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【世界一周したら変わった価値観】旅をすると「人に期待しない生き方」になる話

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅などを経験し、現在は東京で音楽活動中。
好きな事を鼻息荒く語るだけのブログだよ!

あなたは、電車の遅延で駅員さんにイラついたことはありますか?

コンビニのレジ打ちが新人さんで、行列が出来ててイラついたことは?

しょっちゅうあるよ!って方は、いったん仕事を辞めて世界中を旅してみましょう。

旅をすると、他人や社会に対して「過度な期待」をしなくなり、

期待を裏切られた時に感じるイライラや悲しさから解放される
からだ!

今日はそんな、僕が旅をして自分の中で変わったと思う価値観の一つについて、

話してみようと思う!

旅をすると「人に期待しない生き方」になる

「人に期待しない生き方」

なんて言うと、人間関係の乏しい悲しい人間みたいに思われがちなんだけれど、

別に「人間関係を重視するな!」とか「他人を信用するな!」とか、そういう意味じゃないよ。

「金払ってるんだから、これくらいのサービスは当たり前だろう」

「これだけやってあげたんだから、これくらいのお返しは当然だろう」

とかっていう、日本では当たり前に感じていた社会サービスや、

友人関係や恋愛関係でのギブアンドテイクに対して、過度にリターンを期待しなくなるって感じだ。

旅をすると気付くはず。

日本の当たり前の、便利で迅速なサービスは、実は世界的に見ると異常なほどの質の高さであり、

電車が時間通りに来ることも、欲しいと思った商品がすぐそこのコンビニで24時間買える事も、

海外では奇跡と言っていいほどの特別な事なのだ。

インドでは電車は1~2時間遅れは当たり前、到着が12時間遅れた時も、とくに駅員さんから謝罪などなかった(笑)

ネパールでは、僕が渡航した当時深刻な電力不足で、昼の数時間以外は電気が一切使えなかった。

ホテルに泊まっても底冷えするクソ寒い部屋で水風呂を浴びるしかなかった。

そんな状況を当たり前に旅を続けていると、いつしか、幸せを感じるハードルが極端に低くなっていた。

目的地に電車が無事到着しただけで幸せ。

身の危険を感じずに眠れるだけで幸せ。

温かいお湯が出るだけで幸せ。


周囲の物事にたいして期待しなくなってから、まるで幸せをせき止めていた水門の高さが下がったように、

幸せに感じる事がぶわっと流れ込んでくる。そんな感覚だった。


南アフリカ・ヨハネスブルクで全財産の入ったキャッシュカードを盗られた後、絶望のなか、僕はなけなしの金でタクシーに乗って警察に向かった。

その時も、

「おれの仲間はこの間、強盗に刺されて死んだよ。金なんて後で稼げばいい。生きてるだけラッキーさ!」


運転手のオヤジはガハハ!と豪快に笑った。

そんなことがあってから、なんだか息をしてるだけで幸せな気持ちになれた。

日本の当たり前は、全然当たり前じゃないってこと。

それを身に染みて実感してからは、日本で起こるほとんどの不便なことやうまくいかない事にも、

「まぁこんなもんか」「こういう人もいるよね。」

程度に受け流すことが出来るようになった。

究極に質素な生活の中で見た幸福論(ネパール)

周囲の環境や人に求めたり期待せずとも、幸せは自分で感じ取るもの。

それを強烈に感じたのが、ネパールの山奥での出来事だ。

先述の通り、僕が旅をした時のネパールは慢性的な電力不足で、一日の大半が計画停電という、めちゃくちゃ不便な環境だった。

それでも、首都カトマンズではある程度のインフラは整備され、(お湯は出ないが)シャワーを浴びれたり、店屋や宿は多いので衣食住に困ることはなかった。

しかし、本当に過酷な生活だったのは山間部だ。

カトマンズから半日ほど、険しい山々を登った場所に、ラムチェ村という場所がある。

ネパール地震の復興ボランティアでこの地でホームステイさせてもらった時は、驚愕した。

村人が、21世紀とは到底思えない究極に質素な生活を営んでいたからだ。

まず、村に水道・ガスはない。

まきで火を起こして料理を作り、食材のほとんどは畑で取れる野菜と家畜のミルク。シャワーは歩いて2時間の山間を流れる滝だ。

かろうじて電気が通っている家もあって、そこでみんながケータイを充電する。(こんな旧時代的な自給自足生活のなかでも、一家に一台スマホは持っている、と言うのが不思議な感覚だった。)

