備忘録/ぬるま湯と取り繕いながら、実のところもがいて溺れてる/3.19の話
前のシェアハウスの送別で、懐かしいメンバーで飲んだ時の事。
飲みながら話した内容に色々考えさせられたので、忘れないように書いておく。
生き方の話。
毎日仕事で低空飛行で疲れ切ってるよ、などと日々の愚痴を垂れる。
ダメなサラリーマンの象徴みたいな会話。
日々のしがらみをお互い見せ合って笑いあって傷をさらし合うのは、とても心地いい。
なんだみんな一緒じゃん、みんな上手くいかない日々を我慢してやり過ごしてんじゃん。
と安心させられる。
しかし、それとほぼ同時に、本当にそれでいいの?って誰かが問いかける。
周りの人を見下したり、同等だと思って安心したりする。クソみたいな惰性を塗りたくらないと自分を見つけられないのが悲しくなってくる。
今年の夏にカナダにワーホリに行くと一回り若い友達が言う。
フリーで稼ぐ力を身につけて、社会に縛られずに生きたい、と熱く語っていた。
青くさくて馬鹿正直にそう言える覚悟が、素直にかっこいいなと思った。
おれも昔はそうだったのだろうか?
歳なんて関係ないですよ!
そう言ってた彼みたいな事を、おれも思ってたのかな。
いつも過去ばかりキラキラして、現実の未来に100パーセントになれない自分が嫌いだ。
やる!と覚悟を決めても、人生を投げ打ってまで打ち込む勇気のない、自分の弱さが情けない。
歳を重ねるごとに、乗り越えるべき壁は積み重なるレンガ造りの建物のように高さを増していく。
本当はもっと自由に生きたい。そのためにこのブログを書いたり、ずっと音楽を続けている。
いつか芽が出る、その時はいつなのだろう。
本当は何がしたいのだろう?
おれは。
そういう事を、30歳になってよく考える。
このままじゃいけない、そんな焦燥感に休日は追われ続けている。
とにかく続ける事、そして気になるものがあるなら躊躇せず飛び込んでみる事。
今少し気になった、動画編集。
月額2500円するAdobeを勉強するか?
時間がないな。
仕事やめるか?
覚悟がないな。
もうちょっと思考していたい。
ぬるま湯と言われるかもしれないが、これでも毎日めいいっぱいだ。
おれが人生を投げ打ったとして、誰が責任とってくれる?
適当なこと言うな。おれの人生はおれが決めるんだ。
帰りの電車でandymoriを聴いた。
”everything is my guitar ねぇ君間違っていないよと言って!”
小さく頭を揺らした。
30歳になっても葛藤続きの毎日だなぁ。
そんなところです。
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