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レインボーシャツの着用拒否は許さないのに宗教風刺は思想の自由な、正義を振りかざすフランスの価値観が許せないまじめな日本人の話

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ボンジュール!ぼっちシンガーです!
路上ライブで世界一周の旅などを経験し、現在は東京で音楽活動中。
旅と音楽、そのほか好きな事を鼻息荒く語るだけのブログだよ!

なんでそれはよくてこっちはダメなんやっ!!!!

結局自分の正義こそが絶対なんだろ!??

都合よく自分たちの価値観を押し付けやがって!!

正義の反対は悪じゃねぇんだよ!!正義の反対は、また別の正義なんだぞぉぉぉっぉおぉ!!!!ごぽぽっぽp(溺れ)

イスラム教徒選手のレインボーシャツ着用拒否事件

とりあえずタイトルながいねん!!と踵を返していったであろう読者の皆様こんにちわ!

冒頭から何を血気盛んにアップセットしつつ、しかし陰キャらしく表立っては発言せずにブログで鼻息荒く語っているかと言うと…

最近こんなニュースを見たからだ。

それは、日本代表南野や伊東も所属するフランスサッカーリーグ、リーグアンでの出来事。

ナントvsトゥールーズの試合で、LGBTQ(性的少数者)へのリスペクトを示すために、選手たちがレインボーカラーの背番号をつけてプレーすることが決まったらしい。

しかし、ナントのエジプト代表選手エスタファ・モハメドや、トゥールーズのモロッコ代表ザカリア・アブクラルがこのイベントへの参加を拒否。

ユニフォームを着ない、つまり試合に出場しなかったとの事だ。

この件でクラブはモハメドに罰金を請求、「クラブは今後も同性愛嫌悪との戦いに関り続けます。」との声明を出した。

…と、そんなニュースである。

まぁ確かに契約があるから個人的な理由で試合に出なかったことに対して処罰が下るのは分かる。

しかし、彼らにもレインボーカラーのシャツをつけられない大きな理由がある。

彼らが信仰するイスラム教の教えだ。

ご存じの通り、イスラム教では同性愛は場合によっては死刑になるほどの「あってはならない罪」とされている。

「同性愛なんてありえない」、そんな宗教的価値観の元で育ってきた彼らにとっては、レインボーシャツの着用なんてもってのほか。

差別的な意識など微塵も無くても、バックグラウンドの違いから、同性愛者を支持するというのは、受け入れがたい行動なのだろう。

彼らが迎合して仮に同性愛指示を受け入れたとしても、祖国で暮らす家族が周囲に何言われるかもわからんだろうしな。

例えば、大麻が悪として育ってきた僕たち日本人が、オランダ人に「大麻推奨キャンペーンに参加しろ!」と強制されても、「いやいやちょっと待ってくれ!俺の国ではタブーなんだよ!」と戸惑っちゃうのと同じような感じかな?


もちろん、僕個人的には、すべての性的少数者の人権も尊重されるべきであると思ってるし、いかなる差別もあってはならないと思っているよ? イスラム教徒が同性愛者を罪として弾圧することには反対。もちろんそこには声を上げるべきであると思う。

しかし、人権を守り他者をリスペクトする姿勢、それはすべての人々に必要な事だ。

ジェンダー、人種、国籍、宗教…すべての人にとって差別はあってはならないし、あるひとつの正義、主義主張を通すために、他の誰かの正義を否定することは、正常じゃないのではなかろうか?

同性愛者弾圧もあってはならないけれど、同性愛者支持を踏み絵にして、おれ達の価値観に賛同しない奴は罪だ!とイスラム教徒に罰金を科すフランスリーグチームにも、同じ疑問を感じる。

まず第一に、私は個人的な好み、性別、宗教、バックグラウンドに関係なく、すべての個人を最も尊重しています。リスペクトは私が大切にしている価値観です。それは他者にも及びますが、自分自身の信念を尊重することも含まれます。ですから、私はこのキャンペーンに参加するのに最適な人物とは思えません。私たちみんなが敬意をもって扱われたいと望むように、私の決断も尊重されることを心から願っています

フランスリーグのナント、レインボーカラーのユニホーム拒否のFWモハメドに罰金より

トゥールーズの モロッコ代表ザカリア・アブクラルが後にこう語っているように、「イスラム教徒は同性愛を認めていない!悪だ!」と咎めるのではなく、

全ての正義は平等に、「まぁそういう考えもあるよね~」くらいに受け入れる姿勢こそ、現代を生きる我々が身に着けるべき平衡感覚ではなかろうか?

