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【プノンペン/カンボジア】カンボジア初路上ライブの話

2020年5月13日

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明日はついに!!日本代表対カンボジア代表、インプノンペン!!

そして、カンボジア代表が試合前日だというのにイオンでイベントをやるというので、見に行ってきた。

そして、北澤さんと遭遇!

私服も青のシャツなんや。。

この前の吉田、清武との遭遇といい、ここイオンモールでは有名人遭遇率100パーセントである。

夜、カンボジアで初めての路上ライブ!!

メコン川沿いの公園で腰を下ろす。
公園の広場のように広がっていて、人通りもまあまあ。

ばぁちゃんがボロボロの服を着て、ゴミ箱からペットボトルを拾い上げてる。

遠くでは、物乞いのおじさん。何かの病気で背中が曲がって立てないのだろう、小さな台車に乗って手で地面を叩きながら、観光客用のバスがやってくるのをひたすら待っている。

キラキラのネオンサインと、酔った欧米人達の群れ。

街の方から聞こえてくるクラブミュージックの重低音にはじき出されるように、街頭から一人、一人とホームレスか、もしくは観光客が川沿いの方に歩いてくる。

同じ人間だって思いたいけれど、とてもそうは思えない、歴然とした見た目の差。彼らのグシャグシャに伸びきった髪は、洗えば金髪をなびかせるの彼女の様に輝くのだろうか。裸んぼで黒く汚れた赤ちゃんを抱く若い母親は、どんな気持ちでその我が子の誕生を迎えたのだろうか。

考えなくていい様な思いがぐるぐるめぐる。
でも、考えないとそんな彼らの存在さえもいないことにしてしまう様な気がして、目をそらさず見つめないといけない様な、そんな気もする。

カンボジア、プノンペン。

明らかに今までやってきた東南アジアの国々より一段、二段と貧困を身近に感じる。

いつもいつも、なんで日本という最も裕福な(だと思われている)国から来た僕の様な人間が、わざわざ生活賃金の低い、一般的に貧しいと言われる国で路上ライブするのか、歌う前になって自問自答する。

本当にネパールの寄付を募るためだけに歌うのであれば、日本やオーストラリアで歌えばいいのだ。きっといくらでもお金は集まるだろう。

でも、俺は世界の路上で歌いたいのだ。
誰かのための歌、なんてうわべ垂れるんじゃなく、本当に自分が生きたい様に生きて、歌いたい歌を歌いたいのだ。

セールスもルックスも全部蹴り飛ばした先の、本当の自分をさらけ出して歌ったメッセージ、それこそが音楽だってこと、その熱量が誰かの心を震わすって事を俺は知っている。
願わくばその生きる事へ対する思いが、誰かの人生にいい影響を与えてほしい。

中学生の頃のどうしようもなかった死にたいってつぶやいてた俺を音楽が救ってくれた様に、できれば目の前のストリートチルドレンに、音楽っていう一点の光を見せてあげたい。
俺には出来ないなんて、自分で決めてるだけだろって、気づかせてあげたい。
エゴかもしれんけど、そんな風に俺は生きていたいのだ。

やるぜっ!!

2時間ぐらい歌った。

カナダ人の、昔アメリカでレコード会社の仕事をしていたというおっちゃんがずっと横に腰掛けて聴いてくれてて、「君の声はなかなか独特でいいから、夢を捨てずに頑張ればもしかするとスターになれるかもしれないよ」なんて、酔いに任せて言ってくれてたのが、お世辞とはいえ、嬉しかった。

明日カンボジア代表を見に行くんだって言う地元の大学生達。
拙い英語だったけれど、頑張ってこの変な日本人と話をしようとしてくれた。

海外旅してて思うのは、たとえ言葉がしゃべれなかろうと、旅行者は話を返してくれるという事だけでとても嬉しいんだなぁと。
なにか話しかけた時に、英語しゃべれないからと、恥ずかしそうに目を背けられるのが一番、「悪い事してしまったのかな?」と悲しくなるので、日本でそんな機会があったら、片言でも、ジェスチャーでも、なんでもいいから"会話"をしてあげてほしい。

そして、一番の出会いは、ギターに興味津々でやってきた子供たちとの出会い。

いつもの様に、ギター弾かせて~や、カメラ撮らせて~~など、好き放題遊んでくれた後、満足そうな顔をして、一人の少年が1000リアル札をギターケースに入れた。
その少年は、肩にハンガーをかけて、また闇の中に消えていく。
肩掛けにしているハンガーにはたくさんのミサンガが掛けられていて少年の脇でカラフルにゆさゆさ揺れている。

そう、たぶん小学一年生にもならないかぐらいのこの少年は、このミサンガを売り歩いて毎日を暮らしているのだ。

たぶんなかなか売れるものでもないだろう。
1000リアルを稼ぐのに、彼は何時間歩き通して何個のミサンガを売らなければならなかったのだろう?

一瞬、「もらっていいのかな?」なんて思う。少年を追いかけて、返しても良かった。

でも彼は自信満々に笑いながら、このお金をくれたのだ。

僕らの価値観なら、こんな時間まで働かないといけないような小さな、可哀想な男の子からお金をもらうなんて。。

と思ってしまいそうだけれど、彼らは自分自身のことを、そんな風には全く思っていないんだな。

そう、彼の自信満々の笑顔は語っていた。

働いて、稼いで、一人の人間として立派に生きている彼らが、なぜ可哀想なのか。

なぜ貧しいなんて言えるんだろうか。

世界には日本人のものさしでは到底計れない生き方をしている人たちがいて、でもそんな人達を蔑んだり、可哀想だなんて目で見てしまうその瞳の奥にいるのは、金と見た目に心を奪われた僕らの悲しい姿だ。

少年に精一杯、サンキュー!と言って手を振った。

お互いに等身大で、金や肌の色や服の見た目や年齢や、すべての固定概念を投げ捨てた上で彼のことを見れるようになれたらなぁ

幸せを図るものがどこにも無くなった世界で、俺は幸せだって自信を持って叫びたいのだ。

そんなところです!