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国際結婚夫婦が手作り結婚パーティをやってみたら、最高の景色が待っていた話【まじで大変だったけど】

2025年4月26日

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

なんがでっきょんな。ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅などを経験し、現在は東京で音楽活動中。
旅と音楽、サッカーなど、好きなことを鼻息荒く語るだけのブログだよ!

右を見ても左を見ても、何も気を使わない大好きな友達ばっかり。

こんな楽しくて、ワクワクして、ここが世界の中心だ!なんて思える瞬間って、人生で何度体験できることなのだろうか?

気付けば大変だった準備期間も不安も不満も、きれいさっぱり消えていた。

残ってたのは、やりきったぞ!っていう心地よい疲労感と達成感と、

おれたちのわがままに付き合ってくれたみんなへの感謝の気持ち。

そんな襲い来る歓喜の余韻に締め付けられて、帰りの飛行機から見える高松の夜景を遠目に眺めては、一人胸を焦がれていた。

それは祭りの後のせつなさ、はしゃいで帰った帰り道、すごい速さで夏は過ぎたがベイベェェラララララララ!!!だったのだ。

まず春なのにね。意味わからん。意味わからんけどこれだけはわかる。

手作り結婚式、めちゃくちゃ大変だったけれど、やってよかった。

気持ちを整理して、この優しいセンチメンタルを忘れないためにも、こうして記事にして書き残しておきたいと思うのだ。

きっかけは妻氏が言った「神社で結婚式がしたい」

さて、独りよがりな高揚感のみでつづられる書き出しが不快感を加速させることで有名な当ブログ。

早速読者のみなさんの9割方は離脱してしまったかもしれないが、引き続きこの衝動に身を任せて体揺らしながら書いていくぜ!

まぁ最初から説明しますと2025年4月、桜が満開の良き日に香港人妻氏と結婚式をあげたのだ。

1日目は神社と写真スタジオに依頼しての家族だけでの神前式、

2日目は海の見えるレストランを貸し切って、友人のみ、服装自由、ご祝儀禁止のパーティという形で。

式場を通したりせずに、イベント演出から音響映像まですべて自分たちプロデュースの完全セルフ結婚式であったためにめちゃくちゃ大変ではあったのだが、

その分自由で最高な楽しいいい思い出になったし、妻氏や、協力してくれた友達と最後までやり遂げたパーティは、なんだか大人の文化祭みたいで、とにかく青春で祭りで、そしてドラマチックな体験だったんだ。

そもそも2022年に結婚した俺たちが、なぜこのタイミングで結婚式をしようとしたかというと、

「神社で結婚式を挙げて香港の家族に見せてやりたい」

という妻氏の願いを聞いたからだ。

いや、聞いたというか、感じ取った(笑)

妻氏は根っからの亭主関白で威勢と体裁を大事にする江戸っ子おじさんみたいな性格なので、

素直に「結婚式やりたい!ウェディングドレス着たい!」とか乙女に提案されたのではなく、

「結婚式なんてわしゃ興味ないんだけどよ!香港の親に見せるためにやってやってもいいかなって思ってよ!」

みたいな話をされて。


「おれは結婚式に浮かれる女とは違うんだよ!」というスタンスは貫きつつも

「お前や親のためなら仕方ねぇなやってやってもいい」みたいな体での回りくどい提案を受けたのですよ…(笑)

人前に立ってちやほやされたりするのが嫌いな妻氏とは違い、下手なギターを道端でかき鳴らしては圧倒的異物感で人々の視線を集め、

それが嘲笑と好奇の視線であるとも知らずに人気者になれたと勘違いしては、痛々しい自分語りブログで鼻息荒くポエムを書き綴る

そんな承認欲求こじらせ厨二おじさんなおれは、その提案に大賛成。

昔から結婚式って憧れてたし、大好きな友達たちに囲まれてパーティするのも最高に楽しそう!

どうせやるなら香港人家族の日本観光も兼ねて桜の咲く季節に、

一日目に神社で家族だけで結婚式を、二日目に友達を誘って披露宴的なことを!という形を提案したのであった。

国際結婚夫婦の結婚式準備は大紛争続き

前撮りで撮らせてもらった神社での結婚式の写真

まぁ、ここまではよかったのだ!

