最終話・これでハッピーエンドな話
帰ってきた。
ついに香川だ。
フェリーを降りて、夕暮れの瀬戸内海と、ぽつりぽつりと明かりを灯す街の光の中を数分歩くと、高松駅前についた。
駅前といってもサンポート高松という高い建物が一本だけ建ってて、あとは小さな雑居ビルの明かり、栗林公園の森、右手には海。
ここからさらに田舎の、丸亀という町で生まれ育ったおれ。
高校時代、たまに電車で遊びに行く高松の街並みは、それはそれは輝かしく大きく見えて、めいいっぱいオシャレをして意気込んでいたけれど。
世界の旅で心を躍らせながら見てきた大都市たちの景色からしたら、本当にちっぽけで、なんでもない地方都市だ。
しかしその優しいまったりした空気がとてもとても懐かしくて、高校時代とはまた違う胸の高鳴りを感じながら、一歩一歩、駅前のまばらな人の中を踏みしめて歩いた。
そんな時だった。
「さぁみなさん!良かったら見ていってください!」
平凡な駅前でひときわ大きな声を上げて、手を広げる若いにいちゃんがいた。
「岡山からやってきました!今、大道芸をしながら日本を旅しています!もしよろしければ、どうぞ近くへ!」
なんだなんだ、と興味津々に、何人かの通行人が集まってきて、にいちゃんがボーリングのピンみたいなものでジャグリングをはじめる。
日本でも、こんな人いるんや。
この2年間、路上ライブでやみくもにがむしゃらに歌ってきた自分に重なって、嬉しくなって数分間の彼のショーをまばらな人だかりにまじり、眺めた。
最後の大技らしい、剣のおもちゃを何本も高く上げてキャッチするジャグリングを披露しようとする頃には、数十人の人だかり。
息をのむ子供達、ぶっきらぼうな顔を装うサラリーマン達、愉快な笑い声をあげるじいさん。
みんな、楽しそうだ。
これまで世界の路上の片隅で歌い続けてきた日々をふと、思い出す。
おれも少しは、彼のように誰かを楽しませ、興奮させたり、出来ていたのだろうか。
「実はこの技、最近チャレンジを始めたところで、まだ人前で成功したことはないんです。でも、トライしてみますね!もし成功したなら、皆さん盛大な拍手をお願いしますね!」
彼が大きなその剣を手に持ってふぅ、と深呼吸をすると、ピタリ、とその場の雰囲気が静まって、みんなその姿に釘付けになる。
がんばれ!がんばれ!
心の中でその大技の成功を願った。
決して、失敗することはだめなことじゃない。
しかし、成功させようと全てをかける、その瞬間こそが美しいとおもう。
その瞬間に全力で生きる。
そんな姿勢が、周りの人たちを巻き込んで、小さな舞台を作るんだと思う。
誰もがそのステージの主人公になれる。
彼の生き方が垣間見える、素敵なステージだった。
「ありがとうございます!もし、もしよろしければお気持ちを!お気持ちをお願いします!」
二回ほど失敗したものの、3回目でその大技を見事に成功させた彼が、パラパラと拍手を送る人だかりの中を、裏返したハットを持って回る。
ねだる子供にお金を持たせるお母さんや、よかったよ!頑張ってね!と声をかけるサラリーマン。
そんな優しい、人間臭い時間を眺めた。
お客さんが散っていって、一人片付けを始めた彼に声をかけた。
「良かったです!少ないですけど、受け取ってください!」
と、財布の中の小銭をかきだして、脇に置いてあったハットに入れた。
全部で千円も無かったと思う。
情けないが、おれの全財産。
「実はおれもギターで旅をしていて!でも、もうすぐ家に帰るので!」
「そうなんですか!お互い、これからも人生楽しみましょう!」
軽く言葉を交わして、いっしょに写真を撮った。
思い切って全財産を入れてしまったが、高松から、実家の丸亀まではまだ2、30キロある。
