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小山田壮平を救うアルバム。『THE TRAVELING LIFE』の個人的解釈を語る話。【カパチーノとは?葉っぱの形ってなに?】

2020年9月17日

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ!ぼっちシンガーです。
路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は日本で音楽活動中。
旅や音楽・日々のどうでもいい事について、暑苦しく語るブログです。

今日は、先日発売された小山田壮平(現AL / 元andymori ギターボーカル)の初ソロアルバム、【THE TRAVELING LIFE】がすごく良かったので、感想を書いていきたいと思っています。

歌詞の解釈や意味については完全に個人的なものです。

『音楽の受け取り方に正解も間違いもない』の精神で、都合よく理解しては勝手に盛り上がったりセンチメンタルになったりしています。

こういう受け取り方もあるのか、程度に楽しんでいただければ嬉しいです!

では書いてみよう。

andymori好きが聴くべきではない?小山田壮平の『THE TRAVELING LIFE』


まず、先に謝っとく。
小山田壮平のアルバムの話なのに、いきなり彼の過去のバンドの話をしちゃう。申し訳ない。




人生を変えた音楽とかある?と聞かれたら、僕は真っ先にandymoriを挙げる。

それは僕が、andymoriの【青い空】という曲に憧れて、仕事を辞めて世界一周の旅に出た過去を持つことからだ。

まくし立てる早口で『君の目が君の髪が指が好きさ』とロックへの愛を叫び、

『はしゃぎまわった友達が笑わなく』なっても、それがハッピーエンドだと悟り、

『楽園なんてあるわけない』人生のことを、それでもlife is partyだと、希望に満ちたようで諦めきったように歌う、そのバンドが好きだった。

このバンドが見てきた、表現してみたかった世界を僕ものぞいてみたい、とギターを背負ってインド・ジャイサールメールに向かったことが全ての始まりだった。

飛び出した旅の中で、一生かけても忘れられないような思い出をいくつもして、1000万回くらい考えて、結局全然わからんで、固定概念は粉々に割れてくだけ落ちた。

文字通り、自分の人生の全てを変えたバンド。

僕にとってandymoriはそんな存在。

そのバンドのフロントマンだった小山田壮平がこの度初のソロアルバムを発表した。

名前は「THE TRAVELING LIFE」

アルバムを聴いた、一周目の感想は、なんだかぼんやりとしていた。

正直、曲の中で明確な意思や熱量、メッセージを見出すことができなかった。

andymoriの時は、なんだか全体的に悟っていた。

今の僕よりもずっと若いのに、まるで世界の答えは全て分かっているんだ!と断言するような歌い方をするし、すべての心理は小山田壮平のそのギターにあるって、信じて疑わない絶対感があった。

それに対して、今作は歌詞に余白がある

おれはこう考えるしこう感じてる。彼は違う。でも彼にもいろいろあるよね。

肯定も否定もしない

その微妙なニュアンスが掴みづらいので、一度聴いただけだとはっきりとしない印象を受ける。

良くも悪くも聴きやすい。

ゆっくりと優しくと語られる童話のようで、ドライブの脇でさりげなくかかっているBGMのようで、しかしふと耳を貸せばその歌詞に、メロディに、やっぱり彼の歌だなって愛しさは、確かに感じるけれど。

あの頃のような絶対感は、ロックンロールが世界を変えるんだって息巻いたシンガーの姿は、少し、かすんで見えた。

人種や宗教、きわどいところに切り込んでは『I wanna be white !!』などと辛らつな皮肉をぶつけたあのころのギラツキが少し懐かしい。

【follow me】の時のような、20年の人生を3分間に凝縮したような、一瞬も意識を飛ばせない熱量を求めちゃう。


でも、2周目を聴いて気付く。

違う。小山田壮平は熱を持って歌うことを辞めてしまったのではない。

歌う対象が、周囲の人や社会、人種、宗教から、自分自身の内面へと移行しただけだったんだ。

そして彼は、または僕らは、やっぱりまだ小山田壮平の音楽に、救われたがっている、という事を。

今作は小山田壮平自身を救うために歌っている

『世界を変えるんだって息巻いたシンガー』は、ロックで世界を救う事も人種観念をなくすことも出来ない、と知ってしまった。

それどころか涙する隣人を笑顔にすることすら難しい。

それでも唯一救う事が出来る存在がある。

それは自分自身だ。

小山田壮平は今作で自分自身を全肯定し、自分だけでも、音楽で救おうとしている。

一曲目のHIGH WAYの歌詞が印象的だ。

『誤解されないように生きるなんて無理な話』、と自分に言い聞かせる。

andymoriで一躍スターになってしまった自分への周囲からの期待に対して、歌っているのかもしれない。

『キザな言葉も変態的な衝動もその時君にやってきた運命』と、イメージに合わないようなことを言って後で思い出して「あぁぁぁ!」と叫びだしたくなるような気持ちさえも、自然なものなんだよ、と語りかける。

結局、『笑われても、愛されても』高速道路の景色のようにすべては過ぎ去っていくのだから、一点を見つめて楽しくやろぜ?なんて不安定な自分自身に諭すように歌う。

そう、このアルバムは、小山田壮平自身を救うための音楽なのだ。

そして思った。僕たちリスナーも便乗して救われたなら、最高にピースじゃね?と。

【OH MY GOD】は今を生きるための歌。

自分自身を救うためのアルバム、として今作を聴き返した時に思った。

3曲目の【OH MY GOD】はとんでもない名曲だ。

過去と比較されたり、あることない事言われたりしながら生きる今への、最大級の賛歌だ。


『輝くアスファルトを踏みしめて歩いた夏は二度と帰らないと君は言う。』

と、過去にとらわれがちな周囲の人達の哀しい様子を歌う。

これはもしかしたら、僕たちファンの事じゃないか?

さっき僕が語っていたように、andymori時代を懐かしみ恋い焦がれては勝手に「変わっちゃったね。」なんてほざいてる、キモオタ古参豚のことじゃないのかっ!!!

滲む汗をぬぐいながら聴き進める。

そんな僕たちに向けて、サビ前で歌うこのフレーズが突き刺さって、心が震える。


『駆け抜けた日々の夢を僕は忘れられない。何もない僕を愛してくれた、君がうつむいたとしても。』


小山田壮平からの痛烈なメッセージに、爽快感さえ覚えた。

あの日々のなかのきらめきを、音楽への強い憧れを、自分はまだ追いかけてやるんだという強い意思表示。

たとえそれを追い求めることで、当初からのファンが見向きもしなくなっても、だ。

そうだった。

僕たちファンは、小山田壮平のまくしたてるような歌い方もカウンターカルチャーな言葉使いももちろん好きだったんだけれど、大前提に、『音楽を愛してやまない小山田壮平』が、好きだったんだ。

ファンにも業界にもこびず、愚直に音楽への愛を歌う小山田壮平が、好きだったんだ。

…なんか、好きな人がいる先輩に届かぬ恋をする女子高生みたいだな…。

でも、そうなんだよ。

もう一度真っ白な心で、聴きに行こう。彼の新しい境地を。

そう、『砂埃の街に、新世界が響く。』のだ。


【ベロベロックンローラー】の葉っぱの形の意味は?

上に紹介した曲以外で僕が好きな曲についても少し書いてみたい。

まず、【ベロベロックンローラー】がとても好きだ。

『わずかな金が尽きるまで飲む』なんて歌いだしから始まる、荒廃としたゆるさと諦め、なんともクズな歌。

その少し眠たげで心地よさげで、でもたまに泣きそうな情緒不安定な雰囲気がたまらない。

涼しくなったら、きっと僕は深夜のコンビニで500mlのビールを買って、公園で一人街灯を見つめながら飲むのだろう。

それで、イヤフォンでこの曲を聴いて、へらへらにやついたり、寂しくなって誰かに電話したくなったりするだろう。

そういう歌。

酔いどれ枠と言うべきか。

andymoriの【オレンジトレイン】やALの【メアリージェーン】なんかもその枠だ。

あぁ、これらの曲が好きな人たちと朝まで飲み語りたい。



ところで、この曲はところどころ酔っぱらって書かれた(であろう)曲にありがちな、当事者にしかわからない比喩や、身内ネタがちりばめられている。

まず、サビの『カナダの国旗はきれいなもみじ、ベロベロックンローラーも葉っぱの形』という表現。

推測までだけれど、バックパッカー目線だと葉っぱと聞くとマリファナしか思い浮かばない。(インドでは、現地売人が『ハッパ?ハッパ?』と旅行者に声をかけてくるくらい、浸透している隠語である)

カナダは大麻が合法な国なので、実際に訪れた時に何かあったのか?

