【シェムリアップからバンコク】サラバーズカンボジアの話
シェムリアップ4日目の朝一で、おれはのそのそと起き出して、受付の女の子の元へ。
「グッドモーニング!」「どうしたの?こんな朝早くに・・むにゃむにゃ」と、ねぼけまなこをこすりながら俺のことを義理のお兄ちゃんと勘違いして抱きついて来られたらどうしよう、と不安で新しいパンツに着替えてきたが、素敵な営業スマイルで普通にバスのチケットを売ってくれた。
そう、ここを出てバンコクに今日行く事を決めていたのである。
なんと40分後の7時ピックアップしか空いてないということで、急いで支度をして、寝ているみんなに一方的な挨拶も済ませ、宿を出後にする!
「行かないでお兄ちゃん!」と女の子に泣かれた時のために「これをお兄ちゃんだと思って持っていなさい」と向井理のポラカードも用意しといたが、お見送りにすら来てはくれなかったのでホッと安心だ。きっとトイレで一人泣いているのだろう。
バス待ちの時に一人の日本人にであった。
大学を卒業してカンボジアの学校建設に携わり、今もその学校の維持のために完全ボランティアで貯金を切り崩しながら生活しているのだそうだ。
学校を立てりゃいいってものでもなくて、学校があっても子供を学校に出さない(出せない)親がいて、彼らにカウンセリングをしたり、仕事を斡旋したりして子供が教育を受けられる環境を作る活動をしてるらしい。
凄いなぁ。
そこまで現地の人の立場になって、福祉精神だけで活動しているとは、感動させられる。
大卒後の就職どうこうで、人生が決まるみたいな風潮が日本には根強いし、おれも就職決まらなかったら人生終わるみたいな考えしてたんだろうけど、正直狂ってたね。
金欲オヤジにへこへこしながら意味を感じない仕事を続けるより、彼みたいな生き方の方がよっぽど人生満ち足りてると思うし、そういう人もいるってのをメディアで取り上げられてたら若者の人生設計図は、強迫観念に縛られないもっと色鮮やかなものになるに違いない。
あいにく、心に響いても金にならない情報は見過ごされていくシステムなのだけれど。
3時間ほど走ったバスは、カンボジアの簡素な出国手続きを終え、次にタイ側の入国審査!
この橋の向こう側がタイったい!!!
しかしこの入国審査がアホみたいに大変だった!
本当にアホみたいに!
延々と続く長蛇の列を、重いバッグを抱えながらひたすら待つ。水もなければ冷房もあんまりきいてない蒸し暑い審査場はまるで暗黒の荒野のようで、200人以上の外国人たちがぎゅうぎゅうにひしめき合っている。
もう歩けないと崩れ落ちるように倒れこむ老婆、乳の枯れた母の胸に抱かれた赤子は泣き止む事がない。
殺気立った男たちがペットボトルの水を奪い合って骨と皮だけになった拳をぶつけ合っている。
どこからかやってきたハゲタカ達が、先ほどの老婆の肉をついばみ始めた頃、やっと審査室に通される。
かれこれ二時間半そんな状態で待たされたのである!
どんだけ効率悪いんだよ!
これからカンボジアからタイに抜けられる方には、少々高くなっても、飛行機を使う事を強くお勧めします。いや、ほんとにしんどいよ!
あれは本当に下手したら熱中症で倒れかねん!そしてなんで室内にハゲタカがあんなにいるんだ!(嘘)
そして、無事タイ入国を果たした俺は、小さなバンに荷物のように詰め込まれて、一路バンコクを目指す!
もちろん、いつものように初めて会ったばかりのはずの欧米人達が次々に仲良くなっていく中、俺はなかなか仲間に入れないので一人で寝たふりをしたりケータイゲームに忙しいフリをしていた。ケータイゲームなんてした事ないけど。
午後8時。高速を飛ばすバンの窓から、ついにタイ、バンコクの街が見えてきた。
はしゃぎ疲れた欧米人達はみんな眠っていて、冷房の効いた車内で起きてるのは俺と運転手だけか。
輝くビルの灯りと、巨大な広告塔の灯り。
日本そっくりのその景色に、なんかホッとしている自分がいるけど。
五年前、初めての海外でやってきたバンコクの空港から、送迎のバンに乗って同じように高速から見たはずだけど。
英語とタイ語だけの看板に、本当に海外に来てしまった、、どうしよう、、と不安で不安で仕方なかったんだ。
今ではそんなバンコクさえも、地元に帰ってきたみたいな感覚である。
不思議だ。
旅をしていると、1日単位で自分の成長を感じられるから嬉しい。
と同時に、何も知らないからこその新鮮さも忘れてはダメだ。
なんて思う。
いつまでも全ての輝くものに感動していたいのだ。
そんなとこです。
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