日も暮れた今からヒッチハイクする訳にもいかないし、歩きか、交通機関を使わなきゃいけないところだったのだが、不思議と怖さは無かった。
心地いい、開放感に心が包まれた。
この旅中、たくさんのものを盗られ、失ってきた。
南アフリカでは全財産の入ったキャッシュカードを盗られたし、ドイツではバックパックまるごと、イタリアでは高校のときからずっと使ってきた大切なギターを盗られた。
最初は宇宙の果てまでへこんだが、1日も経てば不思議と、あぁこれでよかったんだ、なんて思えた。
今までおれは、なんでこんなにたくさんの
“これくらいは無いと生きて行けない"
と言うような、自ら作り出した制約に縛られ、ありもしないことに不安になっていたのだろう。
無くして困るものなんて、そんなに無いのだ。
それよりも、美しいものに出会って、胸の高鳴りに出会って、それに対する衝動を表現、行動に移せない不自由さが怖い。
おれはいつだって、36度5分の人間でいたい。
全部無くして初めて、自分に何が大切なのか、知れたような気がするんだ。
また1つ軽くなった体と心を実感するように小さなリュックを背負い込み、満足感に包まれながら、おれは駅前広場を去った。
結局もうすっかり日も暮れてヒッチハイクなど出来そうにないので、一晩かけて丸亀を目指して歩くことにした。
スペインでずっと歩き続けた経験から、おれの歩行速度なら明日の朝には丸亀に着くだろう、と予測した。
市街地を30分も歩けば、真っ暗な山沿いの一本道になった。
車で何度も通ったことがある高松と丸亀をつなぐ国道沿いだが、一人靴を鳴らし歩く道は街灯も少なく、人通りなんて皆無。
時折遠くの民家の飼い犬が、大声で吠えてくる。
少し心細いが、旅中何度もこうやって不安な道を歩いてきたんだ、ここは日本じゃないか!余裕だ!なんて言い聞かせて進んだ。
ヤンキーに絡まれたらどうしよう、なんて妄想を、イヤフォンで大好きな音楽を鳴らして吹き飛ばしながら、鼻歌を歌ったりした。
秋の、少し冷えてきた風が、汗の引いた首元を撫でて身震いがした。
12時を回るころには、幽霊が出ると聴いた事がある廃病院や、廃トンネルの近くを通った。
高校時代、地元で噂になっていた怖い話や体験談を思い出してしまう。
アフリカのスラム街を歩いた時よりもずっと怖くて、ちびりそうで早足になった。
田舎道に唯一、ポツリと灯を落とす広い駐車場のあるコンビニを見つけて、何も買えないのに入ってはゆらゆら商品を眺めた。
普段は無機質な商品の陳列する様に嫌気がさすだけなのに。
どうしてただの深夜コンビニにこんなに暖かな、旅のオアシスを感じるのだろうか。
不思議な心地がした。
坂出という、丸亀の2つ隣の街まで歩いてきて、寂れた高速のインター下で星を見ながら仮眠した。
気温はぐっと冷え込んでいて、しまいこんでいたユニクロのダウンを着て、丸まって眠った。
恐ろしく心細いのだが、寒さを感じる時、特に生きていることを実感する。
この体温が下がるとおれは死んでしまう。
どうにもこうにも替えられない、足かせのようで誇りでもあるような、かけがえのなさを感じる。
野宿で一人で眠る夜は最後の最後まで、妙な気持ちにさせる。
孤独と恐怖もいつか疲れにごまかされて薄れていく。
そのうち気づけばおれは眠っていた。
数時間後、背中の痛さと寒さに目が覚めた。
朝四時。
少しだけ明るみかけてきた空が見えた。
重い体を持ち上げて、リュックを背負ってまた歩き出した。
小さな山道を超えると、朝焼けに飯野山が見えた。
讃岐富士、なんて呼ばれる、小さいけれど綺麗な三角をした、この土地のシンボル。
頂上に天狗の足跡がつけられた大岩があるなんて噂を聞いて、高校卒業前に仲の良かった奴らで登ったなぁ、なんて思い出した。
ため池に鏡のように写って、きれい。
