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うどん県を目指す話4大阪編

2020年11月17日

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ギターと共に世界一周の旅を終え、東京で活動中のガモウユウキ、その暑苦しい思考整理ブログ。ライブ情報などは、主にツイッターにて発信中!君も今すぐフォローして、キモオタ妄想男の日常を覗き見てせせら笑おう!→→Twitter @ガモウユウキ


大学時代、軽音楽部でバンドをやっていた。

高校時代までずっと、心の奥底を見せることを恐れ続けて、内向きに内向きに生きてきたおれにとって、全てをさらけ出して歌って、それがアイデンティティとして認められた瞬間の幸福感ったらなかった。

音楽とはなんて凄いんだ!おれを救ってくれるのは、ロックンロールしかない!なんて大袈裟に騒いでは、数ヶ月に一度開催される部活の定期ライブに全てを注ぎ込んだ。

そんな、おれの大学時代の青春そのものだった軽音楽部。

27歳の今、あの頃のバンドメンバーはみんなバラバラになって、それぞれの暮らしをしていて、会う機会もずいぶん減ってしまったのだけれど。

おれと同じように音楽にどっぷりと身を浸しながら、一緒にライブを盛り上げた同期メンバーの中で、あの頃のバンドをまだ続けてるやつらもいる。

HAIR MONEY KIDSというバンドの3人。

ドキドキしながら初めて軽音楽部の部室のドアを叩いた時に、一緒に連れ添ってくれた、部活で一番最初に仲良くなったベースのなおくん、

自身の【髪が少し風通しが良いところ】を自虐ギャグにしてみんなを笑かすムードメイカーだけれど、音楽には誰よりも熱いドラムのナンさん、

天才肌で、でも天然で、音楽のことしか考えられないってくらいにまっすぐで、いつも純度100パーセントの歌を歌う、ギタボのルイさん。

3人が織りなすライブはいつも嫉妬するくらいの完成度と熱気と、そしてドキドキするくらいの純粋さがあって、好きだった。

大学を卒業するとき。

おれは就職を決めて、もう音楽なんてやれなくなるのかもしれないな、と思っていた時に、彼らから

“俺たちは音楽続けるよ"

と聞いて、嬉しくもあり、全てを捨ててまで音楽に飛び込める勇気が羨ましくもあった。

とにかく彼らは、音楽よりも安定を選んだあの頃の俺たちの、希望だった。

大阪までヒッチハイクで乗せてきてもらったおれは、そのヘアマネキッズのバンドワゴンの助手席で、高速道路をかけるその振動に揺られていた。

隣の運転席には眠そうな目をこすりながら、車内の音楽を口ずさむナオくん。

空はゆっくりと明るんできていて、山の向こう側の朝日に照らされる雲の赤が綺麗だ。

目指す場所は岡山。

ヘアマネキッズの3人が住んでいて、活動の拠点となっている場所、そしておれたちが大学時代を過ごした、思い出の場所だ。

富士山の麓、御殿場のサービスエリアから大阪に帰る営業のおっちゃんに拾ってもらえて、一気に大阪までやってきたおれ。

天王寺駅の近くに一泊1200円のドミトリーを見つけて、2泊ほどした。

2泊の間で、懐かしい人と会った。

一人は、旅に出る前の短期間で、住み込みで福井にリゾートバイトをしに行った時に出会った、ジャンベ奏者のタカ。

あの頃は彼はまだ大学生で、福井の田舎の山の中に、おれはギター、タカはジャンベを持って、(なぜか)上半身半裸で叩いていた。

大阪のみなみ名物の、激安居酒屋にて会った彼は、今となってはスーツ姿も板について、ちゃっかり社会人になっていた。

しかし、中身はちっともあの頃と変わってなくて、

「いや!でもおれはこのまま一生この会社で働くとは微塵も思われへんねん!絶対金貯めたらがもやんみたいに旅すんねん!!」

ビール片手に豪快に夢を語ってくれた。

居酒屋を出ても、缶ビールを買って、公園で話した。

更けていく街の明かりを眺めながら、あの頃に想いを馳せてみたり、これからのことにお互い熱くなったり。

気づけば0時を過ぎていて、あたりをめんどくさそうな酔っ払いがうろつき始めたので、帰った。

いくつになってもこうしてお互い、過去にも未来にもワクワクしながら、生きていたいものだ。

足をフラつかせながら二人駅まで歩いていると、突然女の子に話しかけられた。

え!だれ?と思ったら、タカが照れ臭そうにいう。

「あぁーがもやん、紹介するわ。こいつ、彼女やねん。」

ちくしょうこのやろう!!幸せになれよ!!!!

