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インドのチャイ文化は最高にチルい話【チャイの歴史や旅での思い出を語る】

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
日々の何でもない事を鼻息荒く語るブログだよ。

「チャ"ァ"ァイチャ"ァ"ァァイ~?チャ"ァ"ァァイ~?」

その日おれの頭の中では、インドのチャイ売り達が客を呼び込む声がこだましていた。

三等寝台列車でインドを旅した皆さんならご存じであろう。

あの、怪しい呪文のような、文句たれてるような独特のニュアンスで叫ばれるやつである。

そう、鉄道旅の早朝、朝霧の中をいく車内であの声に叩き起こされ、

「うっせぇな…」

とムカつきながらも、隙間風吹きすさぶ極寒の列車内でもくもくと湯気を立てるチャイの誘惑に勝てずに、

ついつい買ってしまうあの、チャイ売り達の声であるっ!!!

「パァ""ァ"ァーーニパニパニパニィぃィ!!」

くっ…!!パニ(水)売りもやってきたっ!!

やめろっ!!止まれ脳内ッ!!!もうやめてくレッッ!!!

インドに…インドに行きたくなるだろっ!!!!!

インドの「チャイ文化」がたまらん。

インドの長距離列車に乗っていると、様々な売り子がやってくる。

とにかく、すごい不機嫌そうな声で一切笑顔なんて見せずに呼び込みするのがインドの売り子スタイルなのだ。

早速、インド旅人にしか伝わらないあるあるを語ってしまったが、

一度見聞きしたらなんかツボるので、インドを旅する人はぜひ注意深く観察してみてくれ!

そしてこの日、なんでその声が脳内でエンドレスサマーされだしたかと言うと…

ユーラシア大陸周遊の旅をYoutubeで配信中の旅人、海賊旅のユウキのこのツイートである!

昔シェアハウスで出会った友達なんだけれど、彼は今インドを旅しているらしく、インドのチャイ文化に初めて触れて感動したそう。

そう、インドの道端には、いたるところにチャイの売り子たちが炊き出しをしているのだ。

何年洗ってないねん!と突っ込みたくなるような真っ黒な鍋で、モクモクと煙を上げながら煮立つ紅茶に牛乳。

そこに東京ドーム10個分くらいの大量の砂糖をぶち込み、小さなカップに入れて渡される。

この、煮立てたミルクの濃厚さと、コッテコテに甘ったるくした甘味センサー振り切れるくらいの糖度が、

本格インド流のチャイである。

シナモンやカルダモンなどのスパイスの入ったチャイはマサラチャイと呼ばれ、「これぞインド!」って感じの香辛料のきいたキマる一杯に仕上がる。

これで一杯5円~20円

このアツアツの一杯を道端でちびちびやるのがインドのチャイ文化なのである。

インドは意外に寒く、特に朝方などはコートを羽織らないと凍えるくらいに冷える。

そんな時に飲むこの一杯のチャイの温かさは別格。

仲良くなった現地人とちょっと話す時、駅やバスの待ち時間、電車移動の車内で…

人々は生活の様々なタイミングで、チャイを一杯やりながらチルい時間を過ごす。

日本でいう、自販機で缶コーヒー買って一服、みたいな感覚か?

そう、インドを旅すると、チャイなしにはインドは語れないってくらいに、

インド人たちの生活にチャイ文化が根付いている事が分かる。

旅人にとっては、気取らずまったりその辺の道端で、ただ過行くインドの喧噪を眺めながら、土埃に巻かれながら、頭を空っぽに出来る至福の瞬間なのである。

道端のチャイ屋。
早朝のデリー。いたるところで焚火の煙があがり、チャイを入れて朝を迎える。

インドのチャイの歴史

ではそんなインドのチャイにはどんな歴史があるのだろうか。ちょっと調べてみた。

チャイとは、ヒンディー語でお茶の意味。

おもしろいことに日本語の「茶(ちゃ)」と同じ意味で、中国から伝わった言葉である。

こちらの記事によると、世界各国のお茶を意味する言葉を分類すると、主に緑茶や中国茶を指し「チャ、チャイ、チャー」と呼ぶアジアの文化圏と、

主に紅茶を指し「ティー、テー」と呼ぶ欧米の文化圏で分けられるらしい。

いずれも中国語の「茶(ちゃー)」が語源らしく、中国周辺の国々にはそのまま「チャ」の発音で伝わったが、

中国国内でも、ヨーロッパとの貿易が盛んだった現在の上海あたりでは「テー」と発音していたようで、

それが伝わった欧米諸国の言葉では「テー、ティー」と呼ばれ、主に紅茶を指す言葉になった。

そんなわけで、インドのチャイとは、

語源をさかのぼれば日本や中国内陸部などのアジア圏文化と同じ中国茶を指す「チャイ」であるが、

不思議なことにその内容は紅茶、「ティー」なのである。

それには植民地時代のイギリスからの影響が大きく関係している。

1858年~1947年まで、インドはイギリスに統治されていた歴史があり、その広大な土地でイギリスで消費する紅茶葉の生産を行っていた。

栽培が盛んだからといってインド人が皆紅茶を飲んでいたかといえばそうではなく、

紅茶は当時のインド庶民にとっては高価な代物で、 良質な茶葉は基本輸出に回されていた。

しかし19世紀末になると、商品にならない茶葉の残りを利用して安価に紅茶を煮出し、庶民向けに安価で販売する人々が出てきた。

その中で、甘党でスパイス好きのインド人の口に合うように進化したことで、現在の

「コテコテに甘くてスパイスを聞かせた、濃厚なミルクティー」

であるチャイが誕生したのである。

あれだけ人々の生活に浸透しているチャイ文化ではあるが、それが根付いたのは100年ちょっと前であり、意外にもその歴史は浅いようだ。

インド旅中のチャイの思い出を語る。

ジャイサールメールという砂漠の街で、チャイを作る人々。

いろいろチャイについて調べていると、旅中にインドで体験したチャイにまつわるエピソードを思い出す。

ふっ…インド好きなみんなのために、そんな思い出を鼻息荒く聞かせつけては、承認欲求を得るとしよう。

デュフ…ヂュフフフフフ・・・・!(ただ旅の話をしたいだけ系ブロガー)

温かいチャイとガンジスの夜明け。

インドの中のインド、バラナシで、早朝に飲んだチャイは本当にチルかった。

まっ茶色に濁り切った水の色、漂うアンモニア臭、おびただしい量のゴミが浮く水面。

すぐそこの火葬場のオヤジは元々人であったであろう真っ黒な燃えカスを何の躊躇もなくドボンと川に投げ入れる。

そんな聖なる河のほとりでは今日も、「ドボン!」と子供たちが無邪気に飛び込みしているし、おじいちゃんはその茶色い川の水をコップにすくっては歯磨きをする。

バラナシのガンジス川沿いは、インドのカオスのすべてを詰め込んだような場所である。

この場所で、チャイを飲みながら眺める朝の景色が好きだ。

まだ日も登らない時間に目を覚まし、川沿いのガートに腰かけて、持ってきたブランケットに身を包み、朝を待つ。

しかしこの日は、昨日からしつこく「買え!」とまとわりついて来ていた、日本語をしゃべるアクセサリー売りに朝っぱらからから目ざとく見つけられてしまう。

いつもなら「買わないよ!」と冷たくあしらうところであるが、こんな時間からもう売り歩いているなんて、彼も生きるために必死でやってんだな…などと急に優しい気持ちになった。

下の方のガートで焚火を起こしていた浮浪者風のおやじが、ゴミ袋みたいな風呂敷から鍋を取り出し、ミルクを湯がき始める。

どうやら彼はチャイ屋のようだ。

「チャイをふたつ!」

と告げて今日一番最初の入れたてを受け取る。

アクセサリー商に渡して、二人でいろいろな話をした。

「おれはアメリカ人の彼女がいて、普段は一食1500円のディナーを食べているんだ。」

などと訳の分からない自慢話(たぶんうそ)を聞かされる。

どうでもいい話だ、と笑いながら、しかしなぜか心の底では妙に親近感を感じている。

遠い異国で、見たことも無い世界の中で、日本と同じように必死に働いて、去勢張って生きている人がいる。

なんか、世界で一番遠いようで、世界一彼の気持ちがわかるようでもあって、

こうした現地の人との何気ない会話が、まるで生き別れた兄弟との再会みたいに、じーんと心に響いてくるのだ。

まるで、温かいチャイがキーンと冷える早朝の体に染み込むように。

一杯10円で買える優しい時間。

インドはこれだから好きすぎる。

気付けば朝日は昇っていた(というか曇りであんまり見えなかった)けれど、

今日もなんかいい一日になりそうだな、なんて思わせてくれた。

なんか、チャイのこの時のチャイの甘さと、優しい気持ちは、今も思い出に残っている。

地上の楽園でチャイ賭け大富豪した思い出。

インド西海岸の街ゴアは、まさに地上の楽園だった。

ずいぶん廃れてきたとはいえ、ゴアはヒッピー文化が色濃く残るエリアである。

夕方ごろから世界中から集まったヒッピーたちのフリーマーケットが開催され、陽が沈むと皆、ビーチのいたるところで巻きたばこを回し合っては、歌ったり踊ったりしている。

ふいに誰かが焚火を起こして、様々な楽器を持ち寄って大演奏会が行われていたりもする。

ギターを抱えてフラッと彼らの輪に混ぜてもらって、一緒に即興で歌ったりするのもいい。

何の規制も無くて、感性のまま、全員が自由をシェアしているような、日本でいたなら一生味わう事が出来なかったであろう感覚が、ゴアのアランボールビーチにはあった。

その時おれは、旅中に出会った新婚旅行世界一周の夫婦、ももさん&しょうこさんと、大学生旅人のシュウヘイ君と一緒に、ビーチ沿いの宿を借りて滞在していた。

インドは基本酒類が販売禁止されている場所も多いのだけれど、このゴア州は観光客向けに合法だった。

酒飲みな我々は、毎晩浜辺のレストランで瓶ビールを買って、漆黒のインド洋から寄せては返す波の音を聞きながら、いろんな話をして盛り上がった。

酔っぱらってきて子供みたいに

「あぁぁぁxx!!流れ星!!!」

などと指をさして笑った。

その日はちょうどふたご座流星群かなんかだって、みんなで砂浜に寝転んで、飽きるまで星空を眺めた。

きっと天国なんてものがあるとするならば、こんな場所なのだろう。

何のストレスも障害も不安も無い。ただ流れる時間にゆったりと身を任せる感覚。

ふらふらと帰って寝て、眠くなって寝て、

朝になって、海からの風でカーテンが揺れて、自然に目が覚める。

起きた人から順に宿のベランダに集まって、全員揃ったら行う朝のルーティーンがあった。

おそらくこの滞在で唯一あった決まっていた、一日の中での予定。

それが「朝のチャイ賭け大富豪」である。

うとうとした頭をこじ開けてエンジン全開で挑む真剣勝負。

だいたいおれがいつも負けてしまって、すぐそこの小さなレストランで、全員分のチャイをおごらされた。



観光地で、しかも露店ではなくレストランで買うチャイなので少し高かったが、(言うて30円くらい)

まったりと止まったようなこの楽園での生活の中で、ピリッとスパイスを加えるようなこの朝の恒例行事がまた、楽しかった。

結局こんな感じの最高な日々が肌になじみ過ぎて、一週間くらいここに滞在してしまった。

いわゆる沈没ってやつだ。

日本での張り詰めた生活にどうしても耐えられなくなったときは、またここに戻ってきたいな、なんて思う。

陶器カップのなごりで今もポイ捨てしまくるインド人に葛藤。

ゴミが無い場所を見つける方が難しいインド。

インドを旅する人が必ず直面する葛藤がある。

それは、ゴミをポイ捨てするか否か、問題だ。

インド人は、まじで平然とポイ捨てをする。街中でも電車の中でも、むしろお店の中など室内でも、

「地球はおれのゴミ箱だ」

と言わんばかりに、当たり前のようにゴミをぽいぽい捨てるのだ。

当然町はゴミだらけ。道のわきには山のように生ごみやプラスチックごみが積み上がっていて、野良犬や野良牛が食べられるものはないかとそれを漁っている。

そしてなんと、このインド人のポイ捨ての文化の一因が、チャイであると言われている

チャイは、現在ではプラスチックのカップに入れられて販売される事がほとんどなのだけれど、

その昔、プラスチック製品が出回る以前は、使い捨ての陶器が用いられていた。

おれも一度だけ、昔ながらのやり方で、陶器でチャイを売っているお店で飲んだことがあるのだけれど、

それは陶器というのも仰々しいような土を固めて焼いただけの簡素なカップで、少し力を加えると簡単に割れるような代物だった。

同じく陶器のカップに入った老舗ラッシー屋のバナナラッシー。 (陶器チャイの写真は無くしてしまった。)

まるでちょっと固いビスケットみたいな材質で、強度的にはアレなのだけれど、飲み物の容器としては非常にエコだなぁと思った。

土で出来ているのでその辺にポイ捨てしても自然に還るし、投げ捨てるとボロボロに崩れるのでゴミが残留することも無い。

人々は飲み終わった陶器を手で割ったり土に叩きつけたりして、割り捨てる。

この小さな破壊行為が、プチプチをつぶすような、ちょっとしたストレス発散行為みたいで、楽しい。

そんな性質もあって昔からインドでは、チャイを飲んだら容器はその辺に投げ捨てて去る、というスタイルが確立されてきたわけなんだけれど。

時代の移り変わりでプラスチック容器が安価で手に入るようになり、陶器で出す文化が廃れてからも、投げ捨てのスタイルは残り続けてしまったのだ。

ゴミを持ち帰る文化が無いので、むしろチャイを飲んだ後はポイ捨てする事が一種のマナーみたいにとらえている人が多い。

俺たち日本人がきちんとゴミを持ち帰ろうとしたら、

「何やってんだ、ポイ捨てしろよ。みっともない。」

などと言われたりする。

ゴミを捨てる事で、ダリット(インドカースト制時代の最下層に位置する人々・不可触民と呼ばれる)に掃除の仕事を与えているから社会的にも必要なことなんだ!と大義名分を唱える人や、

プラスチックも陶器と同じように土に還ると信じ切っている人も多い。

しかし、街は明らかに掃除なんてされてなく、土と違って永遠に残り続けるので、道端で層になって化石みたいになっているプラスチックごみもよく見かける。

明らかにこれは変えていくべき文化だと個人的には思ったので、おれは旅中どんなことがあっても容器は持ち帰り、ゴミ箱に捨てるようにしていた。

ただ、何が正しいかはわからない。

俺はそう思ったから行動していただけで、インド人を否定したり軽蔑したりしたいわけでは無い。

日本では到底考えられないような感覚で彼らは生きている。

そんな、ありえない彼らなりの「普通の感覚」を、チャイを通して体感したエピソードである。

まとめ

以上、チャイの歴史と、旅中のチャイとの思い出を語っておれが勝手に気持ちよくなるコーナーでした。

いやぁ、このブログでは何十本とインドに関する話題を記事にしてきたけれど、

未だ語りつくせない魅力がある。

ゴミ問題やカースト制度の名残、そしてジェンダー問題に貧困など、様々な問題を抱える国で、彼らの当たり前を全肯定する気にはなれないのだけれど。

そういう「ちょっとおかしいんじゃね?」って思っていろいろ考えさせられることも含めて、インドは本当に奥が深い。

道端で、10円のチャイを飲みながら喧噪にまかれながら、そんなことをふわふわ考える時間が好きだ。

くっ…やっぱインドに行きたくなってきた…

あのうっとうしくてめんどくさくて、キツーい旅が、また恋しくなってくるね…。

とりあえず今は、海賊旅ユウキのインド旅編を見て、心を静めるとしよう…


いやっ!!余計に行きたくなるわい!!!!


そんなところです。


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