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ホーチミン到着と表現者としての反戦の話。

2019年8月1日

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ホーチミンに到着したのは夜8時!前日の4時出発だったので、26時間である。

もうバスに乗っている時間が長すぎて、まるでお母さんの中の胎児のように、揺れに身をまかせるのが心地よくなって、なぜか最後の方はどうかこのまま到着しないでくれないか、とバスに語りかけるほどの精神異常をきたしていた。

それでもあたりまえだがバスはホーチミン繁華街のバス停に到着、ついに産み落とされた赤子のようにヒョロヒョロと街に吐き出されては、非情にも颯爽と去っていくバスに
「さよなら、お母さん」
と涙ぐむ俺は、1日以上をバスとともに過ごした者だけがたどり着く、まさに狂人の境地である。

それでもバスの中でサラバーズの「サイゴンで踊ろう、雨のダンス」を聴いていたので気分はバッチリ!(ホーチミンの旧名はサイゴンなのだ)

着いて早々に手頃な公園を見つけて路上ライブを開催!!!

この公園、カップルのデートスポットらしくて、ギター好きな好青年とその優しい彼女と。

一緒に手をつないで聴いてくれてて、愛らしいやらリア獣爆発しろや、こちらまでほのぼのした気持ちにさせてもらった。

ああ、大きく声をあげて歌うことが、しばらく水中に潜っていた潜水士が水面に浮き上がった最初の呼吸の様に、ひしひしと身にしみる!!

夜遅くて人はほとんど、チップは40,000ドン。約200円。それでも、ふけていく夜の中久しぶりに、今日1日に満足して、家に帰ることが出来た。

次の日!!!

昨日受付のおばちゃんに客引かれて転がり込んだホテルはカビ臭いし一泊12ドルとちょっと高かったので、朝5ドルのドミトリーに移動。

その後、1人ベトナム戦争博物館に行ってきた。


村にやってきたアメリカ軍。この土管に隠れるよう父親に指示された兄弟。父親が撃ち殺される銃声を聞いた後、結局見つかってしまって二人とも殺されたらしい。


当時日本で発行された共産主義組織赤旗の反米、反戦ポスター。今のシリア情勢にヨーロッパが注視するように、飛行機でほんの5時間のこの国で起こる戦争に、日本人もかなり親身に感じていたんだろうか。

また、ベトナム戦争中の写真が本当に数多く飾られていて、この戦争がアメリカとジャーナリズムとの戦争だったと言う意味がよくわかる。


当時死ぬ覚悟で現地で取材を続けていたジャーナリスト達の写真が、名前と、その写真の状況とともに展示されており、その一枚一枚から戦いの果ての狂いきった人間の恐ろしさを想像できた。

例えば、その年のもっとも社会的影響の大きかった写真に送られるピューリッツァ賞も受賞した、アメリカ軍の戦車に紐で足を縛られ、引きずられるベトナム解放軍の戦士の死体の写真。

正直見てられないほどの悲惨な現場を写した物だけれど、長い銃撃戦の末、精神の消耗の末に人間としての理性を失ってしまった人たちが、実際にこれを行ってしまえるというのが、戦争の恐ろしさをよく表している。

この写真は有名で、何度かネットなんかで見たことはあったけれど、撮影したのは沢田教一さんという日本人だったというのは、初めて知った。

沢田さん以外にもたくさんの日本人ジャーナリストがここベトナムで、武器を持たずに軍隊と戦っていたそうだ。

例えばもっとも印象的だった写真が、枯れ葉剤作戦で全滅したマングローブの森だった場所を歩く少年の写真。

これを撮影したのは中村悟郎さんという戦場ジャーナリスト。

中村さんはその後も数年に渡って同じ場所を訪れ、一世紀は戻らないといわれた森の再生と、この少年、ファン君の成長を写真に収めていった。

しかし、ゆっくりと森は再生していくなかで、ファン君は枯れ葉剤の影響で脳障害をきたして、30歳の時についには死んでしまう。

奥さんと子供に心配そうに見つめられながら、ボートで病院に運ばれている時の、苦しそうなファンさんの写真があって、枯れ葉剤の恐ろしさを戦争が終わった後もリアルに伝え続けていた。

こういう博物館や、戦争映画や本を読んでいつも思うのは、悲しくなって、見るに耐えなくなって、戦争はいけないことだなぁと実感はもちろんしながらも、
どこかで、ほんと頭のちょっとした隙間で、
その悲しみの陰で繰り返される悲劇の感傷に浸っている自分がいて、それがなぜか妙に心地よく感じている自分がいて戸惑う。

悲劇のヒロインが表情は悲しそうに、しかし恍惚とした目で涙を流すような、OLが「泣ける映画で思いっきり泣きたい」なんて言うのにも似た、悪く言えば自己陶酔。

2011年に一棟のビルに飛行機が突っ込んだことで大騒ぎになっているニューヨークからのテレビ中継。

全世界が見つめるその映像のむこうで、二機目の飛行機がもう片方のタワーに突っ込んだ瞬間、ビルが崩れ落ちるその瞬間、テレビのナレーターもテレビの前の僕たちも皆、誰もが悲劇のドラマの主人公になったように「信じられない」と頭を抱えた。

中学生だった僕は思春期だったのもあって、隣でその中継を眺めていた母親がどんどんと演劇タッチな口調になっていくのに妙に冷めてしまったのを覚えている。

本当に心の底から、どうか時間よ戻ってくれ、どうかみんなを助けてくれ、と純粋に祈ったのは当事者と家族だけじゃないのかな、なんて思ってしまう。

だってあれだけ大騒ぎしていた日本のテレビも、三日後にはテロの影響によるガソリンの高騰に頭を抱えていたのだし。

心の底から、優しい歌や、素直な表現をしたいって思う。純粋に感じた事を、悲しんでいる人の側に立って思いやりたいって思う。気持ちいい感傷を与えて泣かせてあげられるような、劇団式の音楽は僕は絶対歌いたくない。
まぁ、その線引きを自分のなかで明白にするのは難しいことではあるけれど。

ギンナンボーイズかな?元ゴイステの峰田さんの曲で「戦争反対、戦争反対って言ってりゃいいんだろ!?」って歌う歌があって、初めて聞いた時は不謹慎だなぁと眉をひそめたけれど、今思えば核心をついた歌だったのかな。

とにかく、だらだらと自分のなかの気持ちを整理してみたけど、戦争をしようよなんて微塵も思えはしないし、このベトナム戦争もたとえジャーナリズムの発信する思いを、悲劇の感傷劇場を見るように全世界が目を向けていたのだとしても、その衝動がこの戦争を終わらせたのである。

人の心を動かす表現。

それは時に世界一の超大国さえも動かしてしまえるほどの力を持っているのだ。

それができれば本当に純粋な気持ちから来たものであれば、本当に素敵な世界だろうな、と。

路上の音楽表現者のはしくれとして、そんなことを考えた午後でした。

そんなところです!!!