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ヒッピーは絶滅したの?世界一周の旅で出会った、ヒッピーな奴らの話【イスラエル/ポルトガル/インド】

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
旅の思い出を得意げに語るよ!

さて、音楽とカルチャーにスポットライトを当て、良質な旅マガジンをお届けする当ブログ。とか一度は言ってみたい系ブログな当ブログ。

「旅と音楽」を語る上で、切っても切り離せない存在なのが、ヒッピーだ。

ヒッピーって何なん?と思った方に説明しよう。

ヒッピーとは…あの…えぇーっと…ええぇぇい!!

ヒッピー: Hippie, Hippy)は、1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した、既成社会の伝統制度など、それ以前の保守的な男性優位の価値観を否定するカウンターカルチャー (en:Counterculture) の一翼を担った人々、およびそのムーブメント

ヒッピー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC

ということだ!!(愛してるぜ、Wikipedia。)

そう、ヒッピーとは反権力、脱経済・脱格差を目指す自然的な生き方を目指す人達の事、またはそのムーブメントの事なんだな。

だから、皆さんの周りにも、

「おれ、将来ヒッピーになるんだ!」

と夢を目指して上京しては、サイケな服を着てマリファナ吸いながら森でフリーセックスしている写真をSNSに上げて

「夢は見るものじゃなく叶えるもの」

などとコメントを添える奴がクラスに一人はいたと思うが。(え、いない?)

いくらそいつが、自分はヒッピーだ!と語っても、そいつの生きるうえでの精神性が

「金!女!権力!!うぇぇい!」

と六本木のクラブみたいな状態であればそいつはヒッピーではないし、

逆に都会に住む見た目ふつーのサラリーマンでも、金や権力にとらわれない自由な生き方をしているなら、その人はヒッピーなのかもしれない。


いずれにせよ、ヒッピーとはこのような精神性を大事にする人々のようで、ヒッピーになるのに資格があったりするわけではない。

僕も旅に出る前はどういった人々なのか認識があやふやであったが、

旅中、僕がギターを背負って旅をしていたことが理由で、様々なシーンで『ヒッピーな人達』と接する機会があった。(彼らの考え方のルーツは当時の反権力的な音楽から来ていて、音楽とヒッピー文化には強い関係性があるのだ。)

今回はそんな、ヒッピーの話をしてみたいと思う。

エジプトで出会った、お金を持たずにアフリカで放浪生活をしていたカップル。

ヒッピーは絶滅したの?

よく「ヒッピーはすでに絶滅した」なんて話を聞くけれど、僕が旅をしてきた経験から言うと、そんなことは全くない、と思った。

かつてヒッピーの聖地と言われた、インドのゴアという場所では今でも多くの”そのまんまヒッピー”な服装をした人たちが物々交換のマーケットを開催していたし、

出会った旅人と話をすれば、「ヒッピーのコミューン(?)に参加するためにこの国に来たんだ~!」なんて話をよく聞いた。(なんか彼らの仲間内では、毎年場所を変えては世界のどこかで集会みたいなのがあるらしい。)

ヒッピー絶滅論が出る理由は、それを唱えている人たちが、『昔のヒッピー』のイメージで『現代のヒッピー』を見てしまっている、という事が考えられる。

ヒッピーカルチャーが広まった1960~1970年ごろ、ヒッピーと言えば「反戦・反政府」なアウトサイダー、というイメージが強く、政治的な要素が強かった

ただ、現代では(正確な定義があるわけではないけど)、自給自足なナチュラリストで、お金にとらわれない考え方を持つ人達、という自然派な要素が強い。

なので、「ベトナム戦争反対~!」とピースマークで行進していた人たちのイメージで現代のヒッピーを見ると、真のヒッピーはもう絶滅した!なんて思う人もいるのかもしれない。

まぁ何が真のヒッピーで何が偽物なのかは分からんが、「お金や権力にとらわれない自由な生き方」という広い意味で見れば、彼らの精神性は、現代も脈々と受け継がれているように感じた。

では、ここからは僕が世界一周の旅で出会って来た『ヒッピーな人達』のなかでも、特に印象的だった人々の話をしてみよう!

死海のほとりで服を着ない生活を送るおじさん(死海/イスラエル)

政府の権力が強い軍事国家などでは、そのカウンターカルチャーとしてヒッピー文化が強く根付いていたように感じる。

中東・イスラエルもその一つで、死海を訪れた時に出会ったヒッピーおじさんの印象は強烈だった。

バスを乗り継ぎ、建物の一つも見えないような一面の砂漠地帯を歩いてたどり着いた静まり返った死海のほとり。

突然声をかけられ振り向くと、な、なんとそこには一糸まとわぬ全裸のおじさんが!!!!

