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日本の当たり前は世界の非常識!??世界一周した時に感じた海外のマナー事情3選。

2019年8月23日

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こんにちわ!ぼっちシンガーです!!

僕は二年前、路上ライブをしながら世界各国を二年ほど旅していた。

各国色々な地域を訪れると、その土地その土地で様々な文化が存在することに気づく。

日本では当たり前のマナーが、ある土地では当たり前でなかったり、日本でやったら絶対怒られるって事が、ある国では普通だったりする。

おしゃれなカフェなどに出向くと、「存在自体がマナー違反。」とよく言われるぼっちシンガーではあるが、旅中の、文化の違いによるギャップというのには本当に驚かされる事だらけであった。

今回は、このような文化の違いの中で、特に印象的だった海外の”当たり前”事情について、語ってみる!

「ありがとう」は言わない!??

日本には、“親しき仲にも礼儀あり”という言葉がある。

その言葉通り、いくら仲の良い友達でも、何かしてもらったらありがとうと言うべきだ、と教えられる。

その通りである。

「ありがとう」と言われると気持ちがいい。

別に、ありがとうを求めて何かをしてあげるわけじゃないが、例えば遠足のおやつの時間で、

友達にじゃがりこを一本


「食べる?」


と分けてあげたのに、無言で受け取り、

(じゃがりこじゃがりこ…)

と食べ始めた時には、



(この野郎…じゃがりこあげたのに礼も無しか…!!!普通は

「ありごとうございますっ!今度代わりに焼肉でも奢らせてください!」

とか言うものだろうが!!もう一生こいつにはじゃがりこはやらん!!じゃがビーも、なげわさえも一切やらないからなぁぁぁぁ!!!!!!)




と根に持って、



「ぼっちって心狭いよね〜。」

「わかるー!あいつお菓子一つでグチグチ言ってそう〜!」



などと女子に噂されたりするものである!

ありがとうはちゃんと言わないといけない。(し、心も広く持たないといけない。)



しかし、日本では当たり前のマナーだが、海外、特にアフリカやアラブの国を旅していた時は、そうではなかった!

なんと、ありがとうと言うと、

「ありがとうなんて言うな。」

と注意されることが多かった。

しかも仲良くなった現地人のにいちゃんとかに。


彼らは続けて言う。


「俺たちはフレンドだろ?当たり前のことだ。ノーニードセンクスだ!」


漫画なら、”キラーン!”と効果音が付いていそうなキメ顔で、遠くを見ながら言う。

なんかうまく言葉では表現出来ないが、

西部劇とかで、一本のタバコを2人で回しあい拳を当てて挨拶する、みたいな、男と男の間に、会話なんて必要ねぇ、みたいな、そんなハードボイルドガイズなのだろう。

というか、そんなハードボイルドな自分に酔いしれている。絶対。



では、そんな彼らに親切されたら、どう返せばスマートなのか。

答えはこうだ。



例えば、アフリカのスラム街で、仲良くなった現地人のにいちゃんが、

「ポッキー食べる?」

と差し出してきたとしよう。

君がそこで、ありがとう!なんて言って受け取ってしまうと、瞬く間に、彼をさっきのハードボイルドな雰囲気にさせてしまう。


そこで、ここは逆に、自分がハードボイルドになるのだ。


模範解答はこうだ。

差し出されたポッキーを前に、目を見開き驚きの表情で3秒固まる

そして、動揺したように言葉を口にする。


「ちょっ…おまっ!!…これ、南さらちゃんがCMやってた時の限定パッケージのポッキーじゃねぇかっ!!し、しかもアーモンドクラッシュ…!??こ、こんな良いものを俺のために…!!くっ…!」


そして、心苦しげに胸に手をやり、諦めたように空を見上げて、ため息を一つ


「ふっ…お前ってやつは。」


そっと一本受け取る。





これしかない!

ありがとうの言葉を伝えずとも、感謝している、という気持ちを伝え、

胸に手を当てることで、


(ありがとうとは言いたいけれど、お前は友達、そんな下世話な言葉は必要ねぇ…)


という心苦しさを表現。

しっかりと一本受け取り、涙を頬につたわせながら、


「へへっ…こんなしょっぺぇポッキーなんて、食った事ねぇよ。」


などと感想など述べれば、完璧だろう。

そのにいちゃんも、


(うわーこのジャパニーズ厨二病入りきってる…キモー…)


と、男のたしなみを身につけた見知らぬアジアンワイルドに感服し、ひれふす事だろう。

まぁこれは男同士仲良くなった人のみ言われることなので、街で見知らぬ人に親切にしてもらったら、ありがとうと普通に言うべきだし、女子たちは経験しない事なのかもしれない。

ハードボイルドガイズも、ありがとうと言われて、内心本当に嫌がっているわけじゃないと思うので、僕は使い分けがめんどくさくてとりあえずみんなにセンキュー!と言っていた。


ただ、見知らぬ旅人をそうやって仲間だと認めてくれて、親切してくれるというのは、優しいなぁと思う

そして彼らはそういう文化に生きているので、なにか親切をしてあげた時に、感謝の言葉がなくても、怒らないであげてください。

乾杯する時は目を見て!?見つめなきゃダメ?

日本だと、飲み会で誰かと乾杯する時は

「あ、どうも〜!お疲れ様です〜!」

と、にこやかに会釈しながら乾杯したりする。

その時、視線はどうなっているだろうか?

大抵、笑顔を作っているので、目を閉じているか、挙動不審なキモオタならバタフライ150メートルメドレーぐらい泳いでいたりするだろう。あぁ、おれの事だ。


ところが、僕がマレーシアを旅していた時のことだ。

宿で一緒になったスウェーデン人とオランダ人のグループと、ビールを飲むことになった。

チアーズ!とみんなで乾杯の流れとなった。

僕も、となりにいたスウェーデン人の、明るくて小柄で少し幼げな見た目の女の子と瓶ビールを交える事に。

「チ、チあ、チァーズ、ドゥ、ドゥフフフ!!」

と、へらへら笑顔を作りながら、いつものように目をスイムさせていると、


「あなた。乾杯の時に目を合わせないなんて失礼よ。」


と、怒られた。


ふぁっ…え、えええええ!??

「ご、ごめんなさい…」

と訳もわからず落ち込むおれに、


「もう一度やりましょ?こうやって、ちゃんと目を合わせて乾杯しなきゃ。チアーズ。」


淡いブラウンの目をじっと見開き、グラスを向けた彼女。

少し怒ったような、困ったような表情で僕の目を覗き込んでくる。

「おっオウフッ!!!チ、チアーズでごさるっ!!!」

また泳ぎだす瞳を「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ!」と我慢して見つめ返し、強張った表情で瓶を当てる。

チンッ!


「そうっ!いい感じよっ!キモオタロリコン君っ!」



ニコリと笑う彼女。











ぽっ…















いかん!あの瞬間を思い返して、妄想にふけってしまっていた!!じゅるり(よだれを吹く音

結局その後は、みんなの英語のレベルがネイティブ過ぎて全く話について行けず、1人ビールのラベルを剥がしたり貼ったりを繰り返していたら飲み会は終わっていたのだが、そんな話はどうでもよくて、


とにかく!
海外、特にヨーロッパ系の人たちと飲む時は、乾杯の時に目を合わせないことは、心を開いていないとみなされ、失礼な事のようなのだ。

この時以外にも、目を合わせないで乾杯する事を指摘されたことが旅中何度かあった。

しばらくは、どうしてもクセでへこへこ会釈しながらしてしまっていたが、

しっかりと目を見て乾杯すると、その後相手との会話も弾み、コミュニケーションがより深いものになるような気がしたので、途中からは進んで目を見るようにしていた。

みなさんも欧米人と飲む時はひとつ、心を開いて目を見て、グラスを持ってみてほしい。

ゴミはポイ捨て”しろ!”と怒られる!??

ゴミはゴミ箱へ。

日本人なら、というか世界のほぼすべての国では当たり前の行動である。

自分の持ってきたゴミは自分で持ち帰る、もしくはゴミ箱に捨てるのが当たり前だし、自分の持ってきたものでなくても、訪れた場所を去る時に綺麗にして帰ることが正しい事であると、僕たちは学んできた。

立つ鳥跡を濁さず、という言葉もある。

2014年のサッカーブラジルW杯では、試合後にスタジアムの清掃をして帰る日本人サポーター達が賞賛された。

そう、ゴミをきちんと自分で処理して、その場を汚さないように心がける気持ちは、世界的に見ても正しいとされるマナーなのだ。

しかし旅中、唯一その当たり前を否定された国があった。

インド
である!

僕はインドが大好きで、2回も行った。

独特の価値観や宗教、人々の文化など、全てがぶっ飛んでいて、日本とは真反対の世界を持つ国で、インドで暮らした数ヶ月は、自分の価値観や人生観をハンマーでかち殴られるような出来事ばかりだった。

このゴミに関する考え方も、インドは別格だった。


バラナシという、ガンジス川沿いの宗教都市にいた時である。

ボートに乗って朝日を見るというツアーに参加した僕。


おかしを砕いて空に撒くと、カモメ(?)達が食べに来て楽しいぞ!


とガイドのおっちゃんに言われていたので、乗る前に袋入りのビスケットを買って行った。

船に乗って川の真ん中あたりまで出る。

実際ビスケットを砕いて空に投げると、朝焼けの中、鳥達が空を覆い尽くすほどに群がる。

「がはは下民どもよ!群がれ群がれ!!」

と、100万円をツイッターでばら撒く社長の気分で1人盛り上がり、ついにビスケットが無くなると一瞬で去っていく剛力彩芽(鳥)達に、

金の切れ目が縁の切れ目、真実の愛とは何なのか…

などと思いを馳せたりして、まぁ楽しんだ。


そのあとは、もちろんそのゴミをお利口さんに折りたたんでバッグにしまい、持ち帰る。

“来た時よりもビューティに。自然人として当たり前の事です。”

などとブログに書いて

「きゃっ!さすがぼっちさん、エコでロハスな宇宙船地球号だわっ!」

と、自然派女子大生の皆さんにコメントをもらおうとしていたのだが。






「おい?なんでゴミをバックに入れる?捨てろよ。」




ガイドのおっちゃんが言う。

川にそのまま捨てろ、と言うジェスチャーをおれに見せる。

へ?

