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東京で暮らしててインドに行きたくなる瞬間の話。

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
旅と音楽、そのほか好きな事を鼻息荒く語るだけのブログだよ!

あぁぁインド行きてぇ…

そんな風に感じる瞬間がある。

「旅行に行ってリフレッシュしたい」とか「おいしいもの食べて満足したい」とか、そんな単純な快楽を求めているわけでは無い。

それは、インドの圧倒的に特別な世界観、インド人の価値観に触れたくなる瞬間なのだ。

世界を旅してきた中で感じるのは、インド人の価値観は、世界で最も日本人の価値観から離れているのでないか?ということ。

日本人が思い描く「当たり前の人生」から外れ、自分に自信を無くした時。

インドの旅が、

「あぁ、こんな風に自由に生きててもいいんだ。」

なんて思わせてくれる。

東京で暮らしていて、重くのしかかる「当たり前」の重圧。

息が出来なくなり思わず「インド行きたい」などと思っちゃう時とはどんなときなのか?

今回はそんな瞬間を3つ、紹介してみたいと思う。


静まり返った電車の中で

たくさんの人はいるのに、いつだって孤独な東京。

満員電車はその象徴のようだ。

誰しもが固く口を閉ざして暗い顔をして運ばれていく。

こんなにたくさんの人間がいるというのに、話し声の一つも聞こえない。

目的の駅について、人をかき分けて「降ります!通して!」と声を出すのさえはばかられるような謎の同調圧力。

身動きも取れないほどに人々がぎゅぎゅうに詰め込まれているのに、なぜかひと席だけ誰も座らないシートがある。

シートの上には誰かのケータイの忘れ物。

誰しもが、面倒なことには目をつむり耳をふさぎ、他人との接点を完全にシャットアウトしたがっている。

目立つことを極端に恐れて、声も出せずにいる。


インドでは正反対だった。誰もが自分を一番に主張している。

場の空気なんてものは存在せず、思ったことを0.1秒の戸惑いも無く口にする。

バスで電車で隣同士になった他人と、話したかったら大声で話しかけるし、話したくなかったらとことん無視する。

君の挙動などなにも気にしない。だれも気にしない。

だからいい人はそのままいい人だし、悪人はそのまま悪人だ。

日本人が無意識にもつ自分のゾーンに、土足であつかましく入り込んでくる。

静まり返った満員電車に揺られて孤独を感じる時、その暑苦しさが懐かしくなるのだ。


ルールに縛られて疲れた時

日本人とインド人。本当に足して2で割りたい。

日本人。「ルールはルール」がはびこり過ぎている。

ルールの奥にあるその本質を探ろうともせずに、ただ頑なに

「そういう決まりだから」

と従い、または従わせようとする。

決まりを守らない人間は害悪そのものという目で嫌悪され、排除される社会。

コロナ渦のマスクなんていい例だ。

その本質は密接した室内などでの会話で飛沫を抑えるためのもの。

屋外や、人と話さない状況であればその必要性は無いように思う。

しかし「周辺住民の方からの目」や「一度決めたルールだから」といった理由で、登下校中の子供たちや屋外で作業する警備員や建設作業員に着用を徹底させたことで、熱中症が問題になったりしている。

元も子もない、とはまさにこのこと。


逆にインド人。ルールを守らなさすぎる。

電車内で平気でポイ捨て、唾を吐き捨てる、大音量で音楽を流す。

あいつの音楽がうるさくて自分の流している音楽が聴こえないからと、もっと大きなボリュームで音楽を流す。

血で血を洗う争い。終わりのない自分ファースト精神。

行列の割り込みなんて当たり前、信号を守る意識なんて皆無ですべての車バイクトゥクトゥクが一斉に突っ込んで街は大混雑、そのど真ん中で牛が豪快に昼寝をしている。

皆があと少しルールを守れば、社会全体がうまく回るというのに、誰もが個人の利益を優先し(牛さえも)、結果、大渋滞が起きてみんな困ってる。

日本でのギチギチのルールに息苦しさを感じた時、この混沌の世界を覗きたくなる。

ちょっとくらいわがままに自分を生きてみてもいいか、と、そんな風に思う。

当たり前の生活が幸せに感じられなくなった時

当たり前にご飯が食べられて、当たり前に毎日お風呂に入れて、お湯が出る。

寝る場所に困ることもないし、たまにだけれど、おいしいものを食べに行ったり、旅行したりするお金の余裕も少しはある。

「そんなのあたりまえ」な、ごく普通の日本人の生活だと思うけれど、旅をしていた時は普通じゃなかった。

シャワーでお湯が出ない事なんてしょっちゅうだし、クソ田舎を旅した時は丸一日食事にありつけない時もあった。

寝床を探して歩きまわり、駅のベンチで朝を迎えた時もあった。

超不便なんだけれど、そういう困難な状況に立たされる度に、

生きてるって実感がぶわっと心臓の鼓動に乗って全身に流れ込む。

普通に電気がつくだけ、ドアに鍵がちゃんとあるだけ、清潔な布団の上で寝られるだけで幸せだった。

息をしているだけで、自分が何だか誇らしく感じられた。

日本の生活の、満ち足りた生活の中で、そんな「あたりまえ」が退屈に感じられるようになってしまった時、

めっちゃインド行て~…

ってなる。生きている実感を再確認するために。

まとめ(インドにいたら日本帰りてぇ…って考えてる)

以上、インドの旅はまるで日本の生活と両極端の世界を見せてくれるわけである。

きっと、逆に長くインドに住んでいたら、

静かで礼儀正しい人たちが多くて何不自由ない暮らしができる日本に帰りてぇ…

って思ってると思う。

どっちが正しいとか、どっちがいい悪いではないのだ。

ただただ、2度のインドの旅を経験したことで、日本人として30年生きてきた価値観の枠をぶっ壊せたことが良かった。

日本で当たり前とされていることに疑問を持ったり、合わないと感じた時。

どうしようもなく自分がこの社会に適合できていないと感じた時。

「いざとなったら辞めてインド行けばいいし」

なんて気楽に考えられるようになったからだ。

最近、そんな歌を作ったので、良かったら聴いてください。



そんなところです。


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