次の日は、同じく大学時代の軽音部の、1つ下の後輩、ヨネキチが奈良から大阪まで出てきてくれて、一緒に天一を食べに行った。

「う、うまぁぁぁぁ!!!!!!うますぎる!!!!!うおおおうま過ぎてゲロ吐きそううぉぉろろろろろ!!!!」

「ちょ!!がもさん汚い死んでください!!」

超久々の、大好物のこってりの味に感動しっぱなしだった。

スペインの荒野を、食料にありつくこともできずにひたすら歩いていた時の事。

あまりにもお腹が減り過ぎて、"あぁ、天一、天一が食べたい…"とか思いながら、水だけ飲んで眠った夜が何度かあった。

夢にまで見た日本の、この味に、やっと辿り着いたのだ。

幸せは、ずっと身近なところにあったんだなぁ、なんて良くあるセリフがストンと胸に落ちてくる気分だ。

「そういやよねきち!お前がまた病んでたから心配してたんぞ!!何ヶ月か前、えらく絶望しとったやろ!」

「ああ、その際はどうも。でもまさかおれの名前と心の闇ががもさんのブログに書かれて全国に公開されるとは、思っても見ませんでしたよ!恥ずかしいじゃないですか!」

「む、悪かったな!もうブログには書かない!書かないからぁぁ!」

数ヶ月前、おれがポルトガルの海沿いをひたすら歩いていた頃だ。

もともと生きている意味みたいなのに繊細すぎるくらいに考え込む人間であるヨネキチは、人知れず絶望していた。

意味や幸せがあるとか無いとかどうでもええけど、おれはお前がいないと人生の楽しみが減る!だから生きろ!みたいな旨の、自己中心的で暑苦しいラインを書き溜めて送ったのを思い出して、その話をして見た。

たしかに生きることは辛いことばかりだし、幸せなんて砂つぶみたいに小さくて、ちょっと気を抜けばサラサラと指と指の間からこぼれ落ちる。

でもそんな事は3000年前からわかっているだろう。

なんならもう落ちるところまで落ちて良いから、そのこぼれ落ちる様を見て、無様だなぁと、空っぽだなぁと笑い転げようじゃないか。

ヨネキチとは感性のどこかが似通っていて、そんな話をしていると、どこかで、あぁ、おれは一人じゃないんだなぁ、なんて思わされる。

友情や先輩後輩や、そんなんじゃない部分で、俺たちはつながっていると、おれは勝手に思っているのだ。

店を出てからも缶ビールを買ってビルの隙間に腰掛けて二人で飲みながらそんなことを語った。

帰り際、駅までやってきたところで、ヨネキチがA4の紙の分厚い束を

「持って帰ってください!」

と、手渡してくる。

「おれ、小説書いてるんです。がもさんの評価も聞ければなぁと思って。」

「なに!!こんな重いもの持って帰れるか!迷惑なやつやで!!」

「いや、ダメです!読んで感想くださいね。あと、今日の事もベラベラブログに書いたりしないでくださいよ!では、香川まで良い旅を!」

「だれがお前のことなんぞ書いたりするか!時間の無駄や!はいはいじゃあな!ヨネキチも元気でやれよ!」

口ではそんな風に言い合うが、嬉しかった。

うまく周りに馴染めない、自分の存在意義をうまく見つけられない、その葛藤や絶望を音に変えて、これがロックンロールだと叫んで、駆け抜けた大学時代。

そんな、今も時折襲ってくる孤独の波を、おれは今もギターを持って歌ってる。

よねきちは、それを、今度はペンに持ち替えて、独自の世界を描き上げていた。

“ハッピーエンド"という題名のその小説は、偶然本屋で手に取った文庫本だとしても遜色ないほどのストーリー性と文章力、そしてその中に、あいつにしか表現できない深層心理やひりひりした生死感が注ぎ込まれていて、思いもよらぬ完成度に、少しびびった。

やっぱりあいつには、才能があるんだと思う。

それはもう、先輩として、悔しいくらいに。

30も近づいて、社会的正解に当てはめたがっている大勢の人たちの中において、おれの周りにはそんな表現者たちがたくさんいる。

それがとても幸せな事だと思った。

もっと、美しい世界を見せておくれ。

そんなことを強く思った、再会だった。

大阪での滞在では、路上もやった。

宿から近い天王寺駅の広場でやろうと思って向かったんだけれど、至る所に

“路上演奏禁止!"