お互い「職場の人は呼ばずに、堅苦しい雰囲気はなしのカジュアルな式を」って感覚は一致してて、

ふわっと日取りを決めてからは、「誰を呼ぼうかな?」「一曲弾き語りしちゃうかな!?」などと、いろいろ妄想しては盛り上がって最初のうちは楽しかった。

しかし…年末あたりから具体的な内容を詰めはじめると、じわじわと「夫婦間の価値観の違い」が浮き彫りになってくる。

それはもちろん旦那(=おれ)の、注意力散漫で、一貫性のない主張、物忘れの激しさ、

そして何より自身の低所得な現実を無視した理想論ばかりを語る計画性のNASAアポロ3万号にも原因がないとは言い切れない。

…が!それだけじゃなかった!

香港人と日本人の国際結婚だからこそ生じる、家族や友人に対する価値観の違い、金銭感覚の差、

そして「結婚式」というイベントに対する文化的な認識ギャップこそが、大きな障害となったのだ!

たとえばおれの場合、結婚式といえば「友達 >>> 家族」って感じで考えてた。

日本人感覚って、家族は“身内”だから、もてなすというより「一緒におもてなししてもらう」側って感覚ないだろうか?

だからおれは、家族だけの神前式は車の手配も食事会もすべて親任せ、結婚式を見せてやるんだから子供の結婚式を親が手伝うのは当たり前だ、くらいに考えていたのだが(カス)、

香港人は違う。めちゃくちゃ家族を大事にする文化がある。

妻氏は心底、家族にこそいいものを見せてあげたい、いいものを食べさせてあげたい!という気持ちがすごくあって、

薄情者ヒモカスおれが「身内にそんな丁寧にする必要ないです!」などと言えば、妻氏は「この薄情者!親に向かってなんてこと言うんや!」と大激怒。

逆に友達に対してはおれの方が、きれいな言い方をすれば「ちゃんとおもてなししたい」、いやらしい言い方をすれば「いい結婚式だと思われたい」っていう気持ちが強くて。

香港からわざわざ来てくれる妻氏の友達のためにも、少々お金がかかってもきちんとした結婚式場を予約してちゃんとした披露宴をやった方が満足してもらえるんじゃないか?とか思ってたんだけれど。

妻氏は

「友達なんやからそんなに気を使わんでええやろ!酒と飯さえあれば勝手に楽しんでくれるんやから!」
「イベントもおもてなしも必要ない!レストランだけ用意して、あとはただの食事会でOK!」


などと、友達に関してはめちゃくちゃフランクな意見を持っていて。

「高い金払って式場予約して友達からも高いご祝儀出してもらって、たいして興味もない私たちのいちゃいちゃ見せられて、誰が得するんや!」

と、おれの理想を完全却下。

形式にのっとって友達にいい顔したいおれと、お互いの友達に相手を紹介して食事を楽しめればそれでよしとする、現実的で合理的、コスパ重視の香港人妻氏との感覚のギャップはすさまじく、何度も口論になっては論破され打ちのめされたのであった…

「お前のそういう注意力散漫で一貫性のない主張、自身の低所得な現実を無視した理想論ばかりを語る計画性のなさ、それを国際結婚夫婦の価値観の相違にすり替えて自身を正当化しようとするクズなところと折り合いを付けながら準備する私の気持ちにもなってみろ!」

などと、毎度現実を説きながら理詰めされお尻をシバキ上げられながら。

最終的には神社婚は写真スタジオの格安プランでお任せして負担を減らす。

パーティはレストランを貸し切ってご祝儀なしのカジュアルパーティという形で実施しながらも、

料理以外にも動画や音楽、クイズビンゴゲームの演出など催しを準備するという形に落ち着いた。

極力経済的にやりつつも、最終的にはある程度おれのやりたいことを全部かなえてくれた妻氏に感謝である。

手伝ってくれた仲間たちに心からの感謝を

打ち合わせから音響、映像、イベント進行の受付まで、全部手伝ってもらった地元の仲間たち

そんなで、大まかなタイムテーブルが決まって、本格的な準備にとりかかる。

動画やビンゴゲームなどのイベントも、いざ準備を始めると、

イベントの進行から景品準備、ウェルカムシートやメッセージボードの準備、会場の音響、動画準備、衣装の準備からゲストの皆さんとのやり取り…

一から十までなにもかも自分らでやらないといけなくて超大変で!

「もう無理や!!忙しすぎて無理!!」

と、自分がやりたいと言い出したくせに嫌になっては妻氏にわめきちらす日々…!!

これだけ準備して、ちゃんとみんな楽しんでくれるのか?うまくいかなくて、白けさせたりしないか?

そんな不安で、何度もくじけそうになりながら。

しかし、そんなときにいつも

「クラフト結婚式ってなに?すごいおもしろそう!」「めちゃくちゃ楽しみや!」と期待してくれたり、

「手伝う事あったら言ってねー!」と声をかけてくれる友達だったり、

出張で東京来てるからと飲みに連れて行ってくれて話を聞いてくれた先輩だったり。

そんな人たちの何気ない声や応援がすさまじく勇気になったんだ…!

そして、運営を手伝ってもらった高校のころの友達メンバー。

YouTuberやってる友達に司会をお願いしたり、受付も音響も動画再生も自分らでやらなきゃいけないのでお願いしたり、めちゃくちゃ手伝ってもらう事になった。

休日に夜遅くまで当日の進行の打ち合わせをしたり、何から何まで助けてもらった。

あいつらにとっては何の得にもならないのに悪いなぁ、なんて思ってたんだけれど、

「これだけ準備してたら絶対盛り上がるやろ!」「まぁノリで何とかなるやろ!」

とか勝手に盛り上がってくれて気が楽になったし、

「お前が楽しむのが一番やぞ!」と応援してくれたりもして、とてつもなく支えてもらったんだ。


このメンバーと仲良くなったのは、高校のベランダだった。

当時の俺たちは今からは想像もできないかもしれないんだけれど、超絶陰キャで(イメージ通りだとか言うな)、昼休みに陽キャたちが盛り上がってる教室に居場所がなくてな。

はじき出されるようにベランダに出てきて弁当を食べてたら、別クラスからも同じように陰キャたちが次々とはじき出されてきて。

厨二気質でどこか抜けてて周りの色に馴染めないポンコツたち、そんな似たり寄ったりなやつらばかりだったから、すぐに心を開いては仲良くなって。

気付けば日差し照り付ける灼熱の真夏も、木枯らし吹く真冬でも、時間があればベランダに出てみんなと過ごすようになってて。

息の詰まる教室のカーストに支配された空気に窒息死寸前な俺たちが、唯一腹の底から笑える場所。

高校時代のあのベランダは、そんなおれたちの心のよりどころみたいな場所になっていたんだ。

あれ以来、卒業してからも社会人になってからも、地元に帰るといつもあいつらと旅行したり飲みに行ったりしてる。

こじらせた青春時代を一緒に笑い飛ばしてきた大切な仲間たちなんだ。

高校卒業まじかの頃に、そんな彼らと一緒に勝手に「卒業制作だ」、とか言ってゲームを作ったことがあった。

当時はやっていた「RPGツクール」ってソフトを使って、そのころの教師やベランダ友達を登場させて身内ノリで盛り上がって、それはそれはひどい出来だったけれど、とにかくみんなでバカ騒ぎして何かを作ることが、最高におもしろくて青春だったのを覚えている。

今回の結婚パーティもなんか、あのころみたいな馬鹿馬鹿しい盛り上がりがあった。

超大変だったけれど、なんだか愛しくて、夢中になれて、青春だった。

なんかみんなも、そんな風に思ってくれてると嬉しいな、と思った。

カメラ撮影を手伝ってくれた大学の後輩

地元の友達以外にも、先輩が今日のためにライブを準備してくれたり、東京からシェアハウス仲間がやってきて乾杯してくれたり、みんなからのメッセージ動画を集めてくれたり、当日の車の手配や動画撮影を引き受けてくれたり、

