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【インド人は悩まない】インドで経験した、自分本位に生きることが許される場所もあるのかという衝撃の話

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

なんがでっきょんな!ぼっちシンガーです。
世界一周の旅、東京で音楽活動などを経験し、20年ぶりに地元香川にUターン移住。
旅と音楽、サッカーなど、好きな事を鼻息荒く語るだけのブログだよ!

あっ、人間ってこんなに自分の欲求に素直に生きてもいいんや…

そんな風に思ったのだ。10年前、はじめてインドを旅した時のことである。

日本で暮らしていると、どうしても「相手に迷惑をかけんように」とか、「空気を読まないと」とか、

「こうしたらどう思われるやろう」とか、そういう見えない圧力の中で生きることになる。

もちろん、それは日本社会の美しさでもある。

相手の心を汲むこと、言葉にせんでも伝わること、場の空気を読むこと。

そういう目に見えない心の「揺れ」のようなものに繊細に気づける日本人の感覚は、単純にすごいところだと思う。

でも、インドに行くと、その逆の力学があまりにもむき出しで存在している。

「まず自分がどうしたいか」
「得するならやる」
「怒られたらその時考える」


みたいな、生きることへの前のめりさが、ものすごい。

インドの寝台列車で旅をしていた時である。

チケットに表示されている自分の寝台に向かうと、知らんインド人家族が3人、俺のベッド(というかただの板だが)に座っている。

「ここおれの席じゃね?」

と聞くと、「私たちはここで一緒に座る必要がある。君は向こうの車両の空いている席を使いなさい。」とか言われる。

え、どういうシステムなん?とか思って言われたとおりに隣の車両に移るも、もちろん席なんて空いていない。

戻ってきて「席が空いてない。ここは俺の席じゃないのか?車掌に確認したいから君のチケットを見せてくれん?」と聞くと、彼らは何も言わずしぶしぶ席を立って去っていく

なんやねん!とか思いながらベッドに腰かけて車窓を眺めていると、けばけばしい化粧をした女性がやってくる。

「貧しい人々に寄付をしなさい!」

と手を刺し伸ばしてなんか言ってくる。

お金はないよを手を振ると、ほっぺをつねられる。

「貧しい人たちにお金を渡さないのはあなたにとって良くない!」と、真剣なまなざしで彼女が言う。

なんか至極まっとうなことを言われているような気分になり、自分が極悪犯罪人にでもなった気分になって、

いたたまれなくなって財布から50ルピーを出す。

彼女は礼も言わずにムッとした顔でその場を去る。

一事が万事、インドを旅していると、毎日がこんな調子なのである。

誰しもが自分の利益を最優先で生き、他人に危害を与えることへの罪悪感、他人に感謝する気持ちなど、微塵も持ち合わせていない。

何なんだよ一体!!!一体彼らはどんな倫理観で、どんな価値観で生きているんだよ!!!

こう文章で書くとインドで最低最悪な体験をしたように見えてしまうが、勘違いしないでほしい。

当時のおれにはそんな彼らの日常が、恐ろしくもあると同時に、なぜかめちゃめちゃ魅力的でもあったのだ。

なんというか、自分に常に素直であれる彼らの生き方が、眩しく見えたというか。

人間の欲望とか図々しさとか自己中心性とか、そういう本来あまり褒められないものが、隠されずに露出したまま、それでもちゃんと社会が回っている。奇跡としか言いようがない!