のポスターが。

きっとマナーの悪いミュージシャンが何か問題でも起こして、こうなったんだろうけど、なんだかな。吹き抜けのだだっ広い広場。あたりには住宅もない。

普通に歌う分には迷惑なんてかからないだろうし、帰宅ラッシュで無表情ロボットのようなこの人の群れの中で、温かなメロディが流れ出したら、心の温度が一度上がる、そんなことはなかろうか。

そう考えるのはおれくらいなのかな。まぁ禁止なら仕方がない。

そのあとそこから離れたシャッターの通りでギターを出して見たけれど、ホームレスのおっちゃんに、

「なにやってんねん!」

と怒られる。

くそう!とか思いながらも、すみません…と謝ってすぐにギターをしまった。

くそう!!…

そこから電車に乗って、大きな駅で何個か見て回ったけれど、どこも事情は厳しい。


たどり着いたとある街の小さな駅前商店街で、そこそこ人通りがあって、住宅のなさそうな広い通りを見つけた。

止められるかも知れんけど、もう、ここでやっちゃおう!

夜8時を過ぎても蒸し暑い都会の風を浴びながら、滑らかにアンディモリを歌った。

飲み屋帰りの、自転車カップルが立ち止まってくれて、にいちゃん、なんかやってやー!と500円玉を投げてくれる。

なんだか嬉しくなって、数少ない有名曲のレパートリーから、尾崎豊のアイラブユーをやった。

「歌詞間違えてたけど、ええ声してるなぁ!歌詞間違えてたけど、頑張ってやー!」

と笑って手を振ってくれて、歌詞間違えんなよー!と言いながら去っていった。

ありがとうございます!

通り過ぎる人もチラチラ見ては、頑張ってね!と声をかけてくれたり、チョけた高校生がリズムに合わせて変な踊りを見せてくれたりする。

東京に比べて、明るい人が多いなぁ。

なんて嬉しくなっていると、

「ガモウさんですか?」

え、えーーー!!!?

知らない女性に声をかけられる!

「そ、そうですが、あ、貴方は??」

「やよいの母です。分かりますかね?ブログ村の。」

「や、やよいさん……?はっ!!!え!?まさか?ごんざれすさんの!!!??世界一周ごんざれすさんのお母様であらせられされますかぁあごぽぽぽ!!!!」

なんと!この女性、今はもうおれは抜けてしまったが、昔このブログで参加していた世界一周ブログ村で、超絶な人気を誇っていたブロガー、"世界一周ごんざれす"さんのお母様だったのだ!!

まじかよなんでえーー!!!!

混乱するおれ。

なにやら、ブログ村つながりでおれのこの嘔吐物ブログを見ていただいてたらしく、ツイッターで近くで歌っているという投稿を見て、応援しにきてくれたのだという!!!

「いつも楽しみにしてますよ!今香川を目指して帰ってる途中なんですよね?」

「そそそそそうなんです!!いやぁゴザレスさんにはいつもお世話になっておりますぅぅ、あ、いや別に一度もあったことないんですけどあの、そのいつもブログは楽しみにしておりましてゴポポ…!!」

(中身は女性の)ごんざれすさんに似て、とても上品でお美しいお母様に緊張して訳の分からんことを口走ってゴポゴポしていると、

「応援してますよ!頑張ってねぇ。」

と、お札を入れてくれて、爽やかに去っていったお母様。

「えええいいんですか!本当にありがとうございます!」

ごんざれすさんやお母様、回り回ってクレイジージャーニーの丸山ゴンザレスにも感謝しながら、その背中を見送った。

本当にありがとうございます!!!

