【19(ジューク)とおれたちの青春】「無意識とは」の歌詞に救われたあの頃の話


ナマステ!ぼっちシンガーです。
20代で路上ライブ世界一周、30代は東京で音楽活動!
好きなことを好きなように鼻息荒く語るだけのブログだよ!
「カラオケで歌って一番ジェネギャを感じる音楽は?」
昨日、音楽好きの同世代と飲んでて、ふとそんな話題になる。
同世代の間では知ってて当たり前の「これ歌っておけば外さないだろ」って曲を張り切って選曲してみても、
10個くらい年上や年下の人達からは「え?初めて聴いた。てか誰?」みたいな反応されることがあるのだ!
まずおまえみたいな陰キャはカラオケに誘われることもないだろ、などという現実には目を背けながら考えてみる。
今30代後半のおれたちだけはよく知ってるけど、他の世代だと全く知られてないアーティスト・・・
満場一致で出た答えは、おれたちの青春「19(ジューク)」である!
19(ジューク)は、日本のフォークデュオ。岡平健治と岩瀬敬吾によるデュオ。デビュー当初は326(みつる)がビジュアルプロデュース・作詞を担当メンバーとして参加していた。1998年結成・2002年3月解散。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1998年に結成され、おれ達が中学生だったころ、人気絶頂のなか突如解散してしまったフォークデュオ。
当時はデュオっていったらゆずか19か?で派閥が分かれるほどみんな知ってて有名だったんだけれど、
ゆずが今もまだ活動しているのに対して、19は活動期間4年というあまりに早い解散だったのもあるのか?
当時のティーンに対する圧倒的な知名度に比べて、そのほかの世代に対しては全く知られていないという、
まさにおれたちだけの青春時代をピンポイントで書き写したような音楽なんだよね!
もくじ
19(ジューク)とはなんだったのか?

ジューク世代に聞きたい。「19」の音楽と聞いて、どんな風景を思い浮かべるだろうか。
青春、夢、希望、そういったキラキラした言葉が並びそうなものだが、実は彼らの楽曲には、もっと弱さや鬱屈した感情が、大人への反骨精神のように渦巻いていて。
そしてなにより、ただ「僕が」とか「きっと大丈夫」とか、そんな薄っぺらい言葉は吐かない、そんな少々ひねくれたところが個人的には好きだった。
特に初期メンバーであるイラストレーターの326(みつる)と、
人気曲では基本ギター担当でケンジの熱量の陰に隠れることが多かった岩瀬敬吾の二人が作る、
「性格悪!」ってくらいに痛いところついてくる歌詞が大好きで。
思えばおれにとっては彼らの音楽こそが、ロックンロールの入り口であったように思うんだ。
”売れる前から知ってたよ”
19 すべてへ
知ったかぶりを着こなして
ヒット曲の「すべてへ」のBメロで忍ばせているこの歌詞とか、まじで社会への挑戦状。
ええやん!いわしたれや!!知ったかぶり自称音楽家のHPはもうゼロよ!!!?
誰もがヒーローを追いかけていた狭い価値観がまかり通る時代、少しでも他人とは違う視点を持つ何者かになろうとするひとの優越感が作り上げる「醜さ」を、
こんな風に辛辣に指摘してはヒット曲に忍ばせるなんてなんて策士なんだよ!!326(みつる)、君は本当のロックンローラーだ!!
326の詩には、社会が求めるものに縛られない、社会に適応しきれない人間の弱さや偏屈さが込められていた。
それは商業的な成功を求める音楽業界の枠組みとは相容れなかったのかもしれない。
結果として、326は「大人の事情」で19から姿を消した。

