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ラムチェと人生観と優しさの行方の話

2019年8月1日

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ラムチェ村滞在3日目、最終日の朝がやって来た。

昨日の夜は、おばあちゃんが俺たちのために、貴重であろうニワトリを一羽さばいて、チキン煮込みカレーを作ってくれた。

昨日まで庭を歩いていた立派なやつだろうか?俺たちが山から帰ってくると内臓と身、そして血液の3つに分けられた鶏を、おばあちゃんが川の水で洗っていた。

スパイスで漬け込んで、焚き火にかけて煮込んだものを、ご飯にかけて出してくれる。
停電で真っ暗の中、いただきますと手を合わせる。
あまりものうまさに感動した。


パワーももらって最終日は、最後の学校訪問へ向かった。

昨日ほど遠くなく、30分ほど歩いて到着したのは、スリャダウェ小学校。

小さな仮設校舎に生徒40人ほどが通う。
校長先生の話で始まったセレモニーは、野次馬で集まってきた周りの村人達にも囲まれて
、賑やかなものになった。

歓迎の花の首飾りをかけてもらう。

って花束多っ!!吉井和哉か!!

そして、歓迎のお返しに、みんなで楽器をにぎる。
衣装的にパールやジャムを歌いたい気分だけれど、それはイエモンの再結成武道館ライブにでも行ってもらうとして、
おれのネパールの大好きな曲、「ティーミーバニー」を歌う。

多分オアシスに影響受けてんだろうなーというメロディラインに、「辛くても振り向くなよ、前を向いて生きていこうぜ」というなんともdon’t look back in anger 的な曲なんだけれど、おれの伝えたいメッセージとすごくよく重なってて、ずっと歌いたいと思ってた曲だ。

すごく有名らしく、子供達も先生も、手拍子で盛り上がって聴いてくれた。
初チャレンジとは思えないじゅんとトクさんのハーモニカの即興メロディも決まって、なかなかいい演奏ができた気がする。

そして子供達からは、ネパールの国歌のプレゼント。

小さい子達が胸に手を当てて、声を張り上げて歌ってる。

こうやって小さな村の中で過ごす彼らも、国の誇りを持って生きているのが感じられる、堂々としたメロディだった。

鼻水を垂らしながら、へへへと寄付のノートや鉛筆を受け取ってくれた。


シュウくん達からボールのプレゼントも。



みんなに、またねー!と手を振られながら学校を後にする。歩きながら振り返っても振り返っても、ずっと手を振ってくれていた子供達の姿があった。

やっと終わったぁ。

お疲れ様ー!と仲間たちで声を掛け合いながら、おれは正直に言うとそんな開放感に浸っていた。

オーストラリアでいる時に、ネパール地震のニュースを見て、ネパールまで路上ライブしながら行って、貯めたお金を寄付するんだ!と意気込みでなんとなく決めたこの企画。

意気揚々とマレーシアに到着したはいいものの、怖い。初めての東南アジアでの路上で、手が震えてたのを覚えている。

負けるかやってやる!と無理やり続けていたけれど、物価の違いからくる格差もあって思うように入らないチップに、果たしてネパールに到着するまでに目標額の5万円も貯めれるのか!?と自分に半信半疑になってしまう時もあって、

でも次第に周りに応援してくれたり、ブログを見守ってくれる人たちも出来て、嬉しかったと同時に、しょっぱい結果にはしたくない!という焦りで、東南アジアでは観光もせずに毎日路上に立っていた。

大好きな”歌う事”だけれど、プレッシャーに急かされて、突き動かされていて、すごくしんどく感じていた時期もあった。

いやぁしかし。

今は言える、やって良かった!!

どうせ出来ないだろうなんて、決め付けずに歌い続けていてよかった。

もしこんな企画やらずに、主要な場所をしっかり観光してうまいもん食って、酒飲んで寝て、そんなだけの旅だったらどうだったろう?

いろんな旅の楽しみ方は人それぞれあるだろうけれど、俺にはだめなんだ、3日もすれば、なんか自分の体がどんどん鉛のように硬直し始めるように感じて、生きてるって感じしなくなる。

みんなと似たような歩き方にとらわれている自分に気づくと蹴飛ばしたくなる。

おい、お前そんなもんでいいのか?と。

ある種、自分のアイデンティティとして路上で歌っていたのかな?なんかすごくイキった中学生みたいでカッコ悪いが、それもあるかもしれない。

とにかく、そんな完全に自分のためにあった”路上ライブ”という旅の仕方。

結局のところ俺はただの自己中心的な男だ。

正直、ネパールを愛してて、困ってる人を助けたい!と心から思ってこの企画を始めたのではない。

音楽で何かを変えたい、誰かを救いたい、そんな自分でありたい。

常にそこにあるのは、自分がどう生きるか、だ。

その中で、こうしてものすごいローカルの村まで来れていろんな事を感じられて、子供達にありがとう!!と言われるのだ。

何て素晴らしいんだろう。

おれは幸せだ。

なんだよ、みんな、ありがとう!頑張ってね!優しいね!なんて声をかけてくれた。

本当はそんなじゃないんだ。

ただ欲求不満を満たすためにやみくもに生きてみてるだけの自己中だ。

日本で必死に家族のために働いている人達の方がすごいに決まっている。

本当に優しい心があるなら、彼らのことを一番に考えるなら、必死に働いた金を寄付してあげた方がいくらかいい。日本で働けば5万なんてすぐ貯まっただろう。

本当に、自分が優しいことをしているなんて微塵も思わないけれど、

ただ、こんなでも生き方を正当化してくれる事は本当に嬉しかった。

本当にかまってちゃんだ、
いい事してるね、何て言われると、もっと歌わな!と勇気付けられた。

本当は、そうやって人を認めて、評価してあげられる人こそ、本当に優しい人たちなんだ。

そんな人達に囲まれて、おれは幸せだ。

ぐるぐると考えながら村まで歩く。

やっと終わった!という安堵感は、いつしかやりたい放題の自分の生き方を許してくれて、応援してくれた人達への感謝に変わっていた。

本当にありがとうございます。

心からそう思う。

最後に、お昼ご飯のお母さん特製ダルバートをご馳走になり、みんなとさようなら。

行きはバンで30分ぐらいで一気に駆け上がった山道だけれど、下りは歩いて2時間。

手に下げるギターケースに、沢山もらった歓迎の花の首飾りをいっぱいに垂らして誇らしげに歩いていた

のだけれど、大量の花束がかなり重い。30分もすると、足と腕が崩れ落ちそうなくらいガクガクしだす。

知るか、この花束は絶対に下まで持って降りるんだ。

山にそっと返してもよかったのだけれど、ようわからん意地が出てきて、フラフラの汗だくになりながら持って山道を下りた。

しんどかったけど、その重さがなんか幸せだった。

ありがとうラムチェ!!

やっとの思いで到着したふもとの町から、今下りてきた山を見返した。

壁みたいにとんでもなく切り立った、デカすぎる山々の姿。

俺たちこんな距離を歩いてきたのか。

驚いた。

なんか、そんな人生でありたいなとか、感傷に浸ってみたり。

振り返る隙もないくらいに必死に毎日を生きて生きて。

いつかシワシワになった頬をちょっと緩めながら、大事な人達に囲まれて、もうすぐ止まる呼吸を一度深く吐いて、

「おお、なんやおれこんななげぇ道を歩いてきたのか。」

なんて、驚きたいな。

思い出話に浸るのなんて、そん時で充分だ。

みんな本当に協力ありがとございます!お疲れ様でしたー!!

そんなところです。

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終了

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