「き、きやぁぁぁぁぁぁ!!変態よ!!お巡りさん!!」と叫びそうになったが、違った。

聞けばこの辺りはヒッピーのコミュニティがある場所で、自然体で生活するために基本みんな服は着ないらしい。

一人のおじさんに「紅茶でも飲んでいきなよ」と言われて家にお邪魔させてもらった。

おじさんは元銀行員のエリート、しかしお金にすべてをコントロールされる感覚がいやで数年前からここでヒッピーな生活を始めたんだそう。

しんと静まり返った死海は夕陽に照らされピンク色、鏡みたいな水面にまるで他の惑星みたいな砂漠の山肌が写っていた。

一杯の紅茶の砂糖の甘さが体の中に染み込んで、なんとも言えない幸福感があった。

なるほど彼らが愛しているのはこんな素朴な幸せなのかな、と妙に納得した。

死海そば、エン・ゲディのバス停前。な、なんもねぇ…
死海の夕暮れ。対岸はヨルダン。
お邪魔させてもらったおじさんの家。僕があまりにも気まずそうに見つめるので、ズボンをはいてくれた。



アート集団の隠れ家でのホームステイ(モンテモー/ポルトガル)

現代版ヒッピーを体現したような人達のコミュニティにお邪魔させてもらった時の話。

ポルトガルをヒッチハイクで縦断していた時、乗せてもらったおじさんの紹介で、モンテモーという田舎町の廃修道院で泊まらせてもらうことになった。

そこは、前衛的なアート集団や音楽家たちが住み込みで活動する隠れ家的な場所だった。

その日は中庭で野外フェス?みたいなイベントが行われる日で、多くの若者がヨーロッパ中から集まってきていた。

みんな見た感じ普通の大学生、って感じでヒッピーっぽい服でもなんでもないんだけれど、話をしてみれば

バンで旅をしながらこういうコミュニティを転々としている人たちであったり、

普段は学生として暮らしながら、週末は森に入って脱経済な生き方をして、そこで感じたことをアートに生かしてる活動家だったり、

そんな人が多くいた。

この時もらったタバコになにやら混じっていたのか、ライブ中急な眠気に襲われてほとんど眠ってしまって、フェス自体はあまり記憶に残っていない(おれのばか)のだが、

最後のバンドは目まぐるしく移ろいゆく幻想みたいな音楽をやっていて、

第六感に直接語り掛けてくるような鮮烈な音楽表現だったのを今も覚えている。

ヒッピー的な文化と音楽・アートとの強いつながりについて垣間見ることができた経験だった。

修道院の中には様々な作品が展示されていて美術館みたいな雰囲気。なぜか折り紙の鶴もあった。
映像と音楽を交えた前衛的な表現のステージ。



往年ヒッピーの爺さんの話(ハンピ/インド)

インドで出会った往年ヒッピーの爺さんから聞いた話は、彼らの精神性の全てを説明してくれているような気がして、今でもたまに思い出す。

ヒッピーには反キリスト教な思想を持つ人が多く、仏教やヒンズー教、瞑想に没頭する人が多い。

そんな宗教的背景や、物価の安さ、聖地ゴアの存在などから、インドは世界中からヒッピーが集まる場所である。

そのインドの田舎町、ハンピで出会った南アフリカ人のヒッピー爺さんは語る。

「私はもうあと20年もすれば、この借り物の体を返さなければならない時が来るだろう。しかしそれでも目に見えない形で私の心はコスモとなって生き続ける。別に顔や、肉体がそこにいなかったとしても、君は心を感じられる。生きていく上で一番大切な事は、常に相手の”心”を感じて生きていくという事だよ。」


一緒にいたヨーロピアンのティーン達はみんな、「やれやれ老害がまたなんか言ってるぜ。」と馬鹿にしていたけれど、

気にせず鋭い眼光で僕をにらみつけて語るその言葉には、じいさんの80年間の全てが詰まっているような気がして身震いがしたんだ。

ヒッピーという生き方には、宗教的な要素も多く含まれており、年配ヒッピーになればなるほどその濃度は濃くなっていく気がする。


まとめ

さて、旅で出会ったヒッピーな生き方の人々について語ってみた。

日本でヒッピーと聴くと自由気ままなロマンチストって感じでいい印象を持つ人も多いけど、

海外だと彼らの怠惰(のように見える)な暮らしぶりや風俗の乱れを批判的にみている人も結構いる。

実際、昼間からマリファナ決めて道に寝転がっている奴や、強引な物乞いで周囲に迷惑かけているようなやつもたくさんいた。

そんな人たちも含めてヒッピーであると定義するならば、その文化すべてを賛歌する気にはなれないけれど。


しかし、権力やお金にとらわれず自然体の自分であろうとすることは現代社会、特に日本人に求められている幸福な生き方のような気がして、それを実践できている人たちに少し憧れたりもした。

積極的に彼らのようになりたいとは思えないけれど、現代社会に疲れ、取り残されたとしても、

一方でこんな生き方もあるんだな、なんて知れると、少し気が楽にもなった。


世界を旅してきて、本当に世界には様々な生き方が存在している事を知れたし、

今自分がいる世界がすべてだなんて信じ込むのはとても窮屈でもったいない事であると思う。

皆さんも今の現状がどうにも八方ふさがりで、生きる価値を感じられなくなったときは、

彼らのような生き方に少し、触れてみるのも悪くは無いかもしれない。


そんなところです。


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