ヘアマネとは、アメリカ村で合流した。

ちょうど今日、天王寺の宿を出なきゃいけない、という時だ。

「がもちゃん!ヘアマネで大阪と名古屋にツアー行くんやけど、帰り岡山まで乗せたげようか!?」

と、連絡をもらった。

いいのかーーー!!!!と慌てて支度をして、難波を目指した。

すでに前日に大阪でのライブを終えていた彼ら。

ナンさんと再会を祝って、たこ焼きとビールで乾杯した。

なおくんとルイさんは、別のライブに挨拶に行っていた。

なんさんとそのあと、コリアタウンをぶらぶらした。

狭い裏路地にびっしりと立ち並ぶ商店の店先には、真っ赤なキムチやカクテキや、うまそうな韓国惣菜がずらりと並んでいて、まるで外国みたいだった。

放送コードぎりぎりのこんなポスターも飛び出す始末である。

「がもちゃんはこんな異国の雰囲気をずっと感じてきたんじゃなぁー!!すげぇ面白い生き方じゃおもうわ!!」

懐かしい岡山弁で、そんなことを言ってくれるなんさん。

これまでの旅の話、世界の中での日本の話。

興味津々ななんさんに、いろんな話をした。

おれも、この二年間のバンドのライブや新しい音源の事、軽音のみんなの状況なんかを聞いて、ぎゃははと笑い合った。

お互いに必死にこの2年を生きてきて、おれはたくさんのことを知れたし感じられたが、失ったものも多かった。

きっと、おれが見られなかった世界をたくさん、音楽を日本でやり続けてきた彼らは見てきたのだろう。

お互いに尊敬しあえるし、でも目線は対等で、意見を交わしあえるこの関係が幸せだと感じた。

その夜は、難波のど真ん中のパーキングに停められた、彼らのバンドワゴンで寝させてもらった。

かれらはライブの打ち上げに顔を出さなきゃという事でいなくて、夜中に酔っ払いが間違えたのか、ふつーにドアを開けて入ってこようとしてちびりそうになったけれど、

明け方、目を開けるとなおくんやルイさんも車に戻ってきていて、静かな再会に心が熱くなった。

朝日が完全に登ったころにはみんな起き出して、よっしゃ行くぞ!と大阪を出発、今夜のライブが行われる名古屋を目指した。

せっかく大阪まできたのに、また名古屋まで戻るとは…なんて気持ちにはまったくならない。

日本に帰ってきて、彼らのライブを一度しっかりと見てみたかった。




地元バンドのレコ発で盛り上がった地下のライブハウスのなかでも、ヘアマネキッズの3人のライブは際立っていた。

轟音と、明るいメロディと、軽快なリズムの中に、どこか開き直りにも似た、諦めなのか、悟りなのか、一抹の寂しさがある。

人はきっとそんな感傷を、青春だなんて呼ぶんだろう。

今回見た彼らのライブは、そんな人間の生身の純粋な部分が際立っているように感じて、感動した。

嬉しくて飛び跳ねるんだけれど、いつか終わりが来る夏休みの、8月の終わりみたいな、儚さが胸を包むんだ。

音楽が好きなんだな、みんな。

本気で本気で追い求めてるんだ。

うん。きっとおれもだ。

大丈夫。俺たちならきっと大丈夫。

いつかなにもかも失って、お互いじじいになって、社会の何もかもから見放されたとしても、きっと俺たちなら大丈夫だ。

その時はみんなで南の楽園の、無人島にでも移り住んで、夜な夜なギターで歌おうぜ。

こんなに好きなもので繋がってるんだ。

おれたちなら、どこまででもいけるさ。

そんな根拠の無い想いをライブを見て感じて、どうにか言葉にして共有したくて。

ライブ終了後、岡山を目指すために深夜の名阪高速道に乗ったバンドワゴンの中。

来た道を巻き戻す運転席のなおくんに語ってみるけど、うまく言えなかった。

まぁいいか。きっと大丈夫さ。

ライブの余韻に浸りながら、流れ行く高速の誘導灯の粒をぼんやりと、目に、そして心に流し込む。

おれたちの心を飲み込もうとする漆黒の闇を切り裂くように、バンドワゴンはどこまでも、かけて行ったんだ。

西へ西へ。岡山はもうすぐだ。

そんなところです。

二年間の世界一周の旅の中で出来た曲たちを詰め込んで、お手製アルバムを作りました!
12曲入り500円!ガモウユウキ各ライブ会場やらで気ままに販売中!聴きたいと言ってくれる方、CDデータ送りますのでお気軽にツイッターなどでメッセージください!

今回のブログで登場したヘアマネキッズのYouTubeチャンネル。明るい木漏れ日を浴びた焦燥感と、淡い切なさの残像が君に届くか!必見である。

旅の写真を随時アップしてます。→Instagram
リアルタイムのおれ。どうでもいいことなんでもないことを大げさにつぶやいてます。Twitter @ガモウユウキ

YouTubeにて、オリジナルミュージックビデオを公開中!コメント、チャンネル登録してくれるとうれしくて目からうどんが出ます。


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Posted by gamoyuki