こうしたなんでもない美しさが、この地元にはあふれていた。
きっと今だから、この何もない田舎道の景色に、こんなに心を焦がすことが出来るんだろう。
イヤフォンでアンディモリを聴きながら、心にそんな景色と感情の色を写し込む。
なんだか泣きそうになる。
昼間の蒸し暑さが嘘みたいに、早朝のキンと冷えた空気はもう冬の訪れを感じさせていた。
その四季の感覚が懐かしくて、気持ちよくて、また
“おれ、帰ってきたんだな"
なんて敏感になる。
だめだ、なんでこんな、なんでもないことなのに、胸が締め付けられる。
三時間も歩くと、どんどんと、生まれ育った家が近く。
高校の帰り道で通った道、家族でよく行ってた国道沿いの昭和臭い喫茶店、子供の頃、隠れて忍び込んだ競技場、近所の商店…
終わる。
もうすぐ終わるんだ。
おれの旅が。
何を見てこれただろう。
成長したのだろうか。
これで良かったのだろうか。
明日も、寝床を探して、行き先もよくわからないバスに乗って、無理矢理なボディランゲージで道を尋ねて、知らない街を旅するんじゃなかったのか。
このままやって来る車を手当たり次第にヒッチハイクして、空港へいこう。
成田か関空を経由して、また言葉も文化も知らない街に戻ろう。
不安だらけの知らない街角にひとりぼっち佇んで、歌いたい歌を歌おう。
そんな妄想が頭をよぎる。
でも、それはもうできない。
終わる。
もうすぐ終わるんだ。
仕事はどうしよう、とか、普通の日本人としての生活に戻れるのか、とか、そんなリアリズムが目の前に、とてつもない大きさと閉塞感を持って横たわっている気がして、自然と足が止まる。
朝の田舎の、田んぼに囲まれた、なんでもない県道沿いでふと、立ち止まったおれは、呼吸を深くして、バクバクなる心臓を感じていた。
あんなに帰りたいと願っていた実家に、あと数分という距離まできて、おれは怖くなってしまった。
足を進めれば、純粋だったあの頃の全てを失ってしまう気がして、どうしようもなくなってしまっていた。
ふとケータイの音楽を流した。
andymoriの、ハッピーエンドという曲。
“これでハッピーエンドなんだ。ハッピーエンドなのさ。
どうせどこにも行けないのなら、ずっとここにいてもいいんだよ?"
いつまでたっても現実を見られないこのくだらない体たらくなおれの背中を押すのは、いつもこんな音楽だった。
“ここにいてもいなくてもそれでいい。
勝手にしろ。
逃げていたいならそうすればいい。
でも、君はほんとに、それでいいの?"
そんなことを言われているみたいだった。
空を見上げた。
優しい青が続いていた。
世界は広い。
そんな世界に、小さな命として、確かにおれは存在している。
ちゃんと、おれ自身を、おれは生きないといけない。
どこへだって行けるから、行くべき場所をしっかり見つめなければならない。
そうだろ?
分かりきってたはずの事をいま、ちゃんと理解した気がして、また一歩、また一歩と歩を進めた。
初めてアフリカの大地に足を踏み入れた時のような、ギターを取られて呆然と立ち尽くして、それでも行かなきゃって歩いたローマの街頭のような、ウユニ塩湖で強烈な朝日を浴びて歩いた時のような。
そんな大げさな、大きな一歩を踏み出した気がした。
出迎えてくれた、涙ぐんだ母親の最初の一言は
「ほんまに帰ってきたんやな!」
だった。
出勤前だった父親は、へらへらしながら
「しばらく家におるやろ?これからの事よく考えろよ。」
と言った。
たくさん心配をかけたし、地球の裏側にいたって、最後に頼るのは家族だった。
この家に生まれてよかった、なんて、そんな風に家族を意識するようなことは、旅に出てなければあり得なかった。
ありがとう。
ちょっとコンビニ行ってきた帰りみたいなもんや!
