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ラムチェ村到着と父さんがくれたあの眼差しの話

2019年8月1日

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1月10日、人知れず27歳の誕生日を迎えたおれは、いつもより早めにのそのそとベッドから這い出してきて、支度を始める。

三ヶ月間のアジア各国のチャリティ路上ライブで得たお金を使って、今日から二泊三日で、ラムチェ村という地震被害の色濃かった地域の山あいの村の小学校に、路上ライブで稼いだお金で買ったノートや鉛筆、スポーツ用品を届けに行く!!!

朝8時にカトマンズを出発するバスに乗り込む俺たち!

事前にFacebook等でお手伝いしてくれるボランティア仲間を募集したところ、
インドのゴアで一緒だったサボテン系世界一周大学生シュウ君と、

帰国後に世界のビールバーを経営するために、世界中のビールと料理を研究しながら旅をしているお兄さん、ジュンさん、

そしてネパールでの野球の普及のために各地を周りながら子供達に野球を教えている徳さん、
この色の濃い3人が集まってくれた!

このメンバーに、今回ラムチェ村での滞在をサポートしてくれる村出身のゲストハウススタッフ、パトさんと、おれの五人組で、今回のチャリティイベントを実施することになった。

いつものように超不安なガタガタのエンジンサウンドを響かせながら、通路までいっぱいに乗客を詰め込んだバスは、意気揚々とカトマンズを出発した!!

ぎゅうぎゅうの車内では、しかしものともせずに陽気に小さなバイオリンのような楽器で歌うパフォーマーが乗り込んできて、少し歌ってはチップを手に入れて出て行く。

パトさん曰く、これはサリギという楽器で、ガンダルバー族という少数民族は伝統的にこれを使ってバスキングを行いながら生きているのだそう。

さすが多民族国家だ、おもしろい。

混雑に殺気立つ車内に響く抑揚のあるリズムとおっちゃんの陽気な歌声に、50ルピー札を。

景色を眺めていると、首都カトマンズを離れて東へ東へと進むほど、地震で倒壊したままの状態の建物の瓦礫が目立つようになる。

赤レンガの壁が全て崩れ落ちて骨組みだけになった雑居ビルや、屋根の落ちた民家、ぐにゃりと折れ曲がったまま歩道に配線コードを危なっかしくもたげる電柱。

まるで、つい数日前に地震が起きたかのように、それらはそのままの姿を残していた。

ネパールは貧しい国だ。道路状況などのインフラ整備の状態を見ていても、これまでのアジアのなかでも群を抜いて遅れている。

そんな国で起こった大地震。

仮設住宅や復旧作業を国が主だって行うことはなく、住民たちは皆、自分たちのものは自分たちの力だけで復興させなければならない状態が続いている。

ゆえに資金力のない一般家庭などでは倒壊した建物の瓦礫を撤去することすら出来ずに、テント生活を送っている場合が多いのだ。

首都カトマンズを出発したバスは崩れ落ちそうな崖や、土砂崩れで舗装が無くなった道路をものともしない恐怖のスピードで駆け抜け、3時間ほどで、山のふもとの町バルビシまで到着した!

パトさんのオススメの地元のレストランでちょっと一服。
完全ローカルな食堂、トゥクパ(ネパールの麺料理)が一杯50ルピー!!!(約60円)

旅行者向けのとこだと最低でも150はするぞ。。。

いかに旅行者プライスかということがよく分かる。

ここから、本来山を登って2時間進まなければならないのだけれど、大量のノートや鉛筆を担いでは登れないので、ジープをレンタルして一気に駆け上がることに決めた。

そして、ついにパトさんの実家があるラムチェ村に到着である!!!


扉も何もない吹き抜けのトタン小屋がパトさんの実家。質素だけれど、この辺りでは家があるだけマシのようだ。

中に入っていくと、パトさんのご両親が迎えてくれた。
「ナマステ」と手を合わして挨拶をする。

おばあちゃんが、よく来たねぇと庭の水牛から採ったミルクだろうか、それの入った鍋に紅茶と砂糖を入れて、すぐにチャイを入れてくれた。

移動疲れの体に染みる。
昼間でも肌寒い山の気候に、湯を沸かす焚き火の熱が心地よかった。

今日は移動日で、明日から学校訪問が始まる。

今日はもうやることもないんだけれど時刻はまだ午後四時前で、何しようかなぁとみんなでだらついていると、

「すぐそこに村全体を見渡せる一枚岩の丘があるんだけれど、良かったら行かない??」

とパトさんの弟に声をかけられる。

「すぐ、そこ???」

俺の脳裏に嫌な予感が浮かぶ!!