そんな気持ちで、このインドという国を旅をしていたのだ。

最近読んだ『インド人は悩まない』という本は、そのときおれがインドで肌で感じたものを、ものすごくうまく言語化してくれる本であった。

「あのとき感じた、あの妙な解放感は何だったんだろう」
「なんであんなに腹が立つのに、同時に少し、羨ましくもあったんだろう」


そういう感覚に、輪郭を与えてくれる本であったのだ。

この本がおもしろいのは、単純に「インドすごい」「日本はダメ」と言わないところであると思う。

インド的な世界観にはインド的な合理性があり、日本的な世界観には日本的な美徳がある。

そのうえで、日本での生活がしんどくなりがちな場面で、インド人的な考え方を技術として借りてくるという考え方を指南する本であったのだ。

本の中で特に印象に残ったのは、日本人の「察する文化」と、インド人の「まずやる文化」の対比

日本人は相手の気持ちを推測して、場を壊さないように気を配って、「言わんでも伝わる」ことを期待する。

いわば「GUESS」の文化。

それに対してインドは、「とりあえずやる」「ダメって言われたらその時考える」という「DO」の文化として、描かれていた。

そう、旅中に感じたあの厚顔無恥なまでの自分勝手な人々の振る舞いそのものである。

日本で、日本人として生まれ育ったおれには、このインドのDO文化が強烈なめんどくささでもあり、同時にそれが許容されている社会に対しての羨望でもあったのだ。

というのも、我々が悩むときって、だいたい現実に起きたことそのものより、まだ起きてもいない他人の反応について悩むことが多い気がするから。

「こんなこと言ったら嫌われるんちゃうか。」
「断られたら恥ずかしいんちゃうか。」
「空気読めんやつと思われるんちゃうか。」


そうやって、存在しない未来の空気を読もうとして、自分で勝手にしんどくなる。

でも、インド的な発想はそこに対してめちゃくちゃ雑で強い。

「他人の感想なんて知らんがな。まずやってみろ」
「やってみて怒られたら、その時考えろ」


そういう雑さがある。

それは日本人からしたら時には下品にも見えるし、実際トラブルの元にもなる。

けど、悩みすぎて身動きすら取れない人間にとっては、時として救いにもなる。

日本の良さは、たぶん「静」の側にある。

静けさ、余白、察し、遠慮、言わぬが花、無の中に意味を見出す感覚。

禅の文化もそうであるし、言葉にならないものを読み取る力もそうだと思う。

ほんまにめんどくさいけど、美しい。世界に誇って良い感性やと思う。

一方で、インド的良さは「動」の側にある。

欲望、行動力、自己主張、ハッタリ、実利、家族や身内を守るための図太さ。

これもまた、人間が生き抜くうえでの強さであるし、自分の人生を主体的に生きていくうえでは、本質的にはこっちの方が生物学的に正しいのかもしれないが。

この本では、日本人がその「静」を捨てて「動」になれと言ってるわけではない。

和の心、魂を持ったまま、印の才能を時には借りて生きていくようなしたたかさが、人生をより豊かにするよ、ということを伝えてくれている。

たとえば、悩みすぎて前に進めないとき。
会議で遠慮して何も言えんとき。
相手の顔色を読みすぎて疲れたとき。
家族のこと、人間関係のこと、自分の立場のこと、いろんなものを背負いすぎて息が詰まりそうなとき。

そんなときに、

「インド人ならそんな悩まんやろ」
「自分の得を考えたってええやろ」
「今は自分を守るほうを優先するやろ」


と思うだけで、少し呼吸がしやすくなる。

そんな価値観で暮らす社会も、この地球上には確かに存在するのだということを、知っておくだけで気が楽になる。

それは人格を変えることではない。日本人の美徳を捨てることでもない。

これからも日本人の思いやりとか、和の空気を大事にする文化とか、そういうものは守っていくべきだ。

面倒やし、しんどいし、生きづらさの原因にもなるけど、それでもあの繊細さこそが日本の美しさでもあると思う。

でも同時に、しんどすぎるときには、心の中にちっさいインド人を住まわせておきたいとも、思う。

「死ぬわけじゃないし、そんな深刻に考えんでええやろ」
「あいつらにどう思われようが、俺の知ったことか」
「たまには自分の得も考えろや」


そう言ってくれる心の中の住人が、一人くらいいてもいいではないか。

…と思ったのだが、我が心の中に住むインド人、なんか様子がおかしい。

「おい、今あの駅は工事中だ。迂回ルートは車を使わなければならない。おれのタクシーに乗れ。」

「ヘイ、フレンド。ガイドをしたんだからお金を。ガイドに対する対価は払うべきだ」


「この布は貧しい人々が働く工場で作られている。君は寄付金としてこの絨毯を買わなければならない。」


待て待て。おれの心に住むインド人、詐欺師ばっかりやないかいッ!!!(旅中に出会って印象に残ったインド人の詰め合わせ)



そんなところです。


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