そんなすかした態度をとりながら、心の中でそう呟いていた。
昔から飼っている猫のボウシが一段と年老いて眠そうにこっちをみた。
しつこくお腹を撫で回すおれをめんどくさそうに「またこいつか。」という目で見ながら、いつもと同じ態度を見せる。
なにも変わらない、普段の日常に舞い戻ってきた。
まるで長い長い、夢を見ていたよう。
いつまでたってもおれはおれのままで変わらない。
所詮おれは、おれ以外の、なんでもないのです。
2年間の旅で得た感覚を、どう残そう。
どうやって、これからの自分に生かしていこう。
それを考えるには少し、まだ、時間が必要だ。
久しぶりのあったかいシャワーを浴びて、2年分の汚れやしがらみや不安やを、さっぱり洗い流して。
綺麗に敷かれていた布団に潜り込んで、久々の暖かい柔らかさに包まれながら、目を閉じた。
目が覚めたら、また新しい旅が始まる。
日本で、生きていく。
人生は旅だ。
前に進み続ける限り、俺たちは旅をするんだ。
いつか、この心臓が止まって、まぶたが永遠に落ちるその前に。
いい旅だったなぁ、なんて思いながら死にたい。
それまで、転がりながら、行こう。
永遠みたいで、一瞬だった、旅中の世界の様々な奇跡みたいな風景を走馬灯みたいに繰り返しながら、おれは眠りについた。
いろんな事があったけど、行ってよかったな。
とりあえず、今確信できる事はそれだけ。
とりあえず、今はそれだけでいいや。
そんなことを思っていた。
そんなところです。
あとがき。
“ぼっちシンガー世界を周る"を、最後まで読んでいただきありがとうございます。
旅に出る前、地元を離れる前日の事です。
高校時代の数少ない友達、そうりょに日記をプレゼントされました。旅のはじめ頃はその日記に、その日の出来事なんかを綴っていたのですが。その内に、世界の旅で感じた思いなどをリアルタイムでみんなにもシェアできたらいいな、と思うようになり、こうしてネットでブログを公開する事となった次第です。まずはブログ完結を機に、良いきっかけを与えてくれたそうりょに感謝を伝えたいと思います。
既述のとおり、旅の中では沢山のことが起こりました。基本、内向的で人を巻き込むことが得意ではない僕としては、旅とはそんなに楽しいものではなく、むしろ嫌なことや傷つくこと、孤独感に苛まれることの方が断トツに多かった気がします。しかしそんな時も、それを面白おかしく話してみたり、時折真剣に語ったりする場があったことは救いでした。あとで客観的に自分を見返して落ち着かせる機会も、ブログは与えてくれました。様々な経験を、少しでも今後の人生に有意義なものとなるように噛み砕いて消化する作業としても、重要であったと考えています。
しかしそのような、自己への理解と分析を兼ねて綴っていた文章ゆえ、時折(というかしょっちゅうか)見苦しい、自分よがりで理解しがたい文章や、近寄りがたい不快な書き方もしていた気がします。
それでも何人かのマニアック(?)な、ここまで読んでくれている読者の皆様のサポートをいただけて、本当に嬉しく思います。僕の発信に対する意見や、考えをコメントに書いていただけた時など、なにか宇宙の果て、異星の友人から連絡が来たような、そんな気分で、とても嬉しかったのを覚えています。ほぼずっとひとりぼっちの旅でしたので、大袈裟ではなく、どこか心の支えになっていた気がします。こんなめんどくさいブログを、最後まで読んでいただいて本当にありがとうございます。
永遠にぼっちだと思っていた、しがないシンガーは、たくさんの現地の人たち、そしてネットの向こうの読者の皆様、家族、友人に支えられ、2年間の世界一周を成し遂げることができました。ありがとう。長い旅が終わった今、また私ガモウユウキは新たな生活を始めています。日本で働きながら、やりたいように生きています。たまに悲しんだり笑ったりしながら、日々を精一杯生きています。その中で生まれるしがらみをロックンロールで、また歌っています。よかったら曲のミュージックビデオをYouTubeで見ていただけると嬉しいです。同じように精一杯今を生きているであろう読者の皆さまの、その人生の一瞬に。いつかふと、このブログの言葉や、この音楽が、寄り添うことが出来たなら幸せだな、と思っています。
そんなところです。
ガモウユウキ
ギターと共に世界一周の旅を終え、東京で活動中のガモウユウキ。ライブ情報などは、主にツイッターにて発信中!君も今すぐフォローして、キモオタ妄想男の日常を覗き見てせせら笑おう!→→Twitter @ガモウユウキ
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ディスカッション
コメント一覧
旅をするきっかけを与えてくれてありがとうございました。
gt400さん
もし少しでも何か感じていただけてたなら嬉しいです!!!
2年、お疲れ。
何か思いのほかトラブってたみたいだが。
また、半年以内に東京都に行く予定やから
またサプライズで訪問するわ。
で、来年からラインを使う予定やからそっからは
ラインで連絡わ。