スポンサーリンク

【香川・高松アリーナ】15年ぶりにRADちゃんと聴いたらくっそかっこよかった話

スポンサーリンク

ぼっちシンガー
ぼっちシンガー

なんがでっきょんな。ぼっちシンガーです。
香川県発、路上ライブで世界一周の旅を終え、現在は東京で音楽活動中。
旅や音楽、香港人妻氏との日常について語るブログだよ!

みんなは15年まえのことって覚えてる?

おれは大学生で、バンドにのめりこんでいて、ふしだらで体たらくで、何物にもなれないくそしょぼい自分に嫌気もさしていて。

それでもなんか、心のどっかで世界の中心は紛れもない自分で、自分こそがこの世界を変えられる存在なんだって、

事実無根の厨二脳で毎日悶々としていたあの感覚をよく覚えている。

クリスマスの短期夜勤のバイト帰りに、冷えきった社会の縮図みたいなケーキ工場を抜け出して、

うっすらと明るんだ空をバイト仲間の森本と見上げながら、おれはRADWIMPSのトレモロを聴いてた。

まだ「男は男らしく」みたいな価値観がしっかり残ってたあの時代に、その情けなくて女々しすぎる、嘲笑したくなるほどの甘えん坊で弱弱しい男の歌詞が、ひどく脳内にこびりついていた。

「おれらみたいやんけ」と、なんか強烈に自己陶酔しては、森本といっしょにドはまりしていたのを覚えている。

15年たった今、妻氏から誘われる。

「RADの高松アリーナダメもとで応募してみたら、チケット取れた!行くやろ?」

陽気な口調の妻氏とは裏腹に、俺の気持ちは複雑だった。

2025.12.20.RADWIMPS高松アリーナ公演

正直、乗り気はしなかった。

たしかに大学の頃は全曲口ずさめるまで聴きこんでいたRAD、しかしそれからはもっと好きなバンドも出来て、すっかり聴かなくなっていた。

映画やアニメのタイアップとかこなすようになってから、なんか生々しいバンドらしさも消えちゃった気がするし。

仕事を休んでまで、絶対に見に行こうとは思えなかったんだけれど、

「お前はそうやっていつも仕事を理由にトライするのを怖がる!そうやってじじいになっていくんや!」

みたいなことを言われて、しぶしぶついていったんだが…

結果。マジでよかった。行って良かった。

なんかこう、久々に音楽を聴いてぶわっと、心の底が震える感覚があって、2時間の公演中、鳥肌立ちっぱなしだった。

もちろんあの頃聴いてた曲をたくさんやってくれて、ノスタルジックに浸る時間も心がくすぐったくて、よかった。

1曲目から「ふたりごと」をやってくれて、あの歌いだしが始まった瞬間、一瞬で大学生の頃の、あの弱弱しくかったハタチのころのアパートの窓から見る視界が、目の前に広がった気がした。

「me me she」は誰かにすがりたくて仕方がなかった時代のことを思いだしたし、「おしゃかしゃま」は相変わらず脳がぶっ飛ぶほどかっこよかったし、「いいんですか」は大学の友達と3次会で酔いつぶれたカラオケで歌った時みたいに手を叩いて踊れた。

