな疑似人間の無機質な歌詞が、「まぁそれでいいんじゃね?それがおまえだろ?」と言ってくれた気がした。
有線で流れるヒットチャートの「愛」や「絆」なんて架空の概念を、全力の笑顔で擦り付けてくる気持ち悪い人達。
そんな場所から逃げるように耳をふさいで生きていた当時のおれにとって、 Syrup16gの歌詞こそが、呆れるほどのリアルだった。
五十嵐隆の書くひょうひょうとすべてに期待しない絶妙な絶望と諦めが、まるでぬるま湯に浸された赤ん坊のように、おれの心を落ち着かせたのだ。
他人事とは思えない「センチメンタル」という曲。
おれが一番最初にシロップに触れたのは、学生のころやってた路上ライブだった。
そのころのおれは、音楽の趣味の合う後輩とよく路上に出ていた。
田舎町の駅前であぐらをかいて、どうせ誰も立ち止まらないしってことで、カラオケみたいに交互に好きな曲を一曲づつ歌うのが恒例だった。
後輩の番になる。
スローテンポなストロークから始まる、もの悲しいメロディの弾き語りだった。
よくあるコード進行に簡単な構成、何の変哲もないどこにでもありそうな曲だったんだけれど、とにかくその歌詞が彼の演奏後も心に残り続けた。
「オリジナル?」
「いえ、Syrup16gっていうバンドです。」
なにやら、最近解散したバンドで、その曲は「センチメンタル」っていうらしい。
帰ってからYoutubeで原曲を聴きまくった。
ただの失恋ソングなのかと思ったら、何か違う。
不可解な歌詞の意味の「欠落」を、いたるところに感じる。
センチメンタルな恋はどうしようもなく破綻していくもんで
安心したらさようなら
センチメンタル / Syrup16g
今でこそ、五十嵐隆の書く「期待は裏切られるもの」って前提の歌詞の世界観を知ってるから、すんなりなんとなくニュアンスを受け取ることができる。
この歌詞も、
「人間関係っていつか破綻していくのは分かってるから、深く深くその関係が強まるほどに、その瞬間のダメージが大きいから、適度に安心する関係になれた程度でさよならするぐらいが身のため。」
みたいな、人との距離のはかり方について歌ってんのかあ~なんて理解が追い付くんだけれど。(あくまで個人的解釈ではあるが)
始めてこの曲を聴いたこの日、この出だしの歌詞が全く意味不明だった。
安心したら、なんでさようならなの?って。
失恋ソング(だと思ってた)なのに、なんで急に「協調性に欠けてます」なんて通信簿に書かれにゃいかんの?
と。(笑)
だけれど、聴いていくうちにだんだんわかってくる。
この人は失恋の事なんて歌ってない。ラブソングなんて歌うはずがない。なんて。
最低の気分を抱いて方法論だけを磨いた
君に憧れてた。
センチメンタル / Syrup16g
この部分が本当に好きだ。
(あくまで想像の範囲内ではあるが、)高校生になって毎日ギターはじいてた主人公は、知ってしまうのだろう。
自分が大好きで大好きでコピーしまくってたバンドが、金か女か、そんなクソみたいな思惑のために方法論だけを磨いてはなり上がっただけのバンドだったって、どっかで分かってしまった。勘付いてしまった。
そんな君に憧れていた自分が哀れでばかばかしくて、むしろ笑えてくるような。
コメディみたいな絶望。人間失格の主人公が道化を演じているような虚無感。
この曲は、自伝だ。五十嵐の半生を歌ってる。
一時の失恋や好きや嫌いや、そんな局地的な事を歌ってなどいないのだ。
無駄に長く、残酷なまでにからっぽな、おれ達の人生を歌っている。そんな気がした。
白けた顔して進め
今しかない、とか言って。
センチメンタル / Syrup16g
だから今しかないとか言って、きっとこの先には何かあるかのような顔をして進む。
その先なんて何もないのに。
とんでもない虚しさや無力感を感じさせるバンドだな、と思った。
そして同時に、普段は嫌悪すべきそんな感覚が、なぜかやけに心地よく感じてしまう事に気づく。
そう、将来に夢も希望も目標も無い、ただ粗悪品のレッテルを貼られて、社会に出荷されていくだけの大学生だったおれ達の、
不安や葛藤、諦め、それらすべてを代弁してくれているような気がしていたから。
心なんて一生不安さ、と笑い飛ばしてくれ。
そんな理由でSyrup16gの沼にずるずるとのめり込んでいってしまったおれ。
センチメンタルを歌った後輩とはそのまま意気投合して、シロップのコピーバンドをやったりもした。
何曲か好きな曲をコピーしてみたんだが、一番好きだった曲は「生活」だった。
この曲は、とにかく優しい。
五十嵐自身はまったくそんなつもりはないのだろうが、おれはいちリスナーとして、何度もこの曲に救われた。
まさに心の処方箋みたいな、はたまた宗教みたいな曲。
曲を知っている人なら、「生活」が優しい曲?なんで?って思うかもしれない。
君に存在価値はあるか?そしてその根拠とはなんだ?
涙流してりゃ悲しいか?
生活 / Syrup16g
存在価値の希薄なおれ達を追い詰めては、崖から突き落とすかのような問いかけから始まる歌詞。
あまりにも冷酷だ!「特にありません」と残して泣いて帰るぞ!圧迫面接でネットで誹謗中傷してやる!
とヒステリックになるのもつかの間。
それら辛らつな問いかけの先にかけられる言葉が、好きすぎる。
誰が何言ったって気にすんな。心なんて一生不安さ。
生活 / Syrup16g
絶望を抱え込んだ救済だ、と思った。
自分の存在価値も根拠もその目で見据える未来も無くてもいい。
欠陥だらけのお前にはどうせ生活は出来ないだろうし、計画なんて無駄なんだ。
そのままくたばろうが泣きわめこうが知らないし、なんなら無理して生きる必要もない。
でも、生きる事がつらいなんて、3000年前から分かってた事だろ。
心なんて一生不安なんだから、もういい加減諦めろ。
幸せいっぱい夢いっぱいの未来なんて、あるはずないんだから。
せいぜいその不安を全部抱えて、「心なんてどうせ一生不安さ」って笑い飛ばして生きようぜ。
そんな風に言われている気がする。ネガティブが振り切り過ぎて逆に無敵。
もう落ちるところまで落ちて、貯金も人望もプライドもすべて失って、何も無いところからまた残酷に始まる絶望の朝に、そこで鳴っている目覚まし時計。
すべての未来への期待感のすべてをかなぐり捨てて、こんなんでも生きてていいや、って思わせてくれる。
鳴り響くその目覚ましの音に頭を揺らされながら、もうひと眠りでもしたくなる、そんな曲なのだ。
まとめ
大好きなSyrup16gの紹介を思いのままに書いてみました。
ここに書いてある歌詞の解釈はすべて個人の見解までなので、「こういう受け取り方もあるんか~」程度に聞いてもらえたらと思う。
ここに書いた歌詞以外にも、おれが心を救われた歌詞がシロップにはたくさんあるんだ。
「君は君のままで下敷きになる」とか、「そんな普通をみんな耐えているんだ」とか。
とにかく、不安で押しつぶされそうな時、すべてにやる気が出ない無気力な時、シロップを、五十嵐の歌詞を聴いてほしい。
きっとダメな自分でも許せるようになるから。そして一生布団から出られなくなるから。(だめやないか)
そんなところです。
●まぁ後言いたい事は、五十嵐とひろゆきってめちゃくちゃ似てね?って事だけだ。
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