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自惚れと絶対的音楽感の話

2019年8月1日

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バンコクに帰ってきた!

次の日、さっそく路上にでた!

アソーク駅の近く、巨大な電子広告の下で。

そのあと、夕飯にマックのパイナップルパイを食べて、すぐ近くのスカイトレイン下で、2本目!

行き交う車のエンジンとクラクションの音、巨大なテレビモニターから流れる甲高いお姉さんの声、それらに負けじと腹に力を入れて大声で歌った。

きざむカッティングと頭の中で叩きつけられるドラムビートが絡み合って、流れるように言葉が音の波に乗って、

その声に、ギターが、リズムが、周りの雑音さえも勝手に乗っかってくるイメージがして、なんだめちゃくちゃうまく歌えた。

誰にも負けない気がした。

自分でこんなに納得できる歌が歌えるのはなかなかないってくらいいい音楽を鳴らしてるはずなんだけど。

しかし

しかし誰も立ち止まってくれない。

チップは入らない。

こんなにいい歌を歌えているのになんで誰も見てくれないんだ?

正直、そんな気持ちがグルグル渦巻いて、完全にキマってるのに、足が震えるくらい気持ちよく歌えているのに、歌えば歌うほどどんどん孤独になっていく感覚。

こんな歌は俺にしか歌えないのにって、揺るぎない自信とロックンロールをナイフみたいに尖った音に乗せて、道行くサラリーマンに突き刺す!道行くおやじに!学生達に!日本人旅行者達に!リズムを叩きつける。届いて欲しい、なんて優しい音楽じゃない。愛と衝撃と血みどろの傷口を見せびらかすような、叩きつけるような。見ろよ!?こっち向けよ!?って。ほんとはこんな俺を認めて欲しい、はたりと5秒、立ち止まって笑って欲しいだけなのに、突き立てたはずのナイフは雨みたいに僕のほうに降ってきて、心をえぐる。

気付けば完全に冷静じゃなくなっていた。
酔っ払いのおやじがやってきてギター弾かせてくれよと絡んでくる。

うるせえよ、今おれが歌ってんだろうが。

日本語でMy hair is bad の夏が過ぎていくを歌う。キレてた。いい意味で。
日本人観光客の若い男達が小声で話しながら横目で見てる。「えっ!日本人じゃん!」
顔を向けると、気まづそうに、逃げるように立ち去る彼ら。
いつものことだ。
でも今日だけはなんか悲しいのか腹立つのかわかんない、いやな泥にまみれる。

変な目で見るなよ!おれが歌ってんだろうが!

全てのサイクルがバラバラで、骨組みのない恍惚と自惚れと激痛と孤独がおれの周りを舞ってる。ただ唯一今歌っている音楽だけが突き刺した電柱のように、ふてぶてしく立ってた。

才能ないんだよ。

何て言われてるみたいだ。

誰からも好かれるための才能なんていらねぇよ。

自信を持ってそう言い返したいんだけれど、

それすらも誰にも届いていない気がした。

結果は100バーツ、約300円。

こんなにも内向的な音楽にお金を入れてくれた人たちには本当に感謝すべきなんだ。

でも、おれの音楽はこれで間違っていないって思うんだ。だからこそ、誰かに「おれはそういうの好きだよ」って言って欲しい。なんて、結局誰かの瞳の中で生きてしまっているおれだ。鍵の開かない体育館に一人取り残された放課後みたいな、シンと痛むバンコクの夜だった。

悔しくて悔しくて、予定より遅くまで歌ってしまった、今日は約束をしている人がいたんだ。

大学の先輩の結婚式で、お互いこれから海外でやりたいことをやるんだって話をして意気投合した、看護師のゆみさん。

今はバングラデシュの病院で働いていて、どうしても話が聞きたかったので、バンコクに遊びに来るというので無理言って飲みに誘わせてもらってた。

国鉄駅の前の寂れた飲み屋で閉店まで一緒に飲んだ。

人生はほんと自分のものでしかないからなぁ、行きたいように生きなきゃ!って、当たり前のことなんだけどあほみたいに真剣に話し合えるのがうれしい。

旅してると、自分がありのままの姿でいても許されるような人ばかりが周りに残ってくる。

それは、他の人たちに見捨てられたようで少しさみしいことだけど、ものすごく素晴らしいことだ。

やっぱりおれはありのままで生きたいし、ありのままを歌っていたい。

混乱していた気持ちが、こんなにも簡単なことでちょっとふわっと、解けた気がした。

答えは出ないけど、真剣に考えるからこそ真剣に苦しんで行こう。


ありがとうゆみさん。

そんなところです!

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Posted by gamoyuki