公式には「詩と曲の方向性の違い」とされているが、実際には326の言葉の鋭さや、メッセージ性の強さが商業的な路線に合わなくなったことも大きな理由だったのではないか。
そんな彼の遺志を継ぐような、その後の敬吾さんの曲もすごい好きなんだ。
この上ないんだ 規律を守る
19 いつもどおりのまま
よそ見はダメ ルールが仕切る
現代、酸化して、暴徒、泳いでいく
損ない改革も、足んない
脳が開いてく
この「いつもどおりのまま」って曲は、19解散前最後のリリース「蒲公英(たんぽぽ)」のカップリング曲なんだが、
え?こんなアンダーグラウンドで協調性ゼロの曲を、ラストシングルに入れてくるの!??って驚いた。
もうまじでおれが19のなかで一二を争うほどに好きな曲なのだ。
かろやかで讃美歌みたいなおおらかな曲調で語られるその歌詞は、自由な若者の生き方を規制し仕切りたがる大人たちへのナイフみたいに鋭い拒否感情、
そして現代への不信感、虚無感、そこに対する反骨精神とあきらめ…!!
歌詞の大半は意味が分からんのだが、わからんのだがわかる。
きっと偽りに見えて僕に届かないような些細な感情の廃棄物につまづき死にに行く僕らに、それでも生きる僕たちに、くれよ!!愛の手を!!それは君のことさ、音楽!!ロックンロール!!
なんかこう、ぶわっと、生きる事への苦しみも悲しみも全部詰め込んだドロドロした感情の膿が、脳が開いてあふれ出すような、そんなヤバい曲なんだよ。この曲は…!!
326の脱退後、ケンジと敬吾の二人体制となってから、19は音楽的に新たな方向へ進もうとした。
しかし、ケンジの熱くストレートな青春パンクな志向と、敬吾の陰湿で粘着質で内面的な音楽性(褒めてます笑)は、互いに交わることはなかった。
どちらかが妥協すれば19は続いたのかもしれないが、彼らは妥協しなかった。お互いの信念を貫くために解散という道を選んだんだ。
19の解散は、単に「方向性の違い」では片付けられない。商業的な枠組みに縛られず、自分たちの音楽を貫こうとした結果でもあった。
そして、その不器用さこそが、19の魅力だったのではないか。
社会をうまく渡り歩けなない、子供でもないが大人にもなりきれない未熟さから生まれた音楽が、彼ららしさだったのではないだろうか。
折り合いをあえてつけることなく信念を貫いた末の解散、その決断に至るすべてが、19というデュオの青臭い魅力であるように感じるのだ。
そんな彼らが不器用なまま消えていった諸行無常の刹那もまた、19という青春の美しさなのかもしれない。
個人的な19(ジューク)の思い出

個人的に、最初は19(ジューク)のことがとにかく苦手だった。
彼らが人気になり始めたころは小学校高学年とかだったんだが、そのころって女子が先にマセはじめるやん。
で、クラスを仕切ってたゴリゴリ不良ギャルの女の子がめっちゃ19のケンジ推しだったのよ。
休憩時間に大声でケンジのやんちゃなエピソードとかの話をしてるわけ。
今からは想像もつかないかもだけれど、当時の俺はとてつもない陰キャ根暗男子で(イメージ通りとか言うな)、
もちろんそういうカースト上位女子たちに蔑まれてたわけだ。
なので、
(あいつらが憧れる19ってグループは、きっととんでもない不良でヤンキーで、おれたち陰キャの敵みたいな存在なんだ!)
って遺伝子レベルで刷り込まれて育った。
実際、たまに雑誌やTVで見る彼らは、金髪と青髪でピアスにダメージジーンズに、見るからに渋谷系のド不良で、当時のおれはその見てくれだけで目をそらしてしまうような拒絶感を感じていた。
その拒否反応は中学もずっと続いてて、結局中1のころに19が解散するまで一度も彼らの音楽を自ら聴くってことはなかったんだけれど。
その後、中学デビューしようとして調子に乗ってカースト上位グループに目を付けられたおれは、陰キャのテンプレ通りにいじめられ初めて以来、暗黒の中学生時代を迎える。
救いようのない凄惨な青春時代を送る毎日のなかで、何を思ったかゲオかどこかで19のup to youっていうアルバムを借りて来たことがあって。(あんなに嫌っていたはずなのに、なんで借りたのかはいまだに思い出せない)
MDに録音して聴く彼らの楽曲。ゴリゴリパンクでやんちゃ全開なケンジの音楽はやはり最初は怖くて受付けなかったのだが、
ギター担当だと思っていた敬吾が、ひっそりと歌う数曲の中に、強烈な親近感を覚える一曲があった。
それが「無意識とは」っていう曲。
彼が離れてしまって
19 無意識とは
知らないでいた苦しみもわかってきた
たくさんある肩の荷物を
ふたつ要らないので燃やす
ハイテンションで暑苦しいくらいの熱量で歌われるほかの曲とは打って変わって、
心を無くしてただぼーっと、終焉前の世界を浜辺から眺めているような、無気力さえ感じさせる曲調。
そのなかで語られるのは、青春とか、愛情とか、友情とか、そういうこれまで19に抱いていたイメージとは地球の裏側まで対極に位置してそうな、圧倒的虚無感だった。
だからこそ、当時の、もう何も信じられなくなっていたおれの心に、すっと染み入ってきた。
いじめられて、ずっと友達と思っていたあいつも離れていってしまって、
もう人生に希望なんて微塵も感じなかったあのころ。
あの頃だったからこそ、難解で陰湿で、救いようのないあきらめの境地みたいな敬吾の歌詞の真意に、おれは気づくことが出来たのかもしれない。
「無意識とは」を聞いた時、感じたことは「このひとも同じ苦しみを生き延びてきた人なんだ」なんていう、勝手な親近感だった。
敬吾がいじめられた経験があるのかはわからない。実は全く関係のないことを歌った曲なのかもしれない。
しかし当時の俺にとって、もう誰もかれもに見放されたぼっち陰キャな俺にとって、
この曲は唯一の理解者であり友達であり、救いの手であった。

誰になんて言われ
19 無意識とは
親のことまで否定されても
何度心で泣いて
すさむ前に深いため息をして
毎日が歌うためにあることを今日知って
ずっと一人でいたんで
囲む毎日探していた 歌った
「君はきっと大丈夫」とか、「開けない夜はないよ」とか、
そんな上から目線で誰かを救ってやろうとするような、そんな傲慢な音楽じゃない。
泥水の中でおぼれて呼吸が出来なくて苦しくてもがいて、必死に助けを呼ぶその無様な形相を「ウケるww」って笑われて、もう誰も信じないって、
そんな風に一緒に世界を諦めてくれていたんだ。この曲は。
誰にもわかってもらえないような孤独の暗闇の中で、
「そうやって苦しんでいるのはおれだけじゃないんだ」
なんて、この曲だけが、一人ぼっちの俺に寄り添ってくれていた。
必死に抱えて守り続けてきたプライドや体裁や社会性や親からの信頼や、そんなものも全部どうでもよくなるくらいの衝撃だった。
音楽が鳴ってさえいれば、すべてのしがらみを燃やして自由になれる気がした。
同世代でも、いまだにこの曲を知ってるっていう人に出会ったことがないくらい印象の薄い曲なんだけれど、
この救いようのない無力感を歌ったこの曲こそ、当時のおれの「救い」だったんだ。
思えばこの曲の存在を知って初めて、音楽の本質を理解した気になった。
楽しくなくちゃ音楽じゃない、なんて、楽しく人生生きて来ただけのやつが言う。
違う。楽しくないから音楽しかないんだ。
僕らの音楽とは、失望の先で、劣等感の海の底で、もう消えてしまいたいって思ったその瞬間に、
「やっぱこの世界はクソだわ」って、「その無様な姿も、それはそれで君らしいね」って、
一緒に泣きながら笑い合ってくれるような、そんな存在なんだ。
以上!

2000年ごろに小中学生だったおれの、個人的な19(ジューク)の思い出を思う存分語る話でした。
その飲み会でジェネギャの話題からジュークの話になり、彼に「無意識とは」の歌詞の真意を血走った目で鼻息荒く語ってたら若干引かれてて(キモオタの習性)、
これはブログや…!!ブログに思いっきりこの熱い思いを書き綴らなきゃ…!!
そして読者のみんなに読み聞かせて、
「すごく共感しました!」「ぼっちさん素敵!!」
とほめてもらって自己肯定感を保たないと生きていけない・・・!!!!
などと、ブログには書けないあり余る地上の憂鬱と喜びをコッツウォルズしながら、いつものように超絶独りよがりな文章をたしなめたおれ氏。
読者の皆様からのコメントなど一つも届いていないどころか、ここまで読んでくれた人も皆無であることなど知る由もなく、
承認欲求こじらせおじさんの称号を欲しいがままに、満足げにまとめの文章とするのであった。
つまるところ19(ジューク)、それはそれで青春映画だったよ。おれたちの!
そんなところです。
Tweets by gamoyou
●Youtubeで楽曲作品公開中。チャンネル登録お願いします!そ、そこをなんとかっ!
●ブログ村でランキングに参加中!今3万位くらい!下のリンクをクリックして、底辺に沈むぼっちシンガーをせせら笑いに行こう!

にほんブログ村
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません