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『花束みたいな恋をした』を見て『ソラニン』でも感じた、大人になるとかならないとかの話

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ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

ナマステ。ぼっちシンガーです。
路上ライブ世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
旅や音楽、見た映画や本について鼻息荒く語るだけのブログだよ!

大人になるってなんなんやろか?

幸せってなんななんだ?


きっと我々、妄想気味のロンリガイ達はこの先40になっても50になっても、

じじいになって救命措置のチューブ口にくわえながらも、そんなことを考えて生きていくんだと思う。

最近、映画を見たのだ。『花束みたいな恋をした』ってやつ。

あ~なんか最近流行ってたやつね。菅田将暉と有村架純の出てた、注目の純愛ラブストーリー!みたいなやつね。はいはい。せつないせつない。

などと白けた気分で、しかしU-NEXT独占配信の謳い文句になんとなーく再生。

それで結局、見終わった後には「幸せってなんなんだろうか?」などと感化されまくってる。

いつもそうなのだおれは。

通信簿にかかれた「協調性に欠けてます」なんて言葉通りに偏屈した性格を存分に発揮しながら、

自分なりの感じたことなどを書き残しておこうかななんて思うのだ。

大人になるってなんだ?

東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った大学生の山音麦と八谷絹。

好きな音楽や映画がほとんど同じ、履いてる靴も同じ、そんな運命的な出会いに恋に落ちた麦と絹は、大学卒業とともにフリーターをしながら同棲をスタートさせる。

幸せな毎日を現状維持させる!を目標に2人は多摩川のほとりでささやかな暮らしを続けるんだけれど、

しだいに「このままでいいのか」って気持ちが大きくなっていって…みたいなストーリー。

2人が社会とモラトリアムのはざまで揺れ動く、印象的なシーンがある。

絹の広告代理店勤務の両親が家に来たシーン。

母親は就職しない2人に「就職はお風呂みたいなものなの。人生って責任よ。」と強調する。

麦はへらへらわかったフリしながらも内心こんな風に思ったはずだ。

こんな大人にはなりたくない。今で十分幸せで、ずっとこのままでいいのになんでやりたくもないことに自分をすり減らされなきゃいけないんだ。

実に若者だ。おれも10年前、同じようなことを考えてた。

今ではどっちの気持ちもわかるのよ。絹のお母さんの言い分もわかる。

社会に出るのは、お風呂に入るのと同じように気持ちい…とまでは全く思えんが、まぁ、楽なのよ。

一人でずっと、夢や希望だけで自由を求めて生きていくよりも、社会のベルトコンベヤーに乗せられた方が、ずいぶん気が楽。

昔、それを痛感した。

路上ライブで世界一周の旅をしてたころ。

「好きなことで旅の資金も得られて羨ましい!」なんてほかの旅人に言われたりもしたが、その中身は全然そんな誇れるものでもかっこいいものでもなかった。

結局お金ってものは、誰かに何かの価値を与えたときに発生する。

みんなにおなじみの人気の音楽をやって、辛いときでも楽しそうに演出して、街ゆく人たちの今日という一日をほんのちょっとだけ、道端の音楽で彩る。

路上ミュージシャンの価値とはそういうものなんだと思う。

もちろん誰かを楽しませて、その対価としてお金をいただけるのはうれしかったし、この活動に存在意義も感じていたけれど。

それって結局、普通にバイトして働くのも一緒やん?なんて思った。

自分にとって音楽とは、本当の汚くて暗くてねちょねちょした陰湿な部分もさらけ出せる、唯一自分自身でいられる場所のはずだった。

だけれど、お金を稼ぐ、生きていくために音楽をやるってなると、それとは真逆の道を突き詰めていくしかなかった。とても苦しかった。

それなら仕事は仕事で割り切って生活のために働いて、そのお金でやりたいことをやりたいようにやる。

そっちの方が身も心も懐も、楽なのだ。

まさしく今の生活がそんな感じなんだけれど、割と気に入ってはいるのだけれど、でもやっぱり、これでいいんだろうか?なんてたまに思ったりもする。

大人になるって、こうやって折り合いをつけてうまいこと線引きして、ある程度の幸せを、ある程度の努力と我慢と引き換えに、「これでよかったんだ」なんてうなずきながら感じる事なのかな。

ほんとにこれでいいんだろうか?

なんて思う事自体が、不幸の始まりだってことは、よくわかっているはずなんだけれど…。

サブカル気取って心の奥底で周りを見下してる二人があの頃の自分過ぎて辛い。

「あの面接官は、きっと今村夏子さんのピクニックを読んでも、なにも感じないんだよ」

事あるごとに二人は、同調圧力社会にあらがう武器みたいに、自身を守るお守りみたいに、

そしてまるで自身の存在証明みたいに、サブカルチャーを用いるのだ。

セカオワじゃなくてきのこ帝国だし、渋谷でお買い物じゃなくてミイラ展だし、流行に流されずJACK PURCELL履いてる自分は周りとは違うって思ってる。

ガスタンクの映画で感傷にひたれるおれすげぇって絶対思ってる。

おれか!??おれはもしかして菅田将暉だったのか!!?(断じて違う)

実際そういうカルチャーが好きなんだろうけれど、どっかで、そういう一般社会には知られていない世界を知ってるおれが好き、みたいなところがある。おれみたいなサブカルクソ野郎には。

自尊心だけは高いくせに自己肯定感は低いから、自分は人とは違うから。

「あなたから見ると僕は劣っているように見えるかもしれないけれど、君とは住む世界が違うだけだから。」

とか思ってなんとか自分を保ってる。痛いほど経験ある。

「あいつらにはどうせSyrup16gの歌詞の深さなんてわかんない。」

とか陽キャに馬鹿にされたあとにしょっちゅう思ってた。

大学時代は「今日昼何食べた?」とかくそどうでもいい話題で盛り上がるバイトの奴らが嫌いだった。

おれは音楽やってたから、

「それよりもっと自分が本気で好きなことの話しろよ。人生は有限なんだよ。馴れ合いのためにコミュニケーションを消化する時間があったらギター弾けカス!」

とか思ってた。

そんな話を当時就活真っ最中のバンドメンバーの先輩にしたら

「そんな怒るところか? 彼らもぼっちのお前と仲良くしたくて話題探して話しかけてきてくれてるんじゃん。優しい人らやん(笑)」

とか言われて意味不明だった。

この人もしっかり社会に適合出来ちゃってんのかって、先輩なのに、同じバンドメンバーとして少し落胆までした。

あぁ、今思えばめちゃくちゃやな。尖りすぎ、とかそんなかっこいい孤独度もなく、ただの厨二、ぼっちがぼっちたる所以って感じ。

そういえばおれも社会人になってからはすっかりそんな無駄な悪あがきをしなくなった。

職場の人全てと1日1回コミュニケーションを取らなきゃ、なんてそんな目標を立てては「今日寒いね」「こたつ出した?」とかクソどうでもいい話ばっかりしてる。

それがうまくやるための秘訣だから。おかげで人間関係もうまくいってる。

それが本当に良かったのかはようわからん。

上手に笑って上手に感動して、一生会うこともないような人達にもらった花を枯らして、「今度飲もうね」なんて言う時に、たまにうらやましく思うんだ。

サブカルに傾倒してまでも、自分を貫き通していると勘違いできていたあの頃のことを。

30代サブカルクソ野郎はソラニンとの比較などしてしまう。

さて、2021年公開の映画を『最近流行ったやつ』なんて思ってしまえるほどにはおじさんになった、俺みたいなやつでもいろいろ心かき乱されたこの作品。

ここまで感情移入してしまえた理由の一つには、前述のとおりこの作品がサブカル要素強めなシーンが多数登場するところにある。

偶然入った飲み屋に押井守がいたり、ファミレスの店員さんがAwesome City ClubのVoだったり、二人が初めていったカラオケで歌ったのがきのこ帝国のクロノスタシスだったり。

これら、好きな人はめっちゃ好きだけれど、知らない人からしたらどうでもいい作品への愛やこだわりが、二人の恋愛を加速させるの。

30代後半の元サブカルクソ野郎のおれは思った。

多摩川のボロアパートで二人暮らし。サブカル臭漂うアンダーグラウンド加減。モラトリアム。

おれと同年代のクソ野郎仲間な皆さんも感じたのではないだろうか?

そう、宮崎あおいの可愛さに心疾患をきたしギターを握ったキモオタが大量発生した問題作、

浅野いにお原作の人気作品『ソラニン』だ。

ソラニンでも、大学生から社会人に移り変わる若者たちのモラトリアムの終焉と、

あきらめの悪い青春を引き延ばそうとする男女二人の生活が描かれていた。

それは

『今出なきゃ風邪をひくのは分っているのに、もうちょっとだけ浸っていたいぬるま湯』

みたいなものだと思う。

きっとまた情熱に火がついて、あったかいお湯が注がれるのを願って必死に蛇口を回し続けたのがソラニンの種田で、結局交通事故であっけなく死んだ。

対照的に、自我を無くしてまでもぬるま湯から出て、懸命に生きることを選んだ麦くん。

そのぬるま湯から上がった先でちゃんとタオルと温かい着替えが用意されているかどうか?

別のもっと豪華なあったかい露天風呂でも用意されているのか?

そんなものは正直ガチャみたいなもので、純粋無垢な裸のままで頬りだされて、行くあてもなくさまよい続けて、

結局暖かい場所にたどり着いたように見せかけるだけの無意味な幸せ資本主義の競争に取り残されるだけかもしれない。

それでもダサくてもバッドエンドでも、新たな生活を、絹ちゃんとの幸せをつかみ取ろうと必死に社会に飛び出した麦くんのことは、おれはかっこいいとおもった。

どっちも正解だったんだと思うし、選んだ道が正しかったって、思えるように生きるしかない。

きっと種田が事故で死ななかったら、もっと平凡で圧倒的リアルな終焉を2人も迎えていただろう。

そう思うと、めいこさんは種田への揺るがない愛情を抱えたまま思い出を終わらせることができて、

それはとても幸福なことのようにも思えるし、この世の果てまで囚われそうな残酷な結末のようにも感じる。

ほんと幸せって何なんでしょうね、とか、生まれた瞬間から不景気な日本社会で生まれ育ち、

閉塞感とマイナス思考に支配されたサブカルクソ年代な僕たちは、考えたりするのです。

結局、幸せって何なんやろか?などと冒頭に戻るのである。


以上

そんな、想像以上にあれやこれやと考えさせられて鬱になった映画でした(笑)

いや~大衆映画だろ?なんて作中の二人そのままに斜め上目線から見た映画だったけれど、良かった(笑)

アンダーグラウンドを描いた映画が、若者みんなに人気の作品に成り上がるってのも皮肉だけれど。

演者もストーリーも音楽も素敵だったし、こういう自分自身と置き換えて平常心えぐられる感情かきみだされる作品は、個人的に好きです。

やっぱ食わず嫌いなんかせずに、ポピュラー作品にどんどん触れていかなきゃね。

そんなところです。


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