でもそれ以上にビビったのは、RADWIMPSの現在点。

もうどうしょうもなく適わないわ、っていうくらいの洋次郎の底知れぬ才能を真正面から見せつけられて、

ひれ伏せさせられるようなすがすがしいまでもな、気持になったのだ。



まーふぁか

ライブの二曲目に、聴きなじみのない爆音のイントロが始まった。

10月に発売の新しいアルバム「あにゅー」に収録されている曲である。

いや、事前にアルバム聴いた時にも、「あ、なんかかっこええやん」とは思ってたんだ。

しかし、その時の印象を1万倍は超えて来た。

この曲はSNSやサブスクでいくらでも音楽が垂れ流れてくるこの時代に、それでも生で、ライブで聴くべき音楽だ。

とにかくかっこいい。バチバチの極彩色にいろどられた、色気溢れるロックンロール。

あの隠し切れない反骨精神ロックバンドのかっこよさのすべてが詰まったような音楽は、

ここ数年のRADの印象である「脱バンド感」をいい意味で裏切るゴリゴリのバンドサウンドで、

しかし原点回帰というにはおもったいない、すさまじいエネルギーと新しく再構築された彼らの「再初期衝動」をかいまみた。

この恥ずかしいような 懐かしいような 君の歌が聴きたいような
目隠しで神隠しにあいながら無茶苦茶にしてくれんのはどこの誰

まーふぁか RADWIMPS

ここのフレーズ、まさしく昔RADを聴いてた、大人になったおれ達に向けて歌われているような気がするんだ。

なんかRADの懐かしい曲が聴きたくて、しかしバンド感を忘れてしまった現在のRADに触れることも、

あんなにもハマってた音楽を「恥ずかしい」って言っちゃえるような変りはてた自分自身に気づくことも怖くて、

仕事を理由に逃げて避けてきれいな思い出として取っておきたかったおれ達を。

この曲は目隠しして神隠しにして新たな新境地へトリップさせてくれた。

そんなえげつない暴力的なまでのエネルギーとかっこよさを持った曲だったんだ。

筆舌

そして、ライブの終盤、この曲が30半ばのおじさんにぶっ刺さる。

もう、どくどくと自分の胸から赤黒い温かい体液が流れ出すその脈の感じがわかるほどに、心に深く深くぶっ刺さる。

まじで食らった。たった一曲の、数分間の音楽に、一人の男の半生が詰まってた。

脚本家の彼に貸した5000円がまだ返ってこない事、がんの検査にいったこと、行きつけだったつぶれた居酒屋の店長が自殺だったこと。

淡々と、つぶやくようにつづられるありふれた日常と非日常。

生きてりゃいろいろあるよなって、半ばあきらめたように、わかった顔して片づけられるようになってしまうこと。

それを俺たちはいつしか、大人になったねってたたえ合って少しづつ、無関心に慣れていくんだ。

そんな些細な絶望も後悔も、ひとつひとつ丁寧にくみ取っては咀嚼して吐きそうになりながらも飲み込んで消化して、そこから生まれて来た曲のような気がするんだ。この曲は。

「ずっと」とか「絶対」とか「一生」とかないのはもうわかったから せめてもう少しだけこのままで ねぇこのままでいさせて 例え「さよなら」が来るとしても 出逢えた喜びでおかしくなんだ 俺は俺をあと何回だって 何回だって繋ぎ止めるよ 君はいないのに ずっとずっとここにいるのはねぇなんでなんだよ

筆舌 RADWIMPS

もうあの頃みたいに「永遠」も信じないし「俺たちは絶対大丈夫」なんて言えない。

仲が良かった友達も、最近は忙しくて連絡すらできていない。

音楽を語ったバンド仲間はビットコインの話しかしなくなってしまった。

あんなに好きだった彼女も今は「出会えてよかった」なんて美談にして押し入れの奥。

それでも、あの頃の彼ら彼女らの屈託のない笑い声や、夜通し語り明かしたあの興奮した声が、

ずっとまだ心のなかで美しい思い出として存在しているのは、なんでなんだろう。

アリーナの映像でこの曲の時に歌詞が流れてて、目の前で歌われるこの曲の意味を、文字で可視化しながら深く深く読み解くような、そんな不思議な時間だった。

この曲は別格だった。こんなヤバい音楽を、今だタイムリーに世に生み出してんのか、このバンドは。

青色の絵具を水に溶かした時のような、淡い感情が染みついてはなれないのだ。

せめてもう少しだけこのままで

「嫌やいうてたのに結局一番楽しんどるやんか」

帰り道、妻氏にあきれられたように言われる。楽しかった。来てよかった。チケットを取ってくれてありがとうございます。と伝える。

最初はただ昔の曲をやってくれたらノスタルジックに浸ってまったり楽しめるかな。くらいの鑑賞型感傷人間な気持ちで行ったアリーナライブ。

しかし、来てみたら本当に打ちのめされたんだ。「あの頃の」じゃなく、「今の」RADWIMPSというバンドに。

たぶん、もしおれがRADのこと全然知らなくて今日のライブを見たとしても、好きになってると思う。

それぐらい、かっこよかった…!!

ほんとに15年くらいほとんどCDとか聴いてなかったけれど、10月に出たこのアルバム「あにゅー」はマジで名盤だと思う。

LIVEのMCで洋次郎が

「20年前にバンドを始めた時はこんなに続くだなんて思ってもなくて、(あぁ、こうやってバンドは終わっていくんだな)って思うような瞬間がこれまでに何度もあった。それでも続けてこられたのは、待ってくれている人たちの存在もあるし、もっとすごいものを音楽で作ってやろうって気持ちをあの頃以上に持っているのもある。今後、みんなに洋次郎どうした?wって笑われるくらいの曲を出しちゃうかもしれない。それでもそれこそが俺たちの現在地。常にその瞬間の最高傑作をおれ達は作り続けたいんだ」

みたいな話をしてて、すごく心に響いた。

誰かのためとかお金のためとかじゃなく、自分を貫き通した先の音楽。

15年たって、その先端が脳にぶっ刺さった夜。

生きてりゃいろいろあるよな。これからも彼らには、彼らの今を爆音で鳴らし続けててほしいななんて、

そんな風に思ったのであった。


そんなところです。


●エックスで更新情報や、日々の純情な感情を実況中継中!フォローしてね!


●Youtubeで楽曲作品公開中。チャンネル登録お願いします!そ、そこをなんとかっ!

●ブログ村でランキングに参加中!今3万位くらい!下のリンクをクリックして、底辺に沈むぼっちシンガーをせせら笑いに行こう!
にほんブログ村 その他日記ブログ 30代男性日記へ
にほんブログ村