戦後80年なので靖国神社と昭和館に行ってみる話


ナマステ!ぼっちシンガーです。
20代は路上ライブ世界一周、30代は東京で音楽活動するブロガー。
旅や音楽、香港人妻氏との日常について語るよ!
もうすぐ東京から香川へUターンするので、一度訪ねてみたい場所があった。
靖国神社(やすくにじんじゃ)である。
政治的なイデオロギーのはざまで参拝の是非が論じられ、時に外国人からの損壊被害も報じられるこの場所。
しかし本来は、戦没者の霊に静かに手を合わせ、かつて激動の時代にこの国を守ろうと命を落とした人々に静かに敬意を捧げる場だと思う。
日本がアジア各国でやって来た残虐な侵略行為を正当化するわけではないけれど、平和で誰からも命を脅かされる心配がなく暮らしていける今の日本があるのは、
そういった善も悪も全部含めて「日本のため」に戦った先人たちの悲惨な死の歴史の上に成り立っているわけで。
未来を生きる僕たちが、この平和が誰かの犠牲の上にある尊いものであると噛み締めるためにも、一度ここで手を合わせてみたかったのだ。
いま世界では、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ、東南アジアの国境線上でも緊張が続く。
ネットニュースから流れるその映像は、どこか自分たちと全く関係のない別の惑星で起きているような距離感を感じてしまう。
しかしじいちゃんばあちゃんがまだ幼かった頃には、この日本でも爆撃におびえ、若者が戦地に駆り出され、子供が飢餓に苦しむ、そんな時代があったのだ。
今年は戦後80年の節目の年。今回はその戦争の歴史を確かめに、靖国神社に足を運ぶことにした。

そんなで、神妙な面持ちで書き出しを書き終えたおれは、なぜか古書店の街「神保町(じんぼうちょう)」にいた。
怪しげな雑居ビルのはざま、小さな看板が一つ出ただけの狭い通路を進み、階段を上がると…
到着!!!神保町の老舗欧風カレー屋、ボンディ!!!!!

入り口で30分くらい行列してて並んだあとの、絶品伝説の欧風カレー!!
うまままっまままっまっままっまmmmっま!!!!!!
実は神保町はカレーライスの街としても有名で、こういう喫茶店でカレーを出す店が異様に多いんだけれど、
ここボンディはそんな街の中でもトップofトップのおいしさと知名度を誇る名店なのだ!!
1600円とちょい高いが、インフルエンサーとかも紹介してて、東京離れる前に一度食べてみたかったんだよね。
このにじみでるうまみと、辛口なのにこくのある甘味、ゴロゴロビーフがたまらんっ!!!!絶品である・・・!!

神保町のカレーにはなぜ蒸しジャガイモがついてくるのか・・・
「香川のうどん屋におでん」「金沢カレーにキャベツ千切り」と並んで、なんかよー分からんけどセットで食うとうまいシリーズである!!
ほくほくで、塩振ってバター付けて食べるとやさしいおいしさなんだよな~

さて、腹メイキングが完了したらそのまま皇居のおほりに沿ってとぼとぼと歩く。
あちぃ…8月の都心、ビルに囲まれて風もなく半端ない暑さである…
ただ、皇居周りは木々が多く周囲からは夏を埋め尽くすような蝉の鳴き声。
80年前の夏も、こんな風に蝉の泣き叫ぶ暑い夏だったのだろうか。
などと考えながら20分くらい歩いて、到着!昭和館!!