一瞬耳をうたがう。


「なんでだい?ポイ捨てなんてしたらダメだろ。」


当たり前のことだ。

ましてや、ここはヒンドゥー教の聖地、母なるガンジス川である。

神様のいる川にポイ捨てなんて、日本人の感覚なら、絶対にしてはならない事だ。

しかし彼は言う。



「なんでだよ!??ちゃんとポイ捨て“しろよ!”



ええええ!!!



本当にとんでもない話だが、実際に経験した事である。

この時以外にも、インドでは何度か、ポイ捨てしろ!と言われた時があった。

しかし、彼らに理由を問うと、なるほどな、と言う答えが返ってくる。


彼らの言い分はこうだ。


「ゴミを捨てないと、貧しい人達の仕事がなくなってしまう!」


一体どう言うことか。

カースト制度も根強く、貧富の格差がとんでもなく大きいインド。

貧しく、仕事のない人達は、政府に日雇いで清掃の仕事をもらったりして暮らしている。

彼らはゴミがあるからこそ仕事ができるわけで、

ゴミをポイ捨てしないと、彼らが拾うゴミが無くなり、彼らに仕事がなくなってしまう、と言うのだ。



また、別の意見もあった。


「ゴミは全て土に帰るのさ!」


日本で暮らす僕たちは、プラスティックゴミが土に帰らず、永遠に残り続け、地球環境へ悪影響を与えることを当たり前に知っている。

しかしそれは、素材に関する”教育”をしっかりと受けたから、知っているのである。


インドの道端で売られているチャイ(インド風ミルクティ)は、昔は、素焼きの陶器に入れて売られていて、人々は飲み終えたカップを地面に叩きつけて割り、捨てる、と言うのが文化だった。

陶器は土製なので、言葉の通り土に還る。

昔はその方法で良かったのだ。

しかし、プラスティックのカップにチャイを入れて売るようになった現代でも、この文化は受け継がれてしまった。

みんな悪びれる様子もなく、プラスチックのカップをポイポイ捨てるのだ。

その理由は、プラスティックもビニールも、紙や陶器と同様、土に還るものだ、と本気で考えているから。

悲しいことだが、教育の行き届かない貧困層の人になればなるほど、それを知らずに、当たり前のように土に還る、と考えていた。





驚愕した。

国が違えば、ここまで価値観は違うものなのか、と。

このように、インド滞在中、いたるところで、ゴミをポイ捨てしろ!と言われ続けた僕だったが。

結局僕は、一度もインドでポイ捨てはしなかった。


色々考えさせられたが、まず後者の意見に関しては、プラスティックゴミは土に帰らない。

それを知っている人達が率先して、ゴミは持ち帰るべきなのだ、と言うのを示していくべきだと考えた。

また、貧困者の仕事を奪う、と言う意見に対してだが、ある旅人さんがブログに書いていた言葉に完全に納得した。


「わざわざ捨てる必要ないでしょう。ただでさえ、インドめっちゃ汚いじゃん。」


た、たしかに…と思った。

インドの道を歩けば、ゴミが山のように捨てられ、道路の端にはそれが蓄積されている。

ガンジス川は、僕が捨てなくとも最初から大量のビニール袋が浮いており、流れ着いたそのゴミを牛達が貪っている。

政府がどれだけ清掃員を雇っているのかしらんが、現状、インドはどこもかしこもめちゃくちゃゴミだらけ

旅行者がゴミを捨てなくなった程度で彼らの仕事が無くなるとか、1マイクロミクロンも思わない現状がある。

というか、ほんとに清掃なんてしているのか?

と疑いたくなるほどだ。

それなら、自分の正しいと思う行動を貫こう。


これに関しては、郷に入っても郷に従うべきではない、同じ地球人として。


いろんな意見があると思うが、僕はそう決断して、インドでも、その後の国の旅でも、ゴミの持ち帰りには徹底した。

ただ、そんなとんでもない感覚の世界が広がっているインド。

自分の生き方や価値観を見つめなおすにはもってこいの、混沌がそこにはあった。

まとめ

いかがだっただろうか?

僕が体験したとんでもない(そうでもないか?)文化の違いを少しばかし紹介した。

しかし、きっと日本を訪れる外国人も同じように、このような文化の違いを感じているのではないだろうか。

ラーメンを音立てて食べるとか、キモオタロリコン多すぎワロタ、とか。

常に、日本人の価値観は世界人口の70分の1の当たり前でしかないのだということを理解し、

自分たちの”普通”が常に”正しい”訳ではないということを知っておくことが必要だ。

そこから真の国際コミュニケーションは始まるのだと僕は考える。


そんなところです。




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