夜間は停電もあり、薪の火が消えると周囲は漆黒の闇に包まれる。夜空には、宇宙にほおりだされたような、気持ち悪いくらいの星の数。

だいたい日が暮れたあとは、みんなで夕食の豆のカレーを囲んで、食べ終わったらやる事もないのでさっさと眠る。

そして日の出とともにまた目覚めるのだ。

日本からしたら、何もない僻地での超不便な生活。

しかし、キンと冷える明け方、早起きして火を起こすおばちゃんが入れてくれる一杯のチャイが涙が出るほどにおいしかったり、

めちゃくちゃ冷たい滝に打たれてシャワー浴びた後の爽快感はたまんなかったり、

みんなで歌詞も分からないおれの歌う音楽で踊ってくれたり…

とにかく彼らは常に笑顔で穏やかで、毎日を満ち足りた心で楽しんで暮らしている。

そんな印象を受けた。

村の滞在の最終日に、家族のみんながチキンカレーを振舞ってくれた。

村で育ててた大切な大切なにわとりを、おばあさんがその場でさばいて血を抜いて、僕達客人の為に用意してくれたって事が、ありがたくてたまらなかった。

普段は野菜しか食べられない子供たちが、チキンを前にテンション上がって踊り出し、お祭りみたいに周辺の村人が集まって自然に歌いだす。

鶏肉のカレーなんて、僕ら日本人はこれまで当たり前のように食べてきたけれど、その一杯にこんなにも幸せを見出せるなんて思ってもいなかった。

日々の小さな事柄に対し、自分の中の幸福度を極限まで上げて、精一杯生活を楽しめる彼らの感覚が、とても美しいなぁと思ったのだ。

他人への依存はやめて、ひとり旅に出かけよう

対して、公共サービスやインフラ設備も整いきって便利な日本。

なにもかもそろいすぎて飽和しすぎているからこそ、「これくらいは持ってなきゃ恥ずかしい」

なんて最低ラインの生活の質がどんどんと上がって、自分で作り上げたその価値観の偶像に追われ、

その生活の「型」にはめられて、たまに生きていくのが息苦しくなったりする。

本当は今日食べる一枚のチャパティと一杯のチャイ、そしてちょっと口ずさむ曲が一曲あればいいだけなのに。

生活水準の話だけじゃない。

身の回りの人間関係もそうだ。僕たちは、周囲に過度の期待をかけ、そしてかけられすぎている。

何歳までには結婚して、何歳までには子供を作って家庭を持って…

そんなプレッシャーにがんじがらめになる人も多い。

僕は結婚しているが、「君を一生幸せにするよ」なんて無責任なことは妻に言ったことはない。

僕は僕で自分の幸せを勝手に目指すから、あなたも自分の幸せを追求してね。

そのためにお互い支え合えるところは支え合って、見守りあいましょう。

くらいの距離感が個人的には心地いいと思っている。パートナーとはいえど、違う人間。

他の誰かに幸せの決定権を依存することは、リスクでもあるし傲慢な事でもあると思う。

この辺りも、ひとり旅をして少し考え方が変わったと感じているところだ。

大前提として、「自分の幸せは自分でしか決められない」って部分が大きいと思う。

友人関係に関してもそうだ。

友達は宝物!って、もちろんそれは正論なんだけれど、その関係を必死に保つために、

自分に嘘を付いて、犠牲を払い続けてまでだれかと関係を保っていないといけないのだろうか?

「親にやれって言われたから」「友達が行きたいって言ったから」

これまでの僕は、つねに周囲の意見に流されて友達が行くなら一緒に…なんて、いつも他人に行動の選択権を握らせていた。

いや、正確に言うと「決めてもらってた」のだ。

そっちの方が、後あと失敗した時に楽だから。

自分で下した選択じゃないから、失敗した時に親のせいにできる。

意にそぐわない選択をしたとして、友達と一緒なら仲間がいることに安心できる。

しかし、ひとり旅は一緒に行動する人がいない状況なので、常に自分に問いかけることになる。

「お前は次にどこに行きたい?」「本当は何がしたい?」って。

その行動の責任はすべて自分にある。

そのかわりに、全て自分の幸せのために行動することができる。まさに、 究極に自分勝手な生き方だ。

日本を離れて2年間、そんな生活をしていると、どんどんと友達が減っていった。

「なんか変わったね」と、少し悲しげに言われたりもした。

しかし、変わらない友情なんてない。

一生一緒!なんて言葉で、無理に誰かと自分を縛り付けておく必要はないのだ。

そんな自分の価値観の移ろいの中でもたまに「元気?」って連絡とり合える友達こそ本当の友達だし、

新しい価値観で生きていく中で出会った、似たような感性を持つ新しい友達が出来たりもする。

旅は人間関係を一度リセットし、新しい自分用にリフレッシュしてくれる。

例えそれで、いつか一人ぼっちになっても、誰かに自分の幸せを依存するくらいなら、

まずは自分ひとりにフォーカスして、自分の幸せのために生きよう。

ひとり旅はそんな、自分の幸せを自分で考える「究極の自問自答」の環境を、与えてくれる。

まとめ

以上、キューバのお兄さんがエックスで↑こんなことを言ってて、

なるほどたしかに。って考えてみた事をまとめた記事でした。

誰かに依存したりされたりしてないと生きてけないって感じの人ってたまにいるけれど、

誰か他人の気分や感情で振り回される人生って僕は疲れてしまうと思う。

この世界でただ一人自由にコントロールできる存在、自分にだけ期待をかけて生きる方が無理しなくていいと思うので、

旅でそんな、自分と向き合う時間を作ってみるのも悪くないよ?と問いかけたい記事でした。

もちろん、いろんな生き方があっていいと思うけれどね。

そんなところです。





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