九段下のビル街の中にひっそりと建つ、昭和の暮らしを知ることができる博物館である。
特に印象的だったのは、戦前から戦後の激動の時代を、当時の一般市民の目線で体験できる展示が多かったこと!
写真撮影不可のエリアが多く、展示物をそのまま見せられないのが残念だが、防空壕の構造や当時の家庭の食事・服装など、戦争に振り回された人々の日常がリアルに再現されていて、
これが入場料400円は安すぎやろって感じの充実した内容であった。

戦地に向かう人への寄せ書きや手紙も実物が展示されていて、「お国のため!」という言葉だけでなく、ちょっとした冗談や家族への想いが書かれているものもあって。
そういうのを読んでいると、当時の人たちは別に国への忠誠心だけで生きていたわけではなく、案外現代の僕たちたちと同じように社会的な建前はうまいこと適当にやりつつ、自分や家族、少しの友人のことを思いながら「ちょっとでも楽しく生きていたいな~」とか思いながら日々を過ごしていたのではないかな…
とか、そんな親近感を覚えた。

地元香川の高松空爆の被害についても資料が残っていた。
ばぁちゃんたちから戦争の話を聞いたことはあったが、実家はより田舎の方なので実際アメリカ軍に攻撃を受けたような体験はしていないようで、
「物がなくて大変だった」とか「ご飯が食べれなくてつらい思いをした」とかそういう話しか聞いたことがなかったけれど。
そんな香川でも高松では、人口の60%が被害を受けるような無差別殺戮攻撃が行われていたとは…
小さな地方都市でもここまで攻撃を受けるくらいだから、もうこの頃には日本はアメリカに到底太刀打ちできないような状況になってたんだろうな…

そんなことを学び昭和館を後に。
さらに数分あるけば、靖国神社の参道が見えてくる。
鉄製の巨大な鳥居が、どこか異様で厳かな雰囲気を醸し出す。
みんな、鳥居をくぐる前から深くお辞儀して、心静かに進んでいく。
西日に照らされて、参拝者のそのさまがとても美しく見えて、同じ日本人として背筋が伸びる思いがした。

靖国神社参道に立つ「大村益次郎像」。
幕末の兵学者で、日本陸軍創設の立役者でもある。
戊辰戦争で活躍し、のちに明治新政府の軍制改革を進めた人物だそうだ。

靖国神社に奉納されている「さざれ石」。
「君が代」に歌われる“さざれ石の巌となりて苔のむすまで”の実物で、岐阜県揖斐郡春日村産。
小さな石が長い年月をかけて石灰質で結びつき、大きな岩となったもので、靖国神社では国家の安泰と平和の願いを込めて展示されているそうだ。

平日の昼間、この日は終戦記念日とかでもないので人もまばらでとても静か。
TVでよくニュースになるようなデモや迷惑外国人とかも見ることはなく、
人々がただ静かに手を合わせては礼をして去っていく。
自分も前の人にならって手を合わせる。
日本のために戦い、命を落とした人々に、感謝と哀悼の気持ちを伝える。
一部の過激な人たちからは、「戦争を起こした人々に感謝するなんておかしい!靖国神社を参拝するなんておかしい!」と指摘があるようだが、
もし日本があの時代に、他国への侵略や太平洋戦争の開戦といった大きな歴史上の失敗を学んでいなければ、
もしかしたら現代のおれ達が、今この時代で容易な理由から戦争を起こしていたかもしれない。
ここに祀られいている人々は、大きな時代のうねりの瞬間に、偶然その時に生を受けて、懸命にこの国を守ろうとしただけなのではないか。
それはもしかしたら僕らの時代で起きたことかもしれないし、未来で僕たちの子どもや子孫が直面していたことかもしれない。
ここに祀られている人たちが多くの犠牲と苦しみを通しておれ達に「戦争は絶対に起こしてはならない」と教えてくれたからこそ、
我々は現在の平和を享受することが出来ているのではないかしら。
栄光も失敗も善も悪もすべて含めて、この国の歴史であり、その歴史の上に、現代の平和な暮らしがある。
その尊さを噛み締めることが出来た気がして、参拝できて良かったなぁと感じたのだ。


帰りは靖国神社最寄りの市谷駅から中央線で一本の街・高円寺へ。
旬のゴーヤの和え物をつまみに、クラフトビールで一杯!
こういう楽しみも、平和な世界があるからですな・・・などとかみしめながら、一日を締めくくるのであった。
そんな、戦後80年を感じるぶらり東京街歩きな一日でしたとさ。
そんなところです。
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