全て、なにもかも、周りの友達がいなけりゃなにひとつかなわないパーティだった。

最初はひとりで全部やって、みんなを驚かせてやるんだ、なんて思ってたけど、到底無理だった。

「お前はそんなに器用ちゃうやろが自分を過信すんな。もっと仕事をふれや」

妻氏が一番わかってた。

「おい!貸せ!」

とぶっきらぼうにおれから仕事を奪っては、一緒に受付表制作やゲームの景品準備をやってくれた。

最初はおれが勝手にやりたいと押し通したことなのに、最終的には夫婦二人とその友達たちで作ってた。みんなの想いや助けが集まって。

手作りで不器用ではあるけれど、一つ一つ積み重なっては完成していく結婚式。

なんかもう、ほんとうに感謝で今にもあふれ出しそうだった。



家族だけでやってよかった神社結婚式

そんなで、メンタルジェットコースターで急降下と浮上を繰り返しながらもなんとか迎えた式当日!

一言で言うと、ありきたりだけれど、本当にやって良かったなって思った。

まずは一日目の神社婚。

朝6時に二人で写真スタジオについて、妻氏のメイクや着物を羽織る姿を眺める。

最初は「え、これおれ集合は1時間あとでよかったやんもうちょい寝れたやん。」などと思ってたのだが(クズ)、

いつも亭主関白で旦那のお尻をシバキ上げるほど豪快な妻氏が、どんどんおしとやかなお城の箱入りお姫様みたいに変わっていくのが、おもしろくて、愛しかった。

「おい!どうや?」

と、ちょっと照れながら、しかしピンと背筋を張って誇らしげに振り返る妻氏。

なんだかその姿が、かっこよくて可愛らしい、妻氏の魅力が全部詰め込まれたようなこそばゆさがあった。

高松のスタジオから丸亀の神社までの車内では、仲良くなったメイクさんやカメラマンさんといろいろ話しながら向かう。

高松の商店街の写真スタジオで働くみなさん。周辺のおいしいお店やよく行くお店について教えてもらった。

イオンなどの大型ショッピングモールに人が集まり、どんどん個性が失われて行く地方都市のなかで、

高松の商店街は日本一の長さと再開発で活気を取り戻し、街のシンボルとなった。

みなさんそんな街と商店街に誇りと愛着があるようで、そんな自分たちが場所に香港からひとり移住してきた妻氏のことをえらく喜んでくれていた。


神社での結婚式、撮影もつつがなく終える。予報だと小雨が来るかもとなっていたが、曇り空から時たまに晴れ間も覗いていて、敷地内にある一本の桜は満開。

神様の前で宣誓?みたいなのを読み上げ、御神酒(おみき)を交わし、神主さんの儀式で終わりというシンプルな儀式。

香港からわざわざ来てくれた家族が退屈でなかったか心配だったけれど、

「日本のトラディショナルで歴史ある結婚式を見られて、貴重な経験になった!」

と喜んでくれてうれしかった。みんなで桜の木の下で記念撮影もした。

タクシーが来るまでのあいだ、神社の広間で香港の家族と一緒に待たせてもらう。

神主さんの奥さん?がお茶を出してくれて、

「私も何十年も前に香港に旅行したのよ~!あの頃は香港の方が物価が安くて、ブランド物をたくさん買ったり、ジャンボっていう船上レストランで食事をしたり、楽しかったわ~~!!」

