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ベトナムの歴史とホーチミン博物館に行こうとした話

2019年8月1日

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ハノイ、、

すごく好きな場所だけれど、路上が出来ないのなら仕方ない、とまだ来て二日ではあるけれど、朝に中部の街フエ行きの深夜バスのチケットを買った。

ベトナムはビザなしで滞在できる15日以内に出国しないといけないのでそれまでにいろんな街も見てみたい。

フエは、ベトナム中部の古都ということで、ベトナムの京都、なんて言われる場所らしい。

ハノイを離れる前に、どうしても訪れておきたい場所があった。

ベトナム独立の父と言われる活動家ホーチミンのミュージアムが市内にあって、なんとそこには、未だ火葬されずにそのままの姿でホーチミンが眠っている(展示されている)というのだ!

前夜、一人盛り上がってYouTubeでホーチミンについてのドキュメンタリーなどを見て

調べれば調べるほど、ベトナム独立までの道は険しく、多大な犠牲と戦争の果てに自由を手に入れた国なんだということがわかった。

第二次大戦以前、フランスの統治下にあったベトナム。

フランスの暴虐な搾取に堪え兼ね、数々の活動家が独立に向けて動き出す。
ホーチミンもその中の一人だった。

しかし、このホーチミン、実は学生時代を敵国とも言えるそのフランスにて過ごしている。

ホーチミンはそこで多くの貧しき下層労働者達を目にして、多くの革命家たちがフランス人に対して敵対的な感情を持っていたのに対して、ホーチミンだけは「フランス人の中にも私たちと同じように虐げられ、苦しい生活を送りながら生きている人たちがいる。」と知り、同じ人間同士殺しあうことを無駄なことだと考え、無理な武力での抵抗を考えず平和交渉を進めようとしたらしい。

この時代において、ものすごく異端な考え方だと思う。

しかし、そんな地道な平和交渉活動を続ける中で、世界は第二次大戦に突入。

日本軍が東南アジアに侵攻を始めると、フランスは抵抗もせずにあっという間にベトナムを日本に譲り、ベトナムは次は日本領となり、帝国からの搾取は続く。
彼らの活動はまた一から振り出しに戻ってしまうのだ。

そして、第二次大戦が終わり、日本軍が降伏すると、ついにベトナムは独立を果たすかと思えたが、次は終戦後日本を占領したアメリカが南ベトナムを占領。

ベトナムは二つに分裂し、アメリカ領の南ベトナムと、社会主義国家の北ベトナムに分裂してしまう。

長くの平和交渉も虚しく列強帝国に振り回され続けるベトナム。
ついにベトナム全土の民族解放を願うホーチミンらは、南ベトナムを解放するための武装組織、ベトコンを結成して、アメリカ軍の支援する南ベトナム政府と交戦。

ベトナムは内戦状態に陥ってしまう。

アメリカ支配下とは言え、元は同じ国民同士であるはずなのに、殺しあわなければならないなんて、なんと悲しいことだろう。

さらに戦争はアメリカ軍の圧倒的な南ベトナム支援に寄って、泥沼と化していく。

戦力の差は圧倒的で、戦闘機による無差別の空爆や、ゲリラ対策として行われた枯れ葉剤の散布で今も多くの人たちが苦しんでいるのは有名。

最後は、それら残虐な映像がテレビで流れて、民衆の反対に耐えきれなくなったアメリカ政府が、大統領の辞任や軍の撤退、そして北ベトナム軍によるサイゴン陥落を経て、結果的にアメリカ軍をベトナムから追い出し、ついに統一を果たしたわけだけれど。

その裏にはたくさんの国民の命が引き換えられていて、果たして本当にこれでよかったのか疑問は残る。

実際、多くの国民が主導者ホーチミンを独立の父として慕う一方、一部の元南ベトナム国民や、社会主義国家へ反発する人からは人殺しの独裁者と嫌われる。

今のベトナムの街を歩いていると、平和で人々もとても豊かな生活を送っているように見えるから、ほとんどの人はこれで良かったのだと今は言えるのだろうけど。

ハノイは北ベトナム。これから南に行った時に、南ベトナム側の人たちの意見というのも聞くチャンスがあれば聞いてみたいな。

、、、あぁ長くなった、

とにかくそんな歴史の渦の中心にあった男、ホーチミン。

興味が湧いた僕はそのミュージアムへ次の日、バスの出発までの時間を利用して行ってみたのだけれど!!

まさかの月曜日は休業日!!!

ながながと説明したくせに行けないという!!

俺が珍しく観光気分になって行ってみるとすぐこれだ!もう観光なんてしない!

と言いながらも、悔しくて隣のベトナム軍ミュージアムへ。

まさかのこちらも月曜日休館日!!

わらけるわ!!

しかし門番の兵士が、建物の外の戦車や戦闘機なら写真撮っていいぞ、と中に入れてくれ、軍事オタクのごとくパシャパシャと写真を撮って帰ってきた。

十分に時間が余っているので、公園でぶらぶら。

足のないおじさんが手で車輪を回すタイプの台車を引いている。
荷台にはポストカードや、折り紙細工みたいなお土産がたくさん。

白人の夫婦を見つけてすぐさま寄っていく。気の毒そうに彼を見つめながら、ポストカードを手に取り、買っていく夫婦。

彼らがアメリカ人かどうかは知らんけど、「
お前らのせいで俺の足はなくなったんだ」と言わんばかりに、白人観光客ばかり見つけては売りつけに行くおっちゃん。

まぁ、戦争の歴史の中で悲惨な目にあった場所、なんて考えて気の毒になるのは僕ら観光客だけで、現地の人たちはもうすでにそれをとうの昔に消化して、今は一つの観光資源として商売をしてるように感じる。

街にはベトナム軍の帽子やTシャツがお土産やさんに溢れ、

戦時中のプロパガンダポスターなんかを取り扱う店もチラホラ。

したたかだなぁ。

もし日本だったら不謹慎だと反対する団体なんかに潰されそうなギリギリの商品や店もたくさん。

個人的には暗い過去にいつまでもとらわれずに、それを乗り越えて、逆に武器にしていく行き方って、前のめりな感じがして好きだけどね。

ただ、列強国からの支配の歴史がそうされるのか、ベトナムの外国人に対する敵対心はひどい。

長距離バスに乗っても、いくらぼくら外国人が先に乗ったとしても、1人がけの広い席は全て後乗りのベトナム人用。
外国人は狭い座席にわざと指定される。

また、自分たちより英語がしゃべれないとなれば、すぐさま見下した態度を取られる。(バスに乗る際にフランス人夫婦がピックアップのポーターに、「こいつら英語が全然喋れないんだ。だれか助けてやってくれよ!」と嫌味のように言われていた。彼らもその意味くらいは理解できていて、悔しそうにポーターを睨む。)

他にも街中のレストランや屋台には、外国人用に配られるメニューと地元民用とが分けられているらしく、外人は同じメニューでも定価の倍くらいをとられている事がある。(以前ローカルの人しかこないような地域で料理を頼むと、半額くらいで食べれた。)

まぁ、それでもなおベトナムの物価は驚くほど安いので、外国人価格があっても不思議ではないという考え方もできるけど、ふんだくれるだけふんだくってやろうと言う売り方は、いやだよな。

みんながみんなってわけじゃないけど、この国は俺たちのものだから、俺たちのルールで外人たちは過ごさないといけないぞ!という押し付けはやめた方がいい。お互いのためにも。

まぁ、ほんと一部だけどね。

見れば見るほど、濃い国だなぁ。

ベトナム。

そんなところです!