前回のジェセ村滞在のときに、村人にすぐそこに川があるからそこで水浴びしに行こう!と言われ、付いていったはいいものの、彼ら感覚の「すぐそこ」はなんと、片道2時間の秘境トレッキングだったようで、大変な思いをしたのである。

まさか!今回もそのパターンじゃ・・

「あの、すぐそこって一体何分くらいですか・・!??」

「5分くらいだよ。なんで??」

「それならいいのですが・・」

これは布石だ!布石を置いているぞ!などと疑い深きこと山のごとしで、「いいねぇ行こう行こう!」と盛り上がるみんなに心で赤色信号を送っていたおれであったが、ラムチェ村でのすぐそこは本当にすぐそこだったようで、本当に5分で着いた。

なんだかインドで電車が時間通りに到着したような気分である。。。

一枚岩からの眺めは荘厳だった。

西日に照らされたどこまでも連なっていく山はオレンジに優しく輝いて、ふもとからひたすらに続く段々畑は世界遺産級の繊細な美しさがあった。

今は冬で、米を刈り取った後だそうだけれど、黄金の稲穂を茂らせた秋の景色はまた、素晴らしかっただろうなぁなんて思う。

山の大自然、という感じではなく、山と人間が美しく調和したような、そんな風景だ。

村の子供や近くのおじいちゃんが、見知らぬ外国人に興味津々でやって来る。

パトさん弟がネパリ語で「学校の支援のために来てくれてるんですよ」みたいなことを説明すると、「おぉそうか、ありがとう。」と、しわくちゃの手をゆっくりと合わせて微笑んでくる。

生まれてからずっとこの岩からの景色を眺めてきたのであろうその立ち振る舞いには、威厳や貫禄とはまた違った、この山の自然の一部のような、不思議な落ち着きと穏やかさがあった。

帰り道。

立ち寄ったおばあちゃんの家で、あわから作った地元のどろみたいな酒を、もういらん!というほど頂戴した後、

フラフラになりながら歩いていると、なにやら地元のお父さんたちがあくせくと働いている。

見るとお父さんたちが汗を流しながら岩を運んできては、レンガのように積み重ねている。
それをハリガネのネットで崩れないように補強する。

どうやら家を建てているようだ。

見ているとちょうど休憩をしだしたので、少し話を聞いた。

「政府に頼ってはいられないからね。自分たちの手で、この村を復興させるんだ。」

片言の英語で、そう説明してくれたお父さん。

「まぁどうにかなるよ!」そんな雰囲気のことを言って豪快に笑った。

山の中腹にあるこの村は、ふもとの町以上に瓦礫の撤去などは進んでおらず、いたるところに崩れ落ちた石造りの家や、どろ壁が落ちて屋根だけになった家が目立つ。

地震発生時はたくさんの人がその下敷きになって死に、何十人もの血だらけの怪我人をふもとの病院へ運ぶために、無事だった人達で担いで必死に山を下ったのだそう。

想像するだけで寒気がする。

救助なんて来ない。
すべて自分たちでなんとかするしかないのだ。

それでも、なんで政府は助けてくれないんだ!なんて感情的になる人はおらず、平和的に、落ち着いて自分たちの現状を捉えている彼らに、深く感心した。

5年前を思い出す。

東日本大震災が起きて、大混乱の中で「責任を取れ」などと現地の人々には全く関係のない大議論の末に民主党政権が自民党に代わり、国はどう責任を取る?国はどう対応する?とはやし立てては揚げ足ばかり取りたがる野党の主張をテレビ中継で見ていた。

あの時、本当に必要だったのはただの政権交代という、システムの転換だけだったのだろうか?

僕たちも、国がどう動くのかを品定めするように傍聴席から眺めるのではなく、真っ先に現地の人達によりそって行動すべきだったのではないか?

悲痛な悲しみを訴えるテレビに心を痛めて自分たちも被害者づらするぐらいなら、誰だってできるのだ。

あの時民主党で続けるべきだったとか、そういう話ではなくて、あんな状態だったからこそ、国が、そして俺たち国民一人一人が団結して建設的意見と行動を共にすべきだったと思う。

感情的になってもなにも変わらない。

考えることと行動が、一緒に出来るような人でありたい。

すべて分かっているような落ち着きに満ちたお父さんの笑顔に、そんな事を思った。

帰るとお母さん達がネパールの国民食、ダルバードを用意してくれていた。

うまい!!!

明日はついに学校訪問だ!!!

そんなところです。

なかなか70位入賞しません。まぁ入賞したらなんなんだって話です。まず入賞って何なんだ。とにかくリンク↓↓

終了

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