と、香港の情報が書かれた昔の雑誌の切り抜きを引っ張り出してきて思い出話に花を咲かせる。

そのあとの食事会では、おじさんや弟夫妻も交えてみんなで妻氏の家族の香港の話を聞いたりする。

おれの地元は田舎の観光客もなかなか来ないような場所。

そんな場所でも、結婚式を挙げることで国際交流や新たな発見、みんな集まっての楽しい空間が生まれていく。

そういう、おれ達が結婚しなければ起きるはずのなかった化学反応みたいな出会いを、自分事ながら遠目から見てみるのも、なんかおもしろく感じた。


神社結婚式は、家族だけでやってよかったなぁと思う。

おれの性格上、友達がいたら絶対に家族のことなんてほったらかして友達と楽しんで終わってしまうから、

妻氏と家族と、みんなとちゃんと向き合える、そういう機会を作れてよかったなぁなんて思った。



大変だったけど本当にやってよかったクラフト結婚パーティー

翌日はついに結婚パーティ。

朝からあれこれと準備して、妻氏を美容室に送って、いよいよ会場の時間。

気持ちよく晴れた瀬戸内海、港のふ頭に建つ貸し切りレストランに、次々と友達が集まってくる。

懐かしい友達、同じバンドだった先輩、話に聞いてた妻氏の親友、いつもの地元メンバー。

一人一人とずっと話していたかったけど、同時に

「呑気に話なんてしてる場合じゃない!なにか抜けはないか?忘れ物はないか?」

と焦る気持ちがメントスを入れたコーラみたいに今にも吹き出しそうで、気が散って目の前の人たちとの再会を真正面から喜べない自分がいた。

あさイチでせっかく顔を見せに来てくれた先輩にも

「すみません今立て込んでて…」

とそっけなく対応してしまったりして、しかし後になってそれがフラッシュバックして、俺はなんて失礼なヤツなんだ!せっかく来てくれているゲストの方に…!と自己嫌悪したりする。

みんなに会えて楽しいはずなのに、パーティが始まるのが怖くて不安で、

「本当にやるのかライナー!?今、ここで…!?」

などと心の中の弱気のベルトルトが叫ぶ。

開始前に妻氏と出演者や裏方を手伝ってくれるみんなに集まってもらう。

円陣を組んで今日の感謝を伝えて、そして

「ハプニングも必ず起きると思うけれど、とにかく楽しもう!いい一日にしましょう!」

と手を重ねる。

全部全部自分に言い聞かせていた。

どっかでおどろくほど落ち着いて俯瞰している自分と、なにかのトラブルでパーティが台無しになったら全部自分の責任だ、なんて思って被害妄想でパニックになっている自分がいる。

「これだけ準備したんだ、絶対大丈夫!」って気持ちと、「絶対うまくいかない。楽しんでもらえない。」と思う気持ちもある。

いろんな気持ちとシミュレーション映像が脳内で1秒おきにトランジションして、とっ散らかって、脳内が忙しい。


司会を引き受けてくれた高校の陰キャ仲間、ヤグタウンくんの

「それでは、OPENING MOVIEの上映です!」

の掛け声で映像が始まる。

カウンター内で新郎新婦登場に向けて隠れていたけれど、ふざけて作ったネタ満載のOPENING MOVIE、しかしみんなの笑い声が聞こえてこない。

会場の緊張した固い雰囲気を感じ取る。

「まじかよ、終わった」

入場前が一番ナイーブだった。もうこのまま誰も楽しんでくれないんじゃないか?せっかく香川までみんな集まってくれてて、それはあんまりだよ…


身勝手に自暴自棄になってそんなことを思いながら、OPENING MOVIEの終了と同時に妻氏と一緒に登場する。

怖い。誰にも見られていない気がする。みんなにブーイングされたらどうしよう。来るんじゃなかった、なんて思われてたら、おれはもう泣いちゃう。もうこのまま解散して逃げ出そうか?あぁもう逃げ出したいや!

最悪の想定ばかりがリフレインしながら、客席の正面に立った、その瞬間だった!

そこで向けられたのはみんなの、溢れんばかりの笑顔だった!

「なんだ、笑ってくれてたんじゃん。」

そんなことを思った。待機場所からちょっと距離があったので笑い声が聞こえなかったけれど、みんなちゃんと楽しんでくれてるじゃん。

妻氏と手を繋いで深くお辞儀をして、そしたら大きな拍手をいただけて、そしてふっと、心が楽になった。

みんなワクワクと目を輝かせるように見つめてくれていて、それがなんかとてつもなく勇気になった。

ハイテンションなブルーノマースの曲に乗って各席を回るおれ達を、はしゃぎながらハイタッチして迎えてくれて、うれしかった。

この時はじめて、あぁ、ちゃんとみんなおれ達を祝ってくれているんだ、なんて、失礼かもしれんけど自己肯定感の低いおれは、そんな風に感じた。

反対にいつも楽観的な妻氏が言ってた

「みんな酒と飯があれば勝手の楽しんでくれるんだよ!」

って意味がやっと分かった。最高に勝手に楽しんでくれてた。ほっとした。



そこからは、まじで楽しくて楽しくて、小さなミスとか気にならないくらいテンション上がって、もうなにもかもがほんとに最高だった。

乾杯をしてくれた、二人が出会ったシェアハウスのアニキ的存在、おざわさん。

「再生数の伸びないYoutubeや経費の方が掛かるブログ運営などに夢中の新郎を、応援するわけでもやめろというわけでもない新婦。お互いの好きなことを尊重し合っている関係がいいと思う」

って話をしてくれる。ブログ収支についてはやかましいわ!って感じだが笑(みんなもっと読んでプレビュー数伸ばしてくれ!)

この人は一番、おれたち夫婦のことをわかってくれてるなって思ってうれしかった。

お願いして一曲歌ってもらった、大学時代の先輩、けんもつさん。

大学時代、ケンモツさんと二人でハマって聴きまくった「suzumoku」ってシンガーの曲を歌ってくれた。

「逃げ出しただけだろ」と後ろの方で聞こえた声に
「そんなことはない」と低く細くつぶやき返す
わずかに震える手 自信の色はすでに蒼白で
今にも立ち止まり はるかかなた後ろを振り返る

たどり着いた景色はどうだい?それは僕にも見えるものなのかい?
宝物は役に立つかい?それは僕にでも使えるものなのかい?

盲者の旅路 suzumoku

世界一周の旅路の果てに出会った妻氏との関係を想って歌ってくれた曲なのだろうけれど、

その時の俺には、辛かった準備期間を終えてやりきった、たどり着いた、たった今の自分を重ねて聴き入ってしまった。

あるいは、もっと昔、ケンモツさんと出会った大学時代の頃から続いた人生のことのようでもあった。

気持ちよくなって、なりふり構わずビールをもらって飲みながら頭を揺らした。

中学時代にその協調性のなさから「変なヤツ」としていじめられてたおれは、その頃の痛くてみっともなくて消し去りたい傷をずっと隠して生きて来た。

ありのままの自分でいようとすると、また気持ち悪がられるから、誰かと違うことを極端に恐れ、嫌われることを恐れ、普通の人間であることだけを考えてた。

でも、大学で軽音楽部に入ってけんもつさんにバンドに誘ってもらえて、なんかギターを振りかざしてバッキングしているときだけは最強になれた気分で、有頂天で、何も怖くなかった。

好き放題弾いて歌って、客観的に見たら、すごく気持ち悪いヤツだったと思う。

ライブ後に怒られるかと思ったけれど、けんもつさんやバンドの先輩たちはみんな「そのキモさがいいね」「もっと自分を出せ」なんて言ってくれた。

なんかその時初めて、自分が自分でいていいんだって思えた気がしたのだ。

生きていくことがつらいだなんて3000年前からわかりきっていることで、

誰かに嫌われることも、気持ち悪がられることも、そんなもんは生きてりゃ当たり前なんだから。

せめて音楽の前でだけは、そのしょーもないカスみたいなおれの人生を精いっぱい美化して賛歌にして、腹の底から歌ってやる。

ロックンロールだけは、「そんな君のすべてが好きだ」って歌ってくれる。

なんか、けんもつさんの曲を聴いてると、そんな人生を変えた音楽との出会いを果たした大学時代のことなどを思い出した。

そのあと、けんもつさんの娘さん、はるちゃんもステージに上がって歌とメッセージを伝えてくれる。

超たくさん練習してくれたんだなってわかる、すごい完成度と圧巻の落ち着き。とにかくかわいくて上手で、そしてかっこよかった。

はるちゃんにとっても今日の結婚式のステージが、今後の人生のどっかでわずかにでも、自信や思い出になってくれたらうれしいな。

そのあとのビンゴ大会が始まるころには、1杯しか飲んでないのにテンションに飲まれてすでに出来上がってて、

なんかもうよくわからんけどとにかく最高だった。

クイズ形式のビンゴゲームで、妻氏と地元メンバーがステージに立って司会、おれはPC台でスライドショー操作など裏方作業をやっていたのだが、

問題発表で客席で笑いが起きたり、答え発表で一瞬時間が止まるようにみんながスクリーンを見守る姿とかを、端から見てるのが超楽しかった。

妻氏の家族が持ってきてくれた香港のお土産の景品も、楽しんでもらえてよかった。

ふと俯瞰して見てみて、みんなが楽しんでくれてる様子を、じっくり味わってみる。

見渡す限り、大好きな友達ばっかり。すごい幸福な世界だ、とふと思う。

結婚式という名前を盾にして、みんなに集まってもらって、こんな贅沢な景色を作り出しちゃっていいのだろうか?

自分が、なんだか悪いことしてる気分にすらなってくる。

こんなに幸せな空間って、人生であと何度出会えるんだろう?

そんなことを考えてた。

あとはもう葬式くらいなのかもしれん。そう考えると、死ぬのがちょっと楽しみにもなってくる。

ビンゴが終わって、一曲、妻氏が好きなbacknumberの花束という曲を歌う。

ケンモツさんにカフォンも叩いてもらって、感動的な歌詞と演出で、キマッた!って思って妻氏の方見たら、

めっちゃ友達と話し込んでて1ミリも聴いてくれてなくてわろた。

なんかもうそんな自由な雰囲気のすべてが、幸福で楽しくて優しかった。

最後に新郎新婦を代表してあいさつをした妻氏。

変に感傷に浸るでもなく、涙を誘うわけでも流されるわけでもなく淡々と、

しかし律儀に、ゲストの皆様だけじゃなく手伝ってくれた友達、ここにいない家族、そしてレストランスタッフの皆様にも感謝を伝えてて、

きっとこの人のこういう気取らない、素朴で懐の深い性格を、俺は好きなんだろうな、なんて思った。

記念撮影をして、お土産を渡して、二人でゲストの皆さんを見送った。

おれたちのために、こんな遠くまで来てくれた皆様。

みんながいてくれて、好き好きに楽しんでくれて、あったかい言葉をくれて、

気付けば準備期間中のしんどさも不安も疑心暗鬼も、全部春風に吹かれて桜の花びらみたいにきれいに吹っ飛んでって。


ただ目の前にはよく晴れた真っ青な瀬戸の島景色、そしてはしゃぎあうみんなの笑顔だけがあった。

みんなで撮った集合写真を眺めながら、これからの人生で俺たちは何度も

「あの結婚式はよかった」

なんて思い出をなぞるように語り合うのだろう。きっと爺さんばあさんになっても。

そんな、一生の思い出に残る一日になった、クラフト結婚式。

しんどかったけど、本気でやってよかったと心の底から思った。

支えてくれたすべての人たちに感謝。

みんなのおかげでやりきった!っていう、すがすがしい達成感と幸福感が、心を満たしてたんだ。

そういえば、思い出した。

そんなで、結婚式の思い出を語るという大義名分で鼻息荒く過去の自分語りに精を出し、国語辞典かいうくらいの長文ブログを書き綴って満足したおれ氏。

そういえば、一つ思い出したことがある。

妻氏と付き合う前、二人が出会ったシェアハウスで妻氏と「将来結婚式やりたい?」って話題になったときのこと。

おれが、「やるなら親しい友達だけを集めて、海の見える丘でバーベキューとかやりたい!」なんて思いつきで言ったら、

妻氏が目を丸くして「え!私も昔から同じこと考えてた!」と驚かれたときがあった。

この頃から、気取らないフランクな妻氏の考え方や生き方が似てるなって思ってて、付き合い始めてからも、いつかそんな結婚式が出来たらいいなってなんとなく考えてたんだったっけか。

結果バーベキューではなかったけれど、飾らないけれど誰も気疲れしない、かっこつかないけどありのままでいれる、そんな結婚式だったのは、あのころの自分たちの理想通りだったんじゃないかな?なんて考える。

大好きな友達たちに囲まれて二人の結婚を祝ってもらえる事が出来て、本当に幸せだったなって思う。

結婚式、やるかやらんか?ってずっとずるずる引きずってきたわけだけれど、やりきった今は、何の後悔もなくやって良かったなぁと思う。

今後の人生でも、後になって「やっておけばよかったなぁ」って後悔することがないよう、

今しかできないことを、かなえたい理想を、今後は妻氏と二人で全力で、叶えまくって生きていきたいなぁ。

そんなことを改めて感じた春なのでした。

来てくれた皆様、そして支えてくださったすべての皆様!!本当にありがとうございました!!






そんなところです。



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