正義を振りかざすフランスの価値観が許せないまじめな日本人の話

個人的な意見だが、フランス人はめちゃくちゃ「自分たちの正義」を振りかざす傾向にある気がするね。

移民国家であるにもかかわらず、 自分たちの主義主張にそぐわないものは去れ!というような、こだわりにも似た独特でアグレッシブな価値観を、みんな持っている気がする。

一説によるとフランス人には「共和国の価値観」なるものが存在しているらしく、それはフランス革命で手に入れた市民の自由と平等を表現するためのもので、

他の人種宗教に対しても「来るのは自由。共和国の価値観に賛同するのならば」というスタンスで大量の移民を受け入れてきたこれまでがあるらしい。

人種や宗教の垣根を作らない代わりに、フランス共和国という思想に賛同できるかどうかが、移民たちがこの国に迎合できるかどうかのカギになってきたわけだ。

だからこそ、移民や外国人に対して「おれ達のルールこそ正義!従いたくないなら出ていけ!」感が強いのかもしれんな。

こんな事言うと、フランス人とひとくくりにして批判を繰り返すお前こそ差別主義者だ!!とか怒られそうだけれど、事実フランスの差別問題のニュース、めっちゃ多いもん!!

バルセロナの選手たちによる日本人への「ひどい顔ww」発言だったり、ヒジャブ着用禁止の法律だったり…

もっとも印象深いのはシャルリー・エブドの件だな。

「預言者ムハンマドの風刺画」を公開したフランスの週刊誌シャルリー・エブド紙の本社が、過激派イスラム教徒らによって襲撃された事件だ。

もちろん襲撃犯らに同情の余地はないし12人もの犠牲者を出した悲惨な事件については胸が痛むが、

正直、自業自得と言われても仕方がなかったと、日本人的感覚からすると、思う。

神様や預言者の姿を描くという行為は、偶像崇拝を禁止するイスラム教徒にとって、絶対禁忌とされている。

シャルリー・エブド紙はそれを知りながら、表現の自由を守るためなどと言う理由で、嘲笑する意味を込めて預言者ムハンマドを風刺した。

それを見た多くの同国民たちは「俺達の自由が守られた! シャルリー・エブド紙さすが!」と支持した。

そりゃ、イスラム教徒が怒っても仕方がないでしょ。

例えば、日本には「神宿る島」として女性の立ち入りが禁止されている沖ノ島ってあるやん。

そういう神聖な島に、よそ者のフランス人女性活動家らが無理やり上陸して 「女性差別反対!」とか叫んでYoutube上げてたとしたら。

そして、それを見た多くのフランス人から「女性の自由を守ってくれてありがとうー!」などと賛辞が送られていたなら。

おれ達はどう思うだろうか?

日本人が先祖代々守り継いできた場所に、よくもそんなことを!!!

って怒るのは必須やん?さすがにコロしたる!!とはならんけど、それに近い憎悪を抱くのは理解できる。

「女性差別撤廃」を叫ぶ、それ自体は素晴らしい事だしどうぞ自由にやってくれって話だが、

そのために我々の国の文化や伝統を踏みにじるな!と、そんな印象を受ける。

きっと、当時のイスラム教徒たちもそんな気持ちだったんじゃないかな?

もちろんフランス人の大切にする共和国の価値観を否定する気はないし、民衆が革命を経て血を流し勝ち取った思想の自由に対し、リスペクトはしてる。

しかし、自分たちの自由や正義のためなら、他の国の人々を傷つけても構わないって考え方は、個人的には好きになれんのよな~。

まとめ

なんとなくリーグアンの記事を見て、もやもやしていたことを記事に書いてみました。

もちろんフランス人そのものや、彼らの主義思想自体を批判したいわけじゃないからね。

その正義を貫く際に副産物として発生する、周囲への迷惑や、別の差別を生みだしてるかもしれない現状への、そこへの批判記事ね。だから、このレイシスト!とか言わないでね…

日本でも最近、LGBTQの方への配慮をするがあまり、女性トイレがなくなったりとか、あったやん。

あれと一緒なんだよきっと。何か一つの自由のために、誰かの存在をないがしろにするのはちゃうんじゃないかという。

まぁ、こういう考えもあるよね~っていう適度な距離感と意図的な無関心、そして、相手の立場に立って「自分に置き換えたらどうだ?」ってイメージする想像力。

様々な多様性とうまく付き合いながら生きねばならない現代には、そんな姿勢が大切なんじゃないかしら。

そんなことを考えた日でした。



そんなところです。


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