それとももしかしたら、小山田壮平は以前、そっち方面でオイタした経験がある。

ベロベロックンローラー(=自分)は葉っぱの形(=あれ以来、世間からマリファナやドラッグのイメージで見られるようになっちゃった)だと、自虐的な意味で歌っているのかもしれない。

また、『ファルセットが出ないけど それも味だよと』のフレーズで出てくる”ファルセット”とは高音の裏声の事。

きっと飲み友達と、酒でしゃがれてしまった声の話でもしていたのだろう。

猫の”クロとミャーコ”犬の”パトラッシュとガッシュ”とは、昔飼っていたペットなのかな。

飲んでたら、もう会えなくなった人やペットの事を思い出して切なくなったりするよね。

無駄にセンチメンタルな気分にさせる、大好きな曲。

爆弾みたいな曲【Kapachino/カパチーノ】の意味は?

もう一曲、紹介したい。

これからこのアルバムを聴こうとしている人に忠告したい。

このアルバムには爆弾が仕込まれている。

冒頭にも書いたが、柔らかい表現の音楽が続くこのアルバム。

中盤に差し掛かるといい意味で少しうとうとしてしまうんだけれど、しかし9曲目。突如としてギターの爆音ときらびやかなリフが聞こえてくる。

ロックスター。

コンバースのつま先が、自然とバスドラの音に合わせてリズムを取る。

文句なしにかっこいい、それだけがこぼれる名曲だ。

前述した、アルバムを一周した時に抱いたぼんやりとした感情の中で、この曲だけは鮮烈に印象に残っていた。

この曲聴きたさに、2周目、3周目と聴きこんだ結果、見事にこのアルバムにハマってしまったのだから、ずるい。

曇り空を切り裂く稲妻のような、ペペロンチーノの中の唐辛子のような、そんな曲だ。



で、『まずカパチーノって何?』って疑問が浮上する。

意味をググってみても出てこない。

音感的にスペイン語っぽいなと思って、スペイン語辞書も引いてみたが一致する言葉は出ない。

おかしいな、と思いながらダメもとで英語で調べてみて、数件だけヒットしたトリップアドバイザーの記事。

それで、いろいろと謎が解けた気がした。

カパチーノとは、インド、バラナシの小さなゲストハウスの名前であった。

バラナシと言えば、ALの【メアリージェーン】でも歌われていたガンジス川で有名な宗教都市である。

僕は最初この曲を、『もうその恋は終わり、終わり、終わりにしてしまえよ』と歌っている通り、諦めきれない恋の歌かと思っていた。

しかしもしかしたらこの曲は、泊まっていた宿の名前に重ねて、インドへの愛しさを歌った歌なのかもしれない。

あの日見たインドの美しさへのあこがれと、そこに反比例してこう着し凝り固まっていく日本での生活や再構築していく固定概念を嘆くように。

それなら、『惨めな影を引きずったまま歩き続けなくて良かったのに』と、【SAWASDEECLAP YOUR HANDS】で語られていた旅の話を連想させる歌詞にも納得がいく。

もしそうなら、世界一周の旅を終えて数年がたつ僕にとって、鳥肌物の名曲である。

実際小山田壮平がこの宿の事を歌っているかは定かではないし、超おれ得解釈で申し訳ないが。

個人的にはそんなことを考えてこの曲を聴いている。


追記: インドを訪れた際の喫茶店の名前だったことが判明!

この記事を書いた数日後に、まさかの『カパチーノ』のMVが発表された。
テンション上がって、名前の由来についてコメント欄で質問すると、心優しいファンの方が

【カパチーノはインド旅行で立ち寄った喫茶店の名前】

であると教えてくれました。

うむ。次にインドに行くときはぜひとも行ってみたい。

まとめ(詩集も素敵なんだ。)

あぁー!!語った。

長ったらしい文章だが一気に書き上げてしまった。

好きな音楽の事となると、早口で鼻息荒く語ってしまうキモオタぶりをいかん無く発揮しちまったか。

「は?小山田壮平?だれだよそれ?」

みたいな読者の皆さんには申し訳ない。ふっ!そんな事を言いながらここまで読んでくれたおまいらを愛してやまないぜベイベ。君のグッとくるメロディを語りたいんだ。

小山田壮平におかれましては、同タイミングで販売された詩集、『sunrise and sunset 』も、とっても素敵なのだ。是非買って読んでね。

田舎風景を旅する電車の中、過ぎ行く景色を流し込みながらこの詩集を開いて、居眠りしたりぼんやり車窓を眺めたりしたい。そんな本なのだ。

ふぅ、なんか悪徳アフィリエイターみたいに色々紹介してしまったが。

とりあえずタワレコや書店で見つけたら手にとってみてくれや。

今回の作品は、andymoriの頃から遠ざかっている君にこそ聞いてほしい。

小山田壮平の新世界を、是非一緒に覗